1-4

「きゃああああああッ!」


 突然ですが、ここで問題。


 あなたの目の前に、あなたより頭一つほど背の低い少女がいます。出題者注――美少女です。今、彼女は勢いよくあなたの向かって飛び込んでこようとしています。しかし、その小さな両手には、銀のナイフやその他諸々の危険な凶器をたっぷり抱えています。


 さて、どうする?


「ゆうちゃん、避けて! 私、刺し殺しちゃう!」


 ぼくは――避けなかった。

 彼女の手を離れて飛び向かってきたマグカップを右手で、大ぶりな丸皿を左手でキャッチすると――倒れこんできた彼女を、身体で受け止めた。

 ぼくがキャッチできなかったナイフやフォークが床に散らばり、金属音を立てた。


「ゆうちゃん、ごめんなさいい……」

「いえ。怪我は?」

「ないですう……」彼女はぼくの胸から顔を離した。「また助けられちゃいましたね。本当にありがとう」

「ぼくの方こそ、いつも勉強を教えてもらっているので、こんな時くらいは」

「そんなこと……。それにしても、よく壊れ物だけを受け止めてくれましたね。さすが、ゆうちゃんです」


 確かに。

 ぼくの両手には割れ物であるマグカップと平皿。そして一番壊れやすいのはきっと、胸で受け止めた彼女――


 高屋敷たかやしきはな、という。


「いえ、邂逅わくらばに三秒先の未来が見えたものですから」

「ええ? すごい、ゆうちゃんって超能力者なんですか。えすぱあ?」


 えすぱあじゃなくたって、予想がつくよ。

 ぼくが働き始めてたった二ヶ月の内に、似たようなことが五回も起こっているんだから。

 そう、二ヶ月だ。

 ぼくがこの喫茶店「ティーカップ・ゴースト」でバイトを始めて、もう二ヶ月が経とうとしていた。


「ほら、華ちゃん。エプロンが汚れてます」ぼくは傍のテーブルにあったダスターで華ちゃんのエプロンを拭いた。

「うう、ゆうちゃん、お母さんみたいですう」

「年上の女子大生のお母さんになれる男子高校生がいるものですか。はい、閉店まであと十五分だから、もう少し頑張って」


 そう言ってぼくは、ぐずる華ちゃんをキッチンからホールに送り出した。


「ふう……」


 ぼくは床に落ちているナイフとフォークを拾うと、他の食器といっしょに洗い物を再開した。

 放課後、綾乃先輩との買い物が終わって別れた後、午後五時からこのティーカップ・ゴーストに出勤していた。駅からやや離れた郊外の住宅地にひっそりと構える落ち着いた雰囲気の喫茶店だ。座席数が多くない割には天井が高く、広々とした空間とウッディなイメージで統一された内装が、ぼくはとても気に入っている。


 それから、店長が淹れるコーヒーも。


「って言っても、店長は今夜も奥か……」


 学者肌のひとで、コーヒーの研究には余念がない。もう閉店時間の九時まで幾許も無い。既に店内のお客さんは限られているから、店の奥にある自分のラボに戻ってしまったらしい。きっとまた自作の焙煎機と格闘しているのだろう。


 だいたい、ぼくが出勤する夜間は、店長とぼくと華ちゃんの組み合わせになることが多い。

 三人の中ではビギナーのぼくが洗い物とフードの仕込みをして、華ちゃんがホールでお客さんの対応をし、店長がドリンクを作るなんて感じで分業している。

 華ちゃん――高屋敷華は、ぼくよりも半年ほど早くここで働いている女子大生だ。


『私のことは気軽に華ちゃんと呼んでくださいねっ』


 緊張していたバイトの初日、高屋敷華はそう言って、小さな手を差し出してきた。

 ぼくは試しに、華ちゃん先輩と呼んでみたが、『だめだめです! 華ちゃんで! あーゆーおーけー?』と強い口調で言われたので、爾来じらい、華ちゃんで定着した。


「ありがとうございましたあ!」


 華ちゃんが今日最後のお客さんを見送った。閉店だ。華ちゃんがレジ締めをしている間、ぼくはキッチンの清掃を済ませ、それから客席の掃除とゴミ捨てを始めた。


「ゆうちゃん、おつかれさまでした」


 華ちゃんが笑いかけてきた。華ちゃん目当てで来店するお客さんもいるという話を耳にしたことがあるが、それもむべなるかなと思わざるを得ない笑顔だった。


 *


「赫い目の女、ですかあ」


 一時間足らずで片付け終え、着替えも済ませたぼくたちだったが、その後、店内でだらだらしていることがままある。今夜もそうだった。テーブルに向き合い、ぼくはテスト勉強を、華ちゃんは大学の課題をやっている。


「私も聞いたことありますよ。というか、今日、静人しずとさんとその話をしました」

「静人さんと?」


 店の常連の一人だ。


「静人さんの推理では、動物の見間違えではないかということでしたね。よく兎の目は赤いと言いますが、別に兎に限らず、草食動物の目は夜間のライトに当たれば赤く反射します。アルビノの鹿や猪の死体を見た人が、白い服の女性が倒れていると思い込んで生まれた都市伝説なのではないかって。さすが静人さん、東大の院生さんだけあって説得力がありましたよ」

「専攻が犯罪心理学なんでしたっけ? 知的なひとですよね」


 そんな話をしていると、店長が別室から出てきた。やりつくした顔をしている。どうやら今日の研究はここまでのようだ。


「お前ら、そろそろ終電だぞ。最近、この辺りは不審者騒ぎも出てるし、危ないからさっさと帰ってくれ」

「不審者、ですかあ?」


 華ちゃんが問うた。


「ああ。今朝、俺の携帯に来た地域防犯情報メールによれば、夜中に女性がワゴンに引きずり込まれそうになったって話だ。そんなわけだから、二人で一緒に帰れよ。俺も鍵を閉めたらすぐに帰る」


 ぼくは、左手に嵌めたごつい腕時計を見た。既に夜の十一時を回ろうかというところだった。

 華ちゃんは笑顔で、


「はいはーい。じゃ、てっしゅーします!」


 ぼくたち二人は店長に挨拶をして、店を出た。そのまま駅に着く。ちょうど終電が来ようかというところだ。


「じゃまたね、ゆうちゃん。おっつぅー」


 華ちゃんは手を振ると、反対方面のホームに向かってちょこちょこと歩き去っていった。ストライプのスカートにキャラものの白Tシャツ、ミニリュックを背負ってボルドーのキャップを被った華ちゃんは、遠目からだろうが傍目からだろうが、大学生にはとても思えない。ぼくと同い年とも思えない。なぜか店長が労働基準法違反の悪徳経営者に思えてくるから不思議だ。


 閑散としたホームから電車に乗り込む。車内にも人気がない。疲れ果てて眠りこける中年サラリーマンの隣に座った。

 携帯を開くと、綾乃先輩からメッセージが来ていた。


『アカイノ、アオイノ、ドチラガホシイ?』


 それだけだ。


「これは……」


 この有名な都市伝説はぼくも聞いたことがある。

 いわゆる『赤い紙、青い紙』と呼ばれる学校の怪談の一種だ。放課後、人気のないトイレに入った生徒が用を済ませた後にトイレットペーパーがないことに気づく。すると頭上から「赤い紙がほしいか、青い紙がほしいか」と問う不気味な声が降ってくるというものだ。


「けど、どちらを答えても……」


 殺される。

 殺され方にはヴァリエーションがあり、赤い紙と答えれば斬殺や刺殺のような全身が赤く血まみれになるような殺され方をするし、青い紙と答えれば今度は全身の血を抜かれて真っ青になりながら殺されるというわけだ。


 どちらを選んでも地獄逝きの、理不尽にして残虐な罠。


「何も答えないという手もあるけど……」


 それでは、用を済ませた後に拭くものが無いという絶望的な状況から抜け出せず、何にしろ詰んでいるわけだ。

 同様に。

 このぼくが綾乃先輩からの連絡を無視する選択肢はなかった。


 ぼくは少し悩んだが、結局、


『じゃあ、紫で』


 と、返答をした。

 元ネタの怪談では、赤でも青でもない別の色を答えると冥界に引き込まれたり、色にちなんだ陰惨な殺され方をするのだが、助かった例もあったような気がする。


 まあ、先輩の返信を――もとい、お手並みを拝見といこう。


『紫かあ。ゆうくんって紫が好きだったっけ?』


 即座に返信が来た。


『わたしは紫、あんまり好きじゃないんだよね。わたし的には、ゆうくんには赤が似合うと思う。てゆかさ、なんで赤青二択で紫? どんだけ紫が好きなの(笑)』


 さっきまでのおどろおどろしいカタカナ文面から一転変わって、いつもどおりの先輩に戻っている。ちなみに先輩は昔から文章だとけっこう砕けている。


 しかし、ぼくには赤が似合うとはいったいどういう了見なのだろう。ぼくに、全身赤く血まみれになって死んでほしいということだろうか。笑えない。


『何の話でしたっけ』

『え? 今度買う予定のゆうくんが穿くスカートの話だけど?』

「どんな質問の仕方だよ! 二択どころか何をどう答えても地獄逝きじゃないか!」


 隣で眠っていたサラリーマンがびくりと震えて目を覚ますと、胡乱うろんげにぼくを見た。

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