化石

莉菜

化石の思い出

 今日もなんでもない1日になるはずだった。

 大して楽しくない中学生活。もう2年の秋だ。別にぼっちじゃない。喋る人はいる。でも誰とも決定的に何かが噛み合わない。しゃべっていても私と彼女の間に見えない断崖絶壁がある。私にも彼女たちにも絶対に越えられない障害。だから、私には親友なんて呼べる人はいないし、ましてや彼氏なんているはずもなかった。


 チャイムが鳴った。理科の時間が始まる。教師は担任のまだ若いけど既婚の女教師。地学が専門。水色の外車に乗っていつもちょうどいい時間に学校にやって来る。4月の出会いからずっと一番好きな先生だった。ここらの一番の高校出身だと言っていた。白衣に子供の靴下が入っていたり、白衣の背中がびりっと破けているのに気づかなかったり、美術センスが壊滅的だったりするけど、授業はどの先生よりもわかりやすく頭がよくて、筆記具は万年筆で、いつも手はインクだらけ。でも、何より、目がキラキラしている。私はそんな先生のちょっと不器用な後ろ姿に憧れ、いつも眺めていた。


 今日の授業は実験なので、理科室に移動した。

 いつも通り授業が進み、班で実験する時間になった。先生がそれぞれの黒いテーブルを見回る。私の班は少し遅れ気味だった。それを察して、先生は私達のテーブルにやってきた。テーブルに手をついて実験器具を覗き込む。いつものように。


 ドクン。


 なぜか私の心臓はいつもと違う動きを始めた。なぜか頰も熱くなった。


 先生はもっと遅れている班を見つけてすっと去っていった。向かいに座る友達はいつも通り話しかけてきた。理科の時間だというのに、家であった心霊現象を話す。私の内面いっぱいに広がる高揚には気づかない。自分が友達にどんな相槌を打っているのか把握できない。


 全部の班の実験が終わった。

 先生は前に立って、他の班の結果を見に行くように指示した。


 私はドキドキしたままの心臓を抱えて、席を立った。ふと前を見たくなった。先生と目があった。0.1秒。後頭部から電撃が走った。


 私の脳内は、「好き」で埋め尽くされた。


 心臓はますます圧を上げた。でも、「好き」は我が理性部隊にまけ、なりをひそめた。


 心臓のばくばくと戦っている間に授業は終わった。友達とも喋らず、一番に教室を出た。



 少し歩いて、これが「恋」なのかもしれないと思い当たった。


      *


 その感情は私にとっては大きすぎて受け止められなくて、かと言って、断崖絶壁を超えて誰かに打ち明けられるわけもなくて、心の奥底の倉庫に鍵をかけてしまってしまった。でも、今でも時々、こうしてちょこっとだけ鍵を開けて、化石になったその思い出を眺める。断崖絶壁を越えた親友とともに。

 

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化石 莉菜 @mendako

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