第3話 人食い人形の館

3-1

「悪いねえ、急に呼び出しちゃって」

「いいよ、今日はバイトもないし」

「やっさしいねえ。さすがに彼女のいる男ってのは、余裕があるものなんだな、ゆう?」

「……それで、相談っていうのは一体何なんだ、阿久津?」


 駅前のファミレスに、ぼくたちは居た。

 夏休みが始まり一週間が経つ。


 平日の午後、ランチタイムも過ぎた半端な時間帯だ。いつもならば、営業の合間に休憩を取るサラリーマンや、有閑ゆうかんなマダムたちの憩いの場として、ほどほどな混み具合であろうと想像されるチェーンのファミリーレストランだが、今日はサマーバケーションを満喫する学生たちで、祭りのさなかのような大賑わいだった。彼らのテーブルにはスイーツやドリンクバーのカップが所狭しと並べられているのに対し、ぼくたちのテーブルには手の付けられていないアメリカンコーヒーが二つ並んだきりである。


「いやいや、ガチのマジで悪いと思ってるんだぜ? 校内随一の美人である柿原綾乃パイセンと甘く爛れた夏を過ごしているであろう、ゆうさんを呼び出すなんて、気が引けて気が引けて」

「気が引ける、か。きみにもそういう感性があったなんて意外だな」

「どうせ夏休みも予定でいっぱいなんだろ? あんな奇麗な人の言うことだったら、何でも聞くよ。誰でもそうする、うん」

「それで、相談っていうのは?」

「え!? 本題に入るのが早すぎません? ゆうさん、大丈夫かよ? いろいろせっかちみたいだけど、そんなんじゃあパイセンともうまくいってないんじゃないの?」

「ぼくはもう帰っていいか?」

「ちょ、ちょちょちょっと待てって。分かった。そうだよ、頼み事があるんだけどさ、その前にこれだけは確認しておきたいんだ。とても重要なことだし、ゆうにしか訊けないことなんだよ」


 阿久津の顔は真剣そのものだった。少なくとも、授業中などにはまず見られない顔である。


 ぼくにしか訊けないこと――いったいどんな質問なのだろう?

 ぼくもまた、阿久津に対し真剣に向かい合うことにする。

 ぼくたちの間には、何故か剣豪同士が果し合いでも始めるかのような、緊迫した空気が漂っている。


「……いったい、なんだ?」

「ゆう、お前――」


 阿久津はテーブル越しにぼくの顔に迫りつつ、神妙な面持ちで、


「――柿原パイセンとはもうやったのか?」


 ぼくは、無表情のまま静かに席を立ちあがった。


「分かった! ようく分かったよゆう! 反省したから、はんせえ!」


 阿久津がぼくの背にしがみついてきた。

 ぼくはため息をつきながら、改めてソファに座り直す。


 思えば、小さい頃からの知り合いで今でも付き合いがあるのは、あとは久遠くらいのものだ。久遠は中学校から私立の女子校に行ってしまったが、阿久津とは、とうとう高校に至るまで同じ学校に通う羽目になっている。

 

 縁とは不思議なものだ。


 そんな腐れ縁だからこそ、阿久津が何を言っても、まま呆れることはあれど決して驚かない自信はあった。


 今日、この時までは。


「ゆう、単刀直入に言う。兄貴が呪われた」

「は……?」


 阿久津にしては面白くもない冗談だ。

 だが、それが冗談でも何でもないと、すぐに思い知らされることになる。

 阿久津は、持ってきていたボストンバッグから、紫色の風呂敷を取り出した。


「それは?」


 ぼくの問いかけに、阿久津は口で答えず、黙ったまま、包みを開いていく。

 やがて現れたのは――


「うわッ……」


 日本人形、である。

 高さは三十センチ程度か。


 しかし、ただの人形ではない。


 元はそれなりに造形のらされた高級な市松人形だったのであろう。しかし今は、尼削ぎの黒髪はことごとく禿げ落ちており、落ち武者のようになっている。顔の白粉も剥落はくらくして半分以上がどす黒く変色している。右の目玉は、無い。着物は破れ擦り切れ黒ずんで襤褸ぼろまとっているようだった。何も着ていない方がまだましのようにさえ思える。


 ぼくは今まで生きてきて、こんなにも不吉で縁起の悪そうな人形を初めて見た。 

「やッべぇ……。こうやってみると、やっぱりグロいな。ファミレスなんかに持ってきちゃいけない代物だったかな」


 阿久津が苦い顔で言った。


 店内は空調が行き届きよく冷えていたが、ぼくたちのテーブルだけ、そこから更に十度は下がったかのようだった。周囲の困惑した視線も気になってきたため、阿久津はそそくさとその人形を元の包みに戻した。


「人食い人形の館」


 阿久津がぽつりと言う。


「そこに、兄貴が、このあいだ大学のサークル仲間と肝試しに行ったんだ」

「ああ……」


 そういえば、以前に阿久津がそんなようなことを言っていた気がする。


「場所で言うと、このあたりなんだが……」


 阿久津は携帯の地図アプリで示しながら言った。


「県境の山間地帯のど真ん中だな。こんなところに廃墟があるなんて初めて知ったよ」

「だよな? 兄貴も大学で耳にして偶然知ったんだって。ネットにも本にも載っていないようなマイナーな心霊スポットらしい」

「で、その人形は戦利品というわけか」

「そういうこと。無事に生還した証なんだと。罰当たりもいいところだろう? 持って帰ってきてから最初の数日こそ得意げにしてたんだけど、二週間くらいすると様子がおかしくなってきた」

「いったい、どんな風に?」

「自分の部屋に引きこもるようになった。夜遊び大好き完徹上等の兄貴からは考えられない変わりようだ。で、たまに食事を持っていくと、ベッドの上で布団を頭から被って、『あの女が来る』って言って震えてる」

「あの女っていったい誰なんだ?」

「分からない。ただ、どうやら人食い人形の館で何かを見たようなんだよね。布団の中でぶつぶつ呟いている内容から察するに、その何かに付きまとわれているらしい。それで引きこもったみたい」

「取り憑かれたってことか」

「そう考えるしかないよね、あの兄貴がこんな有様となるとさ。想像するに、呪いっていうのかな」

「呪われた人形ね……」


 呪いなんて言葉を二十一世紀に口にするとは思わなかったが、しかし、現実ならば仕方ない。


 この人形には、それだけの迫力があった。


「まあ、女好きな兄貴のことだからさ。生霊いきりょうかもしれない」

「生霊?」

「知らないの? 生きている人間の怨霊だよ。恨み深い人間の身体から魂だけ抜け出て、恨み相手の前に姿を現すってやつ。怪異譚としてはけっこうあるあるなんだぜ? 二股かけられて手ひどくフラれた女の生首が彼氏の家の洗面所の鏡に写ってたりとか、そういうやつ。兄貴の場合、散々女に恨まれてるだろうからね」


 どうやら血は争えないらしい。


「話は分かったけど、どうしてそれをぼくに相談したんだ? 呪いなんて言われても、ぼくにはそんな知識はないし、何の役にも立てないと思うぞ」

「坂井久遠ちゃん」


 阿久津はにいっと笑って言った。過去の経験に即して言えば、阿久津がこういう笑みを浮かべる時は大抵ろくでもない。


「え?」


 ぼくとしては、まさか阿久津の口からその名前を聞くことになるとは思っていない。だからきっと随分と間の抜けた顔をしていたはずだ。


「だから、坂井久遠ちゃんだって。ゆうの幼馴染なんだろ? 坂井神社の看板巫女さん」


 看板巫女という言葉が存在するかは定かではないが、久遠がぼくの幼馴染であり、坂井神社の長女であり巫女であることは疑う余地のない事実である。ちなみに久遠本人は、巫女は家の手伝いで単なるバイトだとよく主張している。


「ああ、神社で人形供養をしたいってことか……」


 いわゆるおき上げというやつだ。故人の遺品や思い出の品を供養した後に焼却して処分する。久遠から直接聞いたことはなかったが、坂井神社は県内では有数の規模の神社だから、お焚き上げも受け付けていると考えるのが自然だった。


「そゆこと。さすがゆう、察しがいいじゃん。必要なお金は兄貴の財布からテキトーに抜いてくるからさ、上手く話を繋いでくれないか?」


 成程、それが本題だったというわけか。阿久津の考えそうなことだ。


 ぼくは、最後に見た久遠の顔を思い出そうと目を閉じた。

 最後に彼女と会ったのは、初夏、綾乃先輩と県立図書館で期末試験の勉強をしていた時だった。


『屑。死ね』


 ……いや、あれは階段の下から彼女を見上げてしまった、ぼくがいけなかった。


『馬鹿じゃないですか』


 ……いや、あれは初対面でわけのわからない挨拶をかました綾乃先輩が悪かったはずだ。


『秒で死ね』


 ……いや、あれは……あれ? ぼくが、悪かったのか?


「おい、ゆう。大丈夫か?」


 遠くから阿久津の心配そうな声が聞こえてきた。

 ぼくは目を真開いて言う。


「……阿久津が自分で行けばいいんじゃないか?」

「冷たーっ。そこは友の縁だろー。こういうのは、知り合いからお願いした方が親身になってやってくれるもんなんじゃないの」


 坂井神社の方針は不明だが、坂井久遠の国語辞書に身内びいきという単語は存在していないだろう。というよりも、むしろ他人よりも身内や自分にこそ厳しいのが、ぼくの知っている久遠という少女の性格である。


「こっちはこっちで夏休みはちょっと野暮用があってさ、手が外せないんだよ。つうわけで、よろです。ここは前金代わりに奢っておくからさ」


 言って、阿久津はテーブルに小銭を置いた。


「おい阿久津、ちょっと待て……」


 ぼくが呼び止める間もなく、阿久津は席を立つと、行ってしまった。

 後に残されたのは、呆然とするぼくと紫の包みに収められた謎の人形だけである。

 包みの隙間から、人形の禿げた頭が覗いている。ぼくは何気なく笑いかけてみたが、人形はぴくりともせずひび割れた眼球で中空を見つめている。笑い返されても困るものの、何故かぼくは少しだけ寂しい気持ちになった。

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