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 終戦記念日の翌日が、今年の夏休みの登校日だった。


 新学期に先がけて、宿題を提出したり、全校生徒で校内清掃を行うというあれだ。久方ぶりに会うクラスメイトたちは、珍しく日焼けした私の肌を見て、どんな夏のアヴァンチュールを体験したのか知りたがったが、悲しいかな、私は適当に言い繕う以外にすべを持たなかった。外での張り込みが多かったからだなんて正直に告白すれば、どれほど奇異の視線を向けられるか想像がつかない。


 午前中にホームルームが終わると、南天にす太陽に汗ばんだ背中を焼かれつつ、夏を惜しむかのように全力を振り絞る蝉の輪唱を耳に浴びながら、私は正門を出た。


「君、坂井久遠ちゃんだよね?」


 やけに気軽そうな、明るい声をかけられた。

 私は振り向いて、


「あなたは確か、阿久津さん?」

「おっ、よくご存じで。もしかして、ゆうから聞いたことある? こんな名門女子校のお嬢様に名前が知られてるなんて感激なんだけど」

「ええ、まあ……」


 愛想笑いでごまかしたが、ゆうから直接聞いたことは無いし、私自身も阿久津さんと小学校は一緒だったはずだけれど、あまり関わったことは無かった。しかし、阿久津さんがゆうと仲の良い幼馴染の一人だということはよく知っている。


 何せ、あの頃、私はゆうをずっと見ていたのだから……。


 阿久津さんはにこやかな笑みを浮かべながら、


「そうだ、このあいだの人形の件じゃ、どうもありがとう。おかげさまでウチの兄貴もぴんぴんしてるよ」

「それは良かったわ。こちらこそ、いつもゆうと仲良くしてくれてて、どうもありがとう」

「はは、久遠ちゃんって、ゆうの保護者みたいだね。ところで、まさにそのゆうの件で、今日は来たんだよ」

「え、そうなの?」


 ゆうのことで阿久津さんがわざわざ私のところに来るとはいったいどういうことなのだろう。

 まさか、私が尾行していることが、ゆうにバレたのだろうか。

 嫌な想像が膨らみ始める。


「実は手紙を預かってるんだよ」


 そう言って、阿久津さんは肩に提げたスクールバッグから、一通の白封筒を取り出した。


「お手紙?」

「そ。なんかあいつ、夏風邪か知らないけど最近体調を崩しているらしくて。今日はウチの学校も登校日なんだけど、来なかったんだよね。で、この手紙は、わざわざあいつの家まで呼び出されて渡されたものなんだ」

「そんな、阿久津さんがわざわざ……どうもありがとうございます」

「久遠ちゃんにお礼を言われることはしてないよ。こっちとしても、貸しを返したかったんで渡りに船だぜ。ちうことで、確かに渡したんで、よろしくね」


 言って、阿久津さんは去って行った。


 最後にゆうたちを尾行したのは、三日前のことだ。その時は元気そうに見えた。

 それから、体調を崩したということなのだろうか?

 そして、ゆうから私に手紙なんて、いったい何のことなのだろうか?


 私は心配とどきどきがないまぜになって耐えられなくなり、その場ですぐ封筒を開けた。

 中から現れたのは、簡素で不愛想なA4のワープロ文書一枚きりだった。


『八月十七日十八時に待っています。どうしても話したいことがあります』


 その文章の下に、インターネットから出力したと思われる地図が描かれている。N山の辺りがピンで示されていた。


「これって……」


 私はすぐに勘付いた。

 本当にこれをゆうが?

 きっと嘘だ。

 どうせ、書いたのも阿久津さんに渡したのも――


 柿原綾乃なのだろう。


「やっぱり、あの日の映画館で……」


 尾行がバレていたのだ。

 あの時、目が合ってしまったと感じたのは、間違いではなかったのだ。

 底意地の悪そうな柿原綾乃のことだ。何かの罠に違いない。けれど、私は敢えて受けて立とうと思う。もしこれが女の戦いだとしたら、不戦敗にだけはなりたくなかった。

 思いっきり相手をしてやろう。

 

 望むところだ。



 地図で示されたポイントは、ただひたすらに山奥だった。


 前回、ゆうと一緒に登った際に行った登山口がN山の表側の入口だとすれば、裏口から入ろうとしているような恰好になる。登校日を終えて、私はろくに着替えもせず制服姿のまま、最寄りの地点までバスに乗って行った。東屋のあるバス停で降りると国道沿いの田舎道を歩き始めた。辺りは田んぼが多い。

 

 しばらく行くと、さびれたコンビニがぽつねんと建っていて、そこを横切った辺りのことだった。


「おや、あんたもかい?」


 老婆が立っていた。麦わら帽子、首に巻いたタオル、作業着に長靴といういで立ちで、どうやら田んぼで農作業をしていたらしかった。


「さっきもこの道を、制服を着た高校生くらいの女の子が歩いて行ったよ」


 それを聞いて、私は立ち止まった。


「どんな制服でしたか?」

「ほう?」老婆は、私が食い入るように訊ねてきたので面食らっている。「紺の、こう、上羽織があるやつで……お嬢ちゃんの格好とは違ったねえ」


 私の女子校は黒のセーラー服だ。ゆうと柿原綾乃が通う県立S高校は、女子は紺のブレザーだったはずである。


「やっぱり……教えてくれてありがとうございます」

「女の子がこんなところで危ないことしちゃあ、だめだよ。悪い奴に食われちまう、へへ……」


 老婆は意地悪そうに笑っている。私は軽く会釈し、さっさと進むことにした。

 山に入れる舗装路を見つけ、そこから登り始める。道はしばらく行くと、二手に分かれ、より寂しそうな道を進んでいく。アスファルトがなくなり、砂利道になり、それもやがて轍に変わる。三度も現れた立ち入り禁止の札を潜り抜けて、辿り着いた先は――


「こんなところで、どんな話をするっていうのよ……」


 古びた山小屋だった。

 しかし、地図の場所は明らかにここで合っている。周囲を見渡すが、人気は無い。夏だからこそまだ日も残っているものの、夜になれば下山も無事にできるか危うい場所だ。


「頭おかしいんじゃないの、あの女……」


 私は山小屋の近くまで行き、窓から中をうかがおうとしてみたが、暗くてよく見えなかった。仕方なしに、玄関らしき扉に手をかけた。


 開いた。


 鍵がかかっていない。

 扉の隙間から、こっそりと覗いてみる。乱雑にものが散らかっているようだが、外見から受けた印象ほど古くは見えない。決して廃屋ではなく、継続的に人の手が入っているようだ。


「あれ……」


 視界が揺れている。どこからかカタカタという音もする。

 

 地震?

 

 一瞬そう思ったが、すぐに違うことに気づく。

 視界が揺れているのは、私の脚が震えているからだ。

 カタカタという音は、私の歯が立てている音だ。


「なに、これ……」


 身体が本能的にここにいてはいけないと言っている。

 以前にゆうと行った人食い人形の館でも、こんな風にはならなかった。心霊スポットがどうとかそんな次元の話ではない。


 何の変哲もない古びた山小屋なのに――

 ここには、目には決して視えないけれど果てしなく禍々しい何かが存在している。


「だめ、早くここを離れないと……」


 振り向こうとした瞬間、私は強かに殴られた。

 かぁっと頭の後ろの方が熱くなって、それから手足の先が急激に冷たくなり、体の自由が利かなくなる。

 

 倒れていく私のすぐ傍には黒い影が立っていて、私の顔を見ると静かに笑った。

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