2-3

『わたしね、今、自分の部屋の出窓から満天の星空を眺めてる』

『おや奇遇ですね、ぼくも同じ夜空を見ています』


 ぼくは、バイト帰りの夜道を一人行きながら、綾乃先輩と電話をしていた。

 明るい星月夜だった。週末は良く晴れそうだ。


『あっ流れ星! わたし、お願い事する!』


 携帯から幼子おさなごのような、はしゃいだ声が聞こえてくる。星に願いを、月に祈りを。こんな夜ならば、お星様もお月様も、少女の無邪気な願いの一つや二つ、何だって気前よく叶えてくれそうだ。


『お星さまどうか、今週金曜夜のロンドン発東京羽田着の飛行機が、墜ら』


『待って先輩、それはあまりに不謹慎すぎます。いくら何でもひどすきます』

『だってそのせいで、土曜日にゆうくんと会えなくなるんだよ!? ああお月さまどうか、明日日本中の港に停泊する客船が沈ん』

『待って待って先輩! 先輩のお父様は、飛行機で帰国されるんですよね? 船は関係ないんじゃないですか』

『八つ当たりよ』

『開き直った!?』

『……はあ。嘘だよ、嘘。冗談。わたしとゆうくんを引き裂く禍々しい鉄の塊が日本に飛来するからって、無辜むこの人々にまで累を及ぼすようなひどいことを願ったりしないよ』

『別に禍々しくないです。戦闘機やミサイルでもなんでもなく、父君は一般的な旅客機でご帰国の予定です』


『本当、なんで急にこんなことに……』

『確かに急ではありますよね。先輩のお父様が帰国されるのって一年ぶりくらいですよね?』

『そうだね……。前に日本に帰ってきたのは、わたしの高校の入学式の時だったなあ』

『久々の家族水入らず、いいじゃないですか』

『ホテルで会食したり、歌劇場でクラシックオーケストラを鑑賞したりとか、そんな下らないのばかりだよ。ママなんか張り切ってドレスとか着始めちゃうし』


 さすが、高台の豪邸に住まう一家であるとぼくは感心していた。休日の過ごし方も格が違う。だがしかし、あの綾乃先輩であっても、ご両親に対しては「ねえパパ、ママ、今日はみんなで世界の殺人絵画展を観に行きましょう」などとおねだりするのははばかられそうだ。


『はあ……肩が凝る。面倒で仕方ないの、家族のふりにはもう飽き飽き』

『家族のふりって……ご両親とは血の繋がってると前に言ってましたよね?』

『ねえゆうくん、家族ってなに?』いつになく、先輩の口調は強かった。『血の繋がりだけが家族なら、わたしはそんなの寂しいよ。心から分かり合えるひとを、心が繋がるひとをこそ、家族って言いたいの。そしてそれは、わたしにとってはゆうくんしかいないよ』

『……』


 夜空は澄み渡っている。今にも星が降り出しそうだ。帰り道はもうすぐ終わり、ぼくは暗い自宅にたどり着く。

 こんな夜のひとときなら、ぼくのような救いのない道化でさえも、素直になれそうな気がした。


『綾乃先輩、ぼくも先輩のことを……』

『ゆうくん』


 先輩の真剣そうな声に、ぼくの告白は中断した。


『……なんでしょう』

『わたしのいない間に、浮気をしたら許さないから』

『まさか』

『ただじゃおかないからね』


 先輩の声が、更に一オクターブ下がる。


『火を点けてあげる』

『えっ』

『燃やしてあげる』

『ひ、比喩でなく?』


 ハートに火を点ける、というような可愛らしいたとえではなく?

 人体不自然発火させる気なのですか?


『うん』

『あはは』ぼくの笑い声が裏返っている。『先輩が言うと冗談に聞こえませんから』

『ええ。だって冗談じゃないから』

『…………』

『冗談じゃないから』

『いや、二回言わなくていいです』

『電波が遠くて聞こえなかったのかなって』

『大丈夫です。よく聞こえてますから』

『覚悟してね火柱。準備しておいてね灯油』

『家族には絶対に言わないセリフですよね、それ』

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