終章 夢でも現でも

夢でも現でも

 鞄に書類を詰め終わると、部屋を一望した。世話になった研究室とも今日が最後の別れである。ケジメと思って念入りに掃除をしたので、所々に光沢が張ってある。

 卒業式は明日だが、そちらの方は出る気はない。二度も出るのはなにかおかしい気がした上、大事な用がある。

「早馬くん、明日の打ち上げは……」

 同室の学生に声をかけられた。

「ああ、ちょっと行けない、ごめん、最後なのに……」

「いや、いいんだ。ご家族の方を大事にして」

「ありがとう」

 年の離れた自分であったが、ここのみんなとはよき学友として付き合いを持てた。志は年齢など問わないのだろう。

 鞄を持って部屋を出る。身を翻すと、自分を育ててくれた研究室に軽く礼をした。

「さて、ちょっと急ぐか」

 娘の終業式の迎えに行くのである。妻とは現地で合流することにしている。

 

 あの未曽有の震災から五年が経過した。修二は事件の後、一度は卒業した、北羽工科大学改め、北羽総合大学の医学部に学士入学を果たした。教養課程は免除され四年目を終える今日、卒業の運びとなった。

 記憶はとうとう取り戻すことはできなかったが、今となってはそんなものは些末な問題に過ぎない。

 駐車場に向かって、早足になる。娘の明梨を怒らせると後が怖い。口をきいてもらえなくなる。四月から四年生になるのだが、最近は難しいものの見方をするようになってきた。

 妻の由希はもう一度学生をやる自分を理解して、よく支えてくれた。これからは研修医として自分が返していかねばならないと決意している。

 あの日、家はなくなってしまったので、しばらく西浜区の早馬の家で生活していた。父母に修二、由希、明梨、そして新たに居候となったあの牛模様の猫と共に。

 北海道から駆けつけた義父は豪快な人物で、「ボケちまったんだってな」と修二の記憶喪失も意に介さず、大笑するような人だった。

 彼の指導の下、新村建設により、由希の家は再建され、再び修二たちはそこで生活することになった。義父も一年ほどいたが、また北海道でマタギをやるとのことで去ってしまい、今はもう四人暮らしである。


 駐車場まで赴き、車に乗り込む。免許は持っていたが、教習所で再講習を受けた。

車を発車させ、高速にかかると街の景色が一望できた。

 五年経った今でも、復興は完全とは言えず、がれきの撤去が終わっても、更地のような状態が続いている土地がまばらに見える。遠目に見える仮設住宅群での生活を余儀なくされている人々も依然として存在する。 

 車が見覚えのある高架道路に入った。


 ここは……。


 五年前にハイキングに行った日に通った道路、あの日に見えた幻影を想起する。

あれは予兆だったのかもしれない。なんらかの災厄が訪れることを予知した自分が、タイムリープのような真似をしてそれを過去の自分に伝えようとし、その過程で十五年の記憶が抜け落ちることになった、そんな仮定を心中で抱いている。

 あれから五年、両親は特に変わらず生活しており、しょっちゅう遊びに来いとの催促を送ってくる。

 奥山は嘱託として教育現場に復帰した。前の退職は、生徒間のいさかいを処理できなかったことが原因の辞職だったらしいことも知った。震災を機にもう一度、挑戦しようと決意したのかもしれない。

 吉本は、復興事業団に入り、街の再建にたずさわるようになった。修二と誠一も時折顔を出して支援している。

 誠一は、あの女性と結婚した。今は、息子も一人できて、苦難続きであった彼の人生にもようやく光が差したような充実感に満ちているように見える。サッカーも続ける気になったらしく、近所の少年サッカーチームのトレーナーなどをやっている。

 学校が見えてくると、ちょうど妻の姿も確認した。ラジオを切って車を停車する。こちらを認めた由希が歩き寄ってきた。

「お疲れ様、修二さん」

「あ、ああ……ありがとう」

 未だに、妻の微笑を見るだけでドキッとする。彼女に恋をしてから、まだ五年だから仕方ないといえば仕方ない。

「ふー」

 彼女の足元から声がした。

「ああ、ごめんごめん」

 由希の足を掴んだままこちらを見ている幼児がいた。三才の少女、早馬明音、二人の間にできた次女が修二を警戒するようにジッと見ていた。昔の明梨そのままの仕草にしょっちゅう笑わされる。

「ほら、明音おいで」

 しゃがみ込んで手を伸ばすも、来てはくれない。

「もう、この子は……」

 由希が明音を抱きかかえる。頭をなでてあげようとしたが手で阻止してきた。

「ハハ……」

 父親としては悲しいところである。

「ああ、来たみたい」

 由希が視線を向けた先から、ランドセルをしょった少女が一人、歩いてくる。


「やあ、明梨……」

「うん……」

 相変わらずぎこちなくも、会話を交わせるようにはなった。親子というよりは兄妹みたいな感覚だが、少しづつ絆のようなものは築けてきたと感じる。

「忘れてるものとかないよね? 四月には教室も変わっちゃうんだから充分確かめて」

「大丈夫」

 由希の話を遮るように言う。

「それじゃ、行こうか」

 三人を車に乗せてから、明音をチャイルドシートに固定した。

「夕食会は六時からだから、五時には家に戻ってきなさい」

「わかってる」

 友達と桜を見に行くらしい。早いもので、三月のこの時期にもういくつか咲いているものがある。

「お父さん」

「……え、ああ、なんだい?」

 珍しく娘の方から話しかけられたのが、たじろいでしまった。

「楓さんの結婚祝い、なにがいいかな?」

「そうだなぁ、あいつのことだから実用的なものがいいんじゃないのか。簡単な湯飲みとか」

「……センスない」

 聞くんじゃなかった、という様子で顔をそらす我が娘。そんな言葉も使うようになったのかと、少々感心してしまった。


「それにしても、あの行かず後家もいよいよ結婚かぁ」

「修二さん……!」

 由希が怒ったような視線を向ける。子供の前で変な言葉を使うな、ということだろう。楓とはずいぶんラフな口の聞き方をするようになった。元々、こんなだったらしい。

「冗談だよ、同じ事務所の年下の人だっけ」

「うん、とても真面目そうな方で……ふふっ」

「な、なに?」

「修二さんに少し似てるかも」

「……そりゃ、あまり会いたくないな」

 それでも今日この後、顔を合わせることになる。楓からの紹介も兼ねた夕食会にする予定となっているのだ。

「普段着でいいんだよね?」

「うん、フォーマルなお店じゃないから自由にしてって」

「ねえ……」

 後部席の明梨の顔がミラーに見えた。

「うん? どうした」

「お父さんの、病気って……もういいの?」

「ああ……」

 この話題になると、さすがに応え方に悩む。いずれこの子が、理解できる年になったら話そうということにはなっているが、それがいつなのかまだわからない。

「明梨、そのことは……」

 振り返った由希を手で制した。


「それなんだけど……、うん、最初から病気なんかじゃなかったみたい」

「そうなの?」

「ああ、夢でも見てたんだろう。きっと……」

 夢か現か、今となってはどうでもいいことである。

 こうして、由希と娘二人がいるこの現実こそが自分が守るべき世界であり、過ぎ去った記憶など大した意味を持つものなどではない。それが修二の結論だった。

「明日は、ハイキングだからちゃんと用意忘れないように」

「うん」

 五年ぶりに、またあの山に行く。今度は余計なことを考えずにじっくり楽しむつもりでいる。

 そうこう話しているうちに家が見えてきた。手前で止めると、明梨が降りて往来をしてくれる。頼むこともなくそういうことをしてくれるようになったのがうれしい。

 由希が明音を抱いて、出た後に続いた。

「私が……」

「気をつけてね」

 妹を抱きかかえると家の中に入っていく。

「あ……」

「どうしたの?」


 また少し過去が見えた。ずっと昔に見たであろう由希が明梨を抱きかかえて家に入っていく姿、たまにこういうフラッシュバックのような現象を起こす。

「いや、俺……」

「うん?」

「由希と一緒になれてよかったなって……」

「も、もう……。なに言い出すの」

 赤面して俯く由希、何歳になろうとも少女みたいな挙動をする彼女がおかしくもかわいく見えた。

 春光が頭をぼんやりさせてくる。おぼろげに見える遠い日の二人、崩れ去った前の家が見える。

 由希と結婚して間もないころだろう。家の玄関に入ろうとするも緊張からどうも足元がおぼつかなかった。これから二人で暮らしていくことに対する漠然とした不安がそうさせた。そんな自分を由希がそっと手を引いて導いてくれた。あの時、由希が言った言葉、それは、

「おかえりなさい」

「……ただいま」

 ようやくそれ口にすることができた。

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