4-3

「ほら、ゆうくん。あーんってしてごらん。はい、あーん?」

「先輩、さすがにそれは勘弁してください……」


 突然だが、あなたは目に見えないものを信じるだろうか?


 超能力、心霊現象、UFO、妖怪、森羅万象しんらばんしょう……なんでもいい。とにかく、ていに言えば、そんなオカルト的で出鱈目でたらめで、卦体けったいに厄介な、軽挙妄動けいきょもうどう魑魅魍魎ちみもうりょうの類である。


「なにぃ、あろうことかわたしのアイスが食べられないというのかね、きみは?」

「別に先輩が作ったものじゃないですよね?」

「そんな言い訳は聞きたくないんだ!」

「ええ……」


 私は、信じる。


 いや、信じざるを得ない環境で育った。まるで自慢にならないどころか、気恥ずかしささえ覚えているくらいだが、誤解を恐れることなく正直に告白するならば、私の生家は、地元ではそれなりに知られた神社だ。歴史だって、私の短い人生の軽く八十倍以上の長さはあるだろう。


「ほらっ、たーべーろっ、たっべーろっ! いっきっ、いっきっ、いっきっ!」

「なんで、大学生の一気飲みのコールみたいになってるんですかね……」


 そんな私の目から見て、確信的に分かることがたった一つだけある。

 今、私の瞳の中にいる女――


 まさにこの瞬間、私の幼馴染に無理やりにアイスを食べさせようとしているあの女は――邪悪極まりない昏いオーラを放っている。月の見えない真夜中の森を好んで狩りを行う獣のそれと、よく似ている。どこまでも猟奇的で嗜虐しぎゃく的な欲望にまみれた底知れない暗黒……。


「あっ、食べたーっ。ふふっ、ゆうくん、よくできました」


 それがあの女――柿原綾乃である。


「くぅぅぅっ」


 気づくと私は爪を噛んでいた。理由は分からない。


 高校一年生の夏休みも半ばを過ぎた、とある晩夏の昼下がり。私は夏休みの宿題に取り組むと母親に嘘を告げて、とある駅前のファミレスに来ていた。

監視対象は、私の座るテーブルから、仕切りと背の高い観葉植物を挟んで四つ離れたテーブルに座っている男女である。


「お口にクリームついてるね? 拭いてあげる」

「自分で拭きますから! やめてくださいよ、先輩、こんな人前で……」


 ねえゆう、あんた、さっきからなに乙女みたいなことばかり言ってるのよ。あんたは男でしょう。というか、人目につかないところだったらいいのかよ……。


 ああ、申し遅れた。


 私は坂井久遠。坂井神社の神主の娘にして、見習いの巫女である。

 そうそう、二週間ほど前からは探偵の見習いも始めたところだ。こちらはまだ自称だけれど。



「あの女が傍にいるようになってから、ゆうは変わった――」

 

 ゆうにあの虫がついたのは、私が私立の女子校に進学して、ゆうと違う学校に通うようになってからだと思う。

 いや、実際はもっと以前からその予兆や発端があったのだろう。ゆうと疎遠になり始めたのは、私が中学受験のために進学塾に通い出した小学四年生からだ。


 あのいけ好かない害虫女――訂正しよう、柿原綾乃は、私たちより一つ年上で現在は高校二年生である。悔しいがあれほどの美人だ、昔からこの街に住んでいたのならば私も見知っているはずだが、しかし覚えがない。ならば、転校してきたのだろう。そしていつの間にか、ゆうと接近して、あんな関係になっている。


「あの女の化けの皮を剥がさなければならない――」


 そう決心したのは、この夏休みが始まった頃に、ゆうが友人の代理で、私にお人形のお焚き上げの依頼をしに来た時だった。


 ゆうは一見すると、いたって健康で正常に見えた。小さい頃と同じように、抜けてそうに見えて妙に頭が回ったり、口ぶりは穏やかなわりに意外に行動力があったり、冷静そうな色白の顔立ちなのに笑うと仔犬みたいに顔がくしゃっと崩れたりした。

 

 しかし目つきが違っていた。


 時折、その切れ長の瞳に、脳自体が焼きついているかのような焦燥を帯びたかと思えば、触れれば噛みつかれそうな獣性をはらむこともあった。何よりも恐ろしく感じたのは、私がこれまで生きてきて誰からも感じたことのない感情を、その瞳から見出したことだった。


 あれは、きっと。


 殺意――


 そう呼ばれるものではないか。

 ゆうが、私の知らないゆうになってしまう――


 お人形の件が一応の解決を見た後、私はゆうの後を尾けるようになった。今が夏休みで、自由に行動しやすいことも幸いした。私は、ゆうの家の最寄り駅に近いカフェで、彼を待ち伏せすることが多くなった。


 だいたいにおいて、ゆうは柿原綾乃と行動を共にしていた。彼らは、県立図書館で一緒に勉強をしたり、駅前のショッピングモールでショッピングに興じたり、新しく開店したカフェやパティスリーでティータイムを楽しんだりしていた。


 ただ一度だけ、柿原綾乃に気づかれたかもしれないと感じたことがある。あれは二人が映画館に行った時だった。いったん劇場内に入ったはずの柿原綾乃がポップコーンだかドリンクだかを買いに戻ってきたのだ。私はというと、現地で二人がどの映画を観るかを初めて把握できたため、売り場でチケットを買い求めていたところだった。


 一瞬、目が合った。


 柿原綾乃とは、夏の始めに県立図書館の前で一度会ったきりだし、こちらは私服で、伊達眼鏡に三つ編みの変装までしていたから、そうそう察知されたとは思い難い。けれどあの時、彼女の口の端は不気味にもわずかにつり上がっていた。


 それはともかくとして――だ。

 幸せそうな二人――物陰から遠目に、ゆうの顔を盗み見て、ふとそう思うことがあった。今この時が、我が世の春でも思われるかのように、二人は二人きりの時間を楽しんでいた。そして同時に我に返るのだ。もしこれが寓話ならば、私は人の恋路にケチをつけ、邪魔立てしようとしている悪役そのものではないか。


 私はたびたび二人を見失うことがあった。街角を曲がると、彼らは風のように消えている。シンデレラのガラスの靴のような手掛かり一つだって残してくれない。大概、見失う場所が、夜の繁華街や歓楽街だったりすることが多くて、そのたびに私は明滅するネオンサインの下で、胸にもやもやした気持ちを抱えながら、ひとり途方に暮れていた。


 これは余談だが――ゆうがバイトをする郊外の喫茶店を訪れたことがある。バックヤードかあるいはキッチンにいるのか、結局、ゆうの姿を見ることは無かったものの、ホールスタッフは、私より年下かと見紛うほどに幼げな可愛らしい女の子だった。ゆうも一見すれば少女めいた顔立ちをしているし、店長の趣味で美形のスタッフを揃えているのかと要らぬ心配をした覚えもある。


 ああでも、あの店のコーヒーはとても美味しかった。

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