3-4

 週末の土曜日、正午過ぎ――


 ぼくは坂井神社の鳥居をくぐった。


 今日は、件の人形のお焚き上げがある。相も変わらずこの神社はぼくの来訪を歓迎していないらしく、どんよりとした曇天どんてんだったが夏場にはこのくらいの天気がちょうどよい。


 境内に着くと、隅の一角に、忌竹いみだけが四方に建てられ、注連縄しめなわが張り巡らされた祭場ができていた。中央の地面に敷かれた御座ござの上には、人形やぬいぐるみが丁寧に並べられている。雛人形にフランス人形、テディベアからキャラクターグッズまで、中には手紙や御札を抱いているものもある。


「やあ、ゆう君じゃないか」


 声をかけられ振り返ると、丸眼鏡に人懐こい笑みを浮かべた男性が立っていた。服装は、白地の狩衣かりぎぬ烏帽子えぼしを被り、下は紫色に薄い紫の文様の入ったはかまを穿いている。


 坂井神社の神主――坂井紀正きせいさんだ。


 つまり、久遠の父親である。


「どうも、ご無沙汰しています」


 ぼくはぺこりと頭を下げた。


「そんなにかしこまらないでくれよ。きみと久遠が高校生になってからは初めて会ったねえ。背、伸びた?」

「まあ少しは。思ったようには伸びませんが……」

「若いんだからこれから伸びるさ。ところで、いつ久遠と結婚するんだい?」

「えっ、なっ、それは……」


 聞き間違いだよな?


 ぼくは思わず紀正さんを二度見してしまったが、その温和な笑みはまるで揺らぐところがない。

 どうやら冗談ではなさそうだ。


「あのですね、紀正さん。ぼくと久遠はそんなんじゃ……」

「いや、皆まで語る必要はないぞ、ゆう君。ぼくは、君と久遠のことは小さい頃からよく知っているからね。よく分かってるし、理解も行き届いているつもりだ」


 娘に対して物分かりがよいのは、素晴らしい父親の条件の一つだろう。しかし、その理解が誤っていると、途端に困った事態に陥るという稀有な例だった。


「最初は神社に婿入りなんて思うかもしれないけど、だいじょうぶ。実は僕も婿養子だったんだ。だから安心してほしい。お義父さんはもうすっかり準備万端だぞ」


 いや、ぼくの準備は万端じゃないんですが……。


 そもそも、何の準備だよ。


 さて、どう切り返したものかと、ぼくが逡巡していたところ――


「お父さん。そんなところで、ゆうと油売ってないで、早く準備してよ」


 と、久遠が本殿からやって来た。腕には人形を抱いている。


「すまんすまん。じゃあゆう君、今日の件は前向きによろしく。男同士の約束だぞ?」


 紀正さんは、にこやかに手を振りながら、本殿へと入っていった。

 あのおじさん、優し気な顔をしつつも、意外に強引なところがあるよな……。


 ふと隣を見れば、久遠がため息をついている。


「ゆう、いったいお父さんと何の話をしてたの?」

「ええと……」ぼくの両目は、大河を遡行そこうする鮭の如く激しく泳いでいたに違いない。「男同士の話……かな?」

「はあ? 何それ。なんかキモいんだけど?」


 同感です。


「ところで、お願いしていた例の人形ってどうなったんだ? この中に混じってるのか?」


 ぼくは、祭場に並べられた人形たちを示しながら言った。


「ああ、私が持ってるこの子のこと? 今から並べようとしてたんだけど」

「え? それが?」


 久遠が人形を持って本殿から出てきたことには気づいていた。だがそれが、まさかぼくがお願いしていた心霊人形だとは、つゆとも思わなかった。


 何しろ――


 めちゃくちゃ可愛くなっていたからだ。


 その禿げた頭にはかつらを被せられ、赤いリボンもつけられている。汚れでどす黒く変色していた顔面は、よく磨かれて、頬紅まで塗られている。右目は無かったはずだが、ドールアイが埋め込まれて、まるで生きているかのようだ。襤褸ぼろのようだった着物も、桃色を基調とした新しいものに一新されている。

 

 何ということでしょう――たくみの手によって、人形はすっかり生まれ変わっていた。

 

「これを全部、久遠がやったのか?」

「……変だった?」

「とても素敵だと思う。見違えたよ」


 本心からの言葉だった。

 もうこの人形から、不気味な印象はまるで感じない。


「お人形さんだって、女の子だからね。死に化粧じゃないけれど、せめて最期くらいは綺麗にしてあげたいと思って……」


 久遠は少しだけ恥ずかしそうに、俯きながら言った。


「あれ……」ぼくは、久遠が抱いている人形に顔を近づける。「この首と胴体のところって、少し肌の色が違うな」


 人形の着物の首元を見れば、首の付け根と肩から下は、どちらも白肌なのだが、わずかに色味が異なっている。


「良く気づいたね、ゆう。そうなの。どうやら首と胴体は、別の作りになっていて、取り外しができるみたいなの。可哀そうだから、試してはいないんだけどね」


「取り外しができる……?」


 それは、ふとした思い付きだったと思う。

 ここ数ヶ月、人形には散々な目に遭わされてきたことがそう思わせたのかもしれない。


「ちょっと、かしてもらえるかな」


 久遠からその人形を受け取ったぼくは、徐に人形の首を掴んだ。


「ひゃっ!? ちょっとゆう、何してるの!?」


 久遠が声を上げた。


「ごめん、久遠。だけど、どうしても一回だけ、試してみたいんだ」

「だ、だめだって、ゆう! そんな乱暴なことしちゃ、だめなのっ……!」


 久遠が手を伸ばして、ぼくを止めようとしてきた。だがぼくの手は止まらない。首の付け根を回していく。


 そして――


 人形の首が、


「外れた……」


 頭部の首は思った以上に長く、胴体に差し込めるように成型されていた。凹凸で言えば、首が凸で、胴体が凹である。しかし、その胴体の穴を覗くと、首の長さよりも深い。


「奥に、何かあるな……」


 ぼくは胴体を逆さにしてみた。少し振ると、小さな透明のビニール袋が出てきた。

 中に入っていたのは――


「そういうことか……」


 一人納得するぼくの隣で、


「ゆうのばかぁ……」


 久遠は、涙声になっていた。

 我に返って彼女の方を向くと、その黒めがちの瞳が潤んでいた。


「……本当にごめん、久遠。だけど、ありがとう。おかげで謎が解けた」

「謎って……その妙なビニール袋のこと?」


 久遠が、ぼくの手に握られた袋を指さした。


「ああ」

「何なの、それ?」

「これは……」ぼくは言いかけたが、止めて、それをポケットにしまった。「……まだ、分からない。はっきりしたら話すよ。それよりも、久遠のおかげだよ。久遠がその人形を大切にして綺麗に整えたから、首と胴体に継ぎ目があることに気づくことができたんだ」

「あのさあ……それ、別にこの状況で言われても、嬉しくなれないよ」

「だよね……」


 ぼくは何度も謝りながら、人形の首を慎重に元に戻した。

 そして人形を久遠に渡した。


「お焚き上げ、よろしくお願いします」

「まったくもう……本当にゆうはいつも……」


 口ではそういう久遠だが、しっかりと受け取ってくれた。


「じゃあ、ぼくはちょっと行ってくる」

「お焚き上げを見に来たんじゃないの?」

「そのつもりだったんだけど、話が変わった。人食い人形の館に行ってみる」

「今から? だったら私も……」

「だいじょうぶ。久遠は、ちゃんとその人形を看取ってあげてほしい」

「はあ……どうせ言っても聞かないわよね。ゆうのことだから」久遠は呆れ顔に戻った。ぼくの顔を見るときのいつもの表情だった。「ま、気をつけなさいよ」

「ん」


 ぼくは久遠と別れ、境内を出る――

 否、出ようとした瞬間だった。


 突如、背筋に怖気が走った。

 殺気――これほどの殺気は久しぶりだ。間違いなく、ぼくに悪意を抱いている何者かの視線を感じる。

 すぐに周囲を見渡す。こんな長閑やかで平穏極まりない神社の境内で、いったい誰が――?


 お焚き上げの祭場に立っている久遠と目が合った。久遠はぼくの顔を見て、不思議そうに小首を傾げている。


 違う。この殺気を、久遠が放っているわけがない。


 その時だった。


「ゆうくゥーーーーンンンンンン?」

「な――ッ?」


 振り返る。


 ゼロ距離に、紀正さんの顔があった。


 近い、近すぎる。


 いったいこのひとはいつの間に、こんな至近距離にまで接近していたんだ――?


 その顔には、さっきまでと同じ柔らかな笑みが維持されている。

 しかし丸眼鏡の奥の目が笑っていない。


「なンか、久遠の泣き声が聞こえた気がしたんだけどォォおお?」

「はっ!? そ、それはですね紀正さん、いわゆる一種の取違えで……」

 ぼくは誤解を解くのに、それから小一時間を要した。



「呪いの正体が分かった? ま、マジでか、ゆう?」


 電話の向こうの阿久津は、明らかに興奮していた。


「ああ、たぶんな」


 ぼくは、駅で電車を待っている。N山方面行きのホームは、人気が少なかった。


「というか、呪いじゃなかった」

「呪いじゃなかった?」

「ああ。だから、お兄さんが受けている祟りは、思い込みの可能性が高い」


 もしくは――

 ぼくはポケットの中にある白い粉末を想起しながら、ある可能性を考えた。


「人形の祟りじゃないってことだよな?    それなら一体……」

「生き霊かもな?」

「おいおい、マジかよ」


 阿久津は少し笑っている。

 ホームに電車の到着を告げるアナウンスが流れ出した。


「ゆう、今は駅にいるのか?」

「ああ。とにかく、ぼくは、もう一度人食い人形の館に行く。確認したいことがあるんだ。阿久津、きみも行かないか?」

「今からか?」阿久津の少し戸惑った様子で、「今回の件についてはマジで感謝してる。兄貴も同じ気持ちだと思うよ。正直、こんな親身になってくれるとは思ってなかったくらいだ。けど、この夏はちょっと野暮用が多くてな。ゆうと久遠ちゃんの登山デートに水を差したくないし、ちょっと行けないや。悪いけど、頼まれてくれないか」


 阿久津は少し笑いながら言った。


「オーケー。じゃあ、また分かったことがあったら、連絡する」


 轟音とともに、ぼくの目の前に電車が到着した。ドアが開き、ぼくは乗り込む。


 乗客はぼく以外に人っ子一人見当たらない。


 冥府行きの特急列車があるとしたら、きっとこんな感じなのだろう。

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