3-2
「久々に来たかと思ったら、また妙なものを抱えてきて……本当にあんたってさあ」
久遠はいつもの呆れ顔でため息をついた。これまでの人生でぼくがよく見てきた彼女の表情ランキングベストワンであった。
坂井神社。
県内でも有数の人気と格式を有し、毎年、初詣には数十万人規模の参拝客が訪れるという。入口の大きな鳥居をくぐり、石橋を渡り、豊かな木々の生い茂る参道をしばらく行く。すると、
久遠は、拝殿手前の石段を
空は今にも泣き出しそうな重苦しい
「こんなぼろぼろの人形を急に持ってきてお祓いをしてほしいなんて……あんた、またおかしなことに首を突っ込んでいるんでしょ。だいたい、昔からあんたは……」
「いや、これはさ……」
お説教モードに移行しようとしている久遠を制止し、ぼくは事の経緯を説明した。
「ああ、阿久津さんってあんたから前に聞いたことのあるひとね。ふうん、そうなんだ」
ぼくがしでかした失態でないことを知ると、久遠は途端に
「確かに見た目は少し不気味かもしれないけど、私はこのお人形さんからあんまり邪念や悪意を感じないかなあ」
「そうなのか? というか、やっぱり久遠って念とか分かるんだ」
「そんな大したものじゃないよ。単なる勘だし。けれど、お焚き上げはした方がいいと思う。呪い以前の問題で、持ち主を失ったお人形さんをこんな状態で長く放っておいたことに問題があるよ」
「ごもっともな意見です……」
お焚き上げは週末に、他に寄せられた依頼品とまとめて行うという。ぼくは久遠に件の人形を預けることにした。
「これで問題が解決すればいいんだが……」
ディスプレイを確認するまでもない。
ぼくは久遠に背を向けて、通話ボタンを押した。
『今日はワンコールで出てくれたね。随分と機嫌がいいみたいじゃない、ゆうくん』
声色だけ聞いてみれば、綾乃先輩の方がよほど上機嫌そうに思える。
ぼくとしては、単にワンコールで出た方が、彼女に余計な疑念を抱かせずに済むと学習しただけである。
『ええとね、ほら、今度一緒に行く名画座の件について相談したくてさ』
駅前の名画座で、禁断の猟奇殺人映画特集という綾乃先輩好みの企画をやるらしい。綾乃先輩はとかくそういうものには恐ろしく目敏かった。
『ところで、今、どこにいるのかな』
おっと。
ぼくはわずかに
首を回して背後を見ると、久遠が小首を傾げている。
今までのパターンからいくと、正直に言えば、まず間違いなく嫉妬されるパターンである。
しかし、嘘を吐くのも決して得策ではないだろう。これまでさんざん盗聴や尾行をされてきているのだ。今だって、実は、境内の木陰に隠れた綾乃先輩が、こちらの姿を視認しながら電話をしてきているといっても、ぼくはまるで驚かない。
「ゆう、どうしたの? 顔が青いけど大丈夫?」
久遠が心配し始めた。
ええい、ままよ。
「……今、坂井神社に来ています』
と、真実を尊び虚偽や
すると綾乃先輩は、
『ああ、久遠ちゃんのところか。あの娘、カワイイよね。私はけっこうタイプだな。よろしく言っておいてよ』
あれ?
まるで予想外の反応である。
以前、幼馴染だと紹介したから、嫉妬の対象から外れたのだろうか?
ぼくが拍子抜けしていると、先輩は更に阿久津の人形の件についても、『それは現場
「現場に行ってみるべきということですか?」
『うん。事件は現場で起きているというじゃない。迷わずいけよ、いけばわかるさ』
先輩はいつも以上に人を食った様子だったが、しかしぼくは妙に納得させられた気分になった。
「分かりました。ところで、先輩もよかったら一緒にいかがですか? 名画座の館内よりも、人知れぬ心霊スポットの方が避暑には適しているかもしれませんよ」
『ゆうくんと肝試しデート……実に血沸き肉躍るカーニバルな響きだね』
ぼくは羅列された言葉の異様な
『けど、今回はパスかな。私、幽霊や心霊の類は苦手なんだ。これは本当。お化け、ダメ、ゼッタイ』
意外だった。だが嘘とも思えない。言われてみれば、綾乃先輩が心霊系のホラーを楽しんでいる姿はこの五年間ついぞ見かけたことが無い。とはいえ、彼女の『将来なりたい自分像』を思えば、幽霊を怖がるのは些か滑稽にも思える。
何しろ。
幽霊を恐れる殺人鬼など、古今東西、聞いたことがない。
「いや、それもまた、綾乃先輩らしいか……」
『じゃ、ゆうくんもせいぜい頑張って。幼馴染ちゃんにいいところを見せて、男の一つでも上げておいてくれたまえ』
「……仰せのままに」
ぼくは礼を言って、電話を切った。
「ゆう?」
背後から、久遠が鈴の音のような声を投げてきた。
「久遠。ぼくは、この人形があったという心霊スポットに行ってこようと思う」
「それはまた急な話ね。もしかして、今の電話相手の差し金?」
「いや……」何という勘の良さなのだろう。やっぱり久遠は、念が分かるのではないだろうか。「頼まれごととは言え、頼まれたことだけをやってハイお仕舞じゃ締まらないからな。一度、現場を検分しておきたいと思ってる」
「それで、あの女は来るの」
あの女――問うまでもなかった。
久遠にとっての『あの女』は一人しかいない。
「いや、ぼくひとりで行くつもりだ」
「ふうん……」久遠はその形の整った
「えっ?」予想だにしておらず、ぼくは少し裏返った声が出てしまう。「久遠、無理に付き合ってくれる必要はないよ。その人形を引き取ってくれただけでも助かってるんだ」
「勘違いしないで。別にあんたのためじゃないから。場合によっては、このお人形さんだけでなくて、元の場所に対して何らかの供養をする必要があるかもしれないから、確認しておきたいだけよ」
久遠は、人形の入った紫の包みをぎゅっと抱きしめながら言った。人形の顔だけが、包みから覗いている。
「……分かった」
正直、分かっていなかった。
久遠を危なそうな場所へ連れて行くのは気が引ける。
しかし。
久遠の目――ぼくはこの目を小さい頃に何度も見たことがあった。
オニキスのような輝きを湛えた黒めがちの大きな瞳が、強い意志を持ってぼくを見つめている。
これ、絶対に止めても聞かない時の顔だ……。
「ありがとう、久遠。本当にきみは、昔っから頼りになる幼馴染だな」
「だから、あんたのためじゃないって言ってるの。まったくゆうは……」
言って、久遠はそっぽを向いた。久遠の腕に妙な力が入ったのか、抱いた人形の首がきゅっと締まって苦しそうに見えた。
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