1-2
今日の放課後も、待ち人は来たらず。
またか。
ぼくがこの高校に入学してから二ヶ月が経ち、夏も近いというのに、いまだに月に数回はこんな調子である。
いや、夏が近いからこそだろうか。
新入生くんが増えるとどうしてもね、と彼女は言っていたものの。
ぼくは待ち合わせ場所にしていた正門横のベンチから腰を上げると、現場候補の一つである体育館裏に向かう。
と――
「
ぼくは慌てて壁の後ろに身を隠す。
首だけ出して覗いてみれば、遠目に男子生徒の後ろ姿と、彼女――綾乃先輩の姿が見えた。
「入学した時から一目ぼれでした。俺と付き合ってください」
そう言って頭を下げた彼は、確かサッカー部のレギュラーの二年生だったか。学年が違うぼくでも顔を見知っているような有名人だ。
それにしても見飽きているのに、慣れない光景だ――
他人の告白というものは。
ふと、綾乃先輩と目が合う。
ぼくに気づいた先輩は、伸ばした人差し指を自分の口元に当てた。
彼が頭を下げているわずかな間――ぼくにだけわかるように。
「ごめんね。わたしには大切なひとがいるから」
男子生徒が顔を上げた。
「ほかの人の相手をしている暇はないの」
先輩は透き通るような笑みを浮かべて言った。
見慣れた非日常的な光景は、ものの三分もかからずに終わる。
次の瞬間には、体育館裏はいつも通りの静寂に戻っていた。
*
「ゆうくんに見られちゃったね。はずかしいな」
学校を出て駅まで向かう道すがらだった。
綾乃先輩と並んで歩く。緩やかな坂道を下っていく。下校のタイミングがずれたためか、ほかの生徒は見当たらない。
「先輩はずいぶん余裕に見えましたけどね。覗き見するつもりはなかったんですが」
「長く待たせちゃったね」
「今日のひとは、そんなに本題に入るまでが長かったんですか」
ぼくが鉢合わせた告白シーンの前に、終わらない愛のセレナーデを奏でていたのだろうか。そんな性格には見えなかったが。
「のんのん。実はね、今日は彼の前に、もうひとりいらっしゃってさ」
ダブルブッキング。そう来たか。
「一日に二回も告白されるひとなんて、初めて見ましたよ。綾乃先輩、これで高校に入ってから、何人目ですか」
「わたしが去年入学してから、二十名様までは体育館裏にご案内した記憶があるけれど、そこから先は覚えてないなあ」
そして全員が無条件にエントランスでお引き取り願いますなのだった。
「中学の時は三年間で三十人でしたっけ」
あの頃はまだ先輩の髪は黒かった。高校生となった今は、肩にまでかかる髪はダークブラウンに染め上げられて、ぼくの隣で艶やかになびいている。夏風に吹かれて、わずかに甘く香った。
「誰かと付き合わないんですか」
それだけよりどりみどりなら、先輩のお眼鏡に適う人物が一人くらいはいてもおかしくないだろう。
「まさかゆうくんが浮気を勧めてくるとは。愛人を作れっていうの」
「ぼくたちはそんな関係じゃ……」
「そうねえ、そうだよね。わたしたちって、姉妹に間違えられちゃうくらいだものね」
先輩が白い歯を見せながら言った。こうして並ぶぼくたちは、小指の先ほどにわずかではあるものの、先輩の方が、背が高い。
「もう……じゃあそのまま百人斬りでも目指してください」
「たとえでなく本当に全員斬ってもいいのなら、わたしも少しはやる気が出るんだけどな」
先輩は小さく舌を出すと、でたらめなメロディを奏でるように言った。
冗談には聞こえなかった。
*
「どっちがいいか迷うなあ。目移りしちゃうぜ」
今日のぼくたちの目的地は、駅の西口に建つ、先日改装されたばかりファッションビルだった。新装開店のショップで、綾乃先輩がはしゃいでいる。
「ねえねえ、ゆうくん。どっちがいいと思う」
先輩が両手に抱えた服は、片方は肩がざっくり露出するオフショルダーのピンクのワンピースで、もう片方は胸元が涼しげな黒の刺繍ブラウスだった。
「どちらもとても似合うと思います」お世辞でなくぼくは本心で言った。それぞれの服を着ている先輩の立ち姿を想像する。大人びた先輩のイメージと違って、年相応の服装だが、それがまたよく嵌まりそうだ。
「良い返事だね。わたしもこれはゆうくんに良く似合ってると思ったんだ。じゃあ両方買っちゃうかあ」
先輩は、やにわにぼくの身体にブラウスを当てながら、花が咲いたように笑って言った。
あれ? 急に何を言っているんだろう、この綺麗なおねえさんは。
「いやいや待ってくださいよ。ぼくに似合う必要はないでしょう」
「え? でも今日はゆうくんに似合う服を探しに来たんだよ?」
先輩は首を傾げた。
「そうだったんですか。けどぼくがそんなブラウスを着るわけないですよね。男子高校生が清楚アピールしてどうするんですか」
「これね、新商品。刺繍ブラウス違う。着るテーブルクロス。今、流行ってる」
「いきなり片言になりましたね。そしてたとえ流行っていたとしてもぼくはテーブルクロスを着て街を闊歩する気にはならないですね」
「仕方ないなあ。じゃあこっちだ! わたしたちは今年の流行のフロントラインをいこう!」
先輩はピンクのワンピースをぼくの身体に当てた。
「なぜか自信ありげに言いますけど、これはもう普通にスカートですよね。もう隠す気もなくて、勢いさえあればぼくがスカートでも穿くと思ってますよね」
「ゆうくんはけちだな……いいじゃない、減るもんじゃないんだし」
「減るよ! ぼくの男の尊厳が減ります!」
「むしろ着られる服が増えて、開くよ? 新世界」
「そんな世界は開かないでいいです。
先輩は文句をこぼしつつも、服を棚に戻すと、切れた凧のような気ままさで次の店に向かう。
「まったく……」
今に始まったことではない。ぼくが中学を卒業した春休みあたりから、先輩はぼくに女物を着せたがる。「ゆうくんはかわいいし、絶対に似合うよ」と言うものの、当然、似合う似合わないの問題ではない。唯一、中学校の卒業祝いには男物の革の時計をプレゼントしてもらった。それだけはぼくも気に入っていて、たいていはそれを身につけている。
「ね、じゃあこれは」
次の店で先輩が手に取ったのは薄手の白いロングカーディガンだった。
「いや、それは女物でしょう……」
と言ったものの、さっきまでとは打って変わって、中性的な印象だ。先輩なりの妥協点らしい。
「だめなら、ここで一生のお願いを使う。わたしにはその覚悟があるよ」
「意味不明に格好よさそうに聞こえますけど、先輩の一生は本当にそれでいいんですか」
「ねえゆうくん、本当にだめなの?」
綾乃先輩が上目遣いでぼくの頭の中までも覗き込むように見つめてきた。
磁力にも似たその魔力に抗えないことは、とっくの昔からわかっている。
彼女の瞳に映るぼくは囚人の姿をしていた。
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