再会 (5)

「じゃあ、お前は今、その、精神的に中三なわけか?」

「うん……信じられないかもしれないけど……」

 とりあえずこれまでの経緯を説明した。

「あの後、西浜にいたんだろ? その、三年になってからの五月……ふぅん、よくわからんな」

「あ、あの……」

 恐怖を踏み越える勢いで、口に出して聞いてみることにした。

「若槻は、あの後……」

「ああ……、お袋とここの、北山区に引っ越した。近所で顔を見るのは耐えられない、って言われたからな……」

 あの女児の両親にであろう。


「その、裁判とかは……?」

「俺は審判じゃ、不処分だったよ。要するに無罪ってことになった。他のやつらには悪い気がしたがな……」

「そんな……お前はあれを止めてた側じゃないか」

 当然だと思う。若槻も被害者と言えるだろう。

「ああ、だが、それで俺に責任がなかった、とは言えないだろう。みんなを指揮する立場だったわけだし。民事の方は……全員の連帯債務になった。俺個人の分は三年前に完済したが、まだ……」

 言いよどむ。支払いから逃げている者がいる、ということだろう。


「でも、なんで俺の所に来たりなんかしたんだ?」

「あ、ああ……、色々、当時のこと、ショックを受けたことを調べてて、つまりあの事件の時、それでお前に言われたあの言葉が気になり始めたんだ」

「……? 俺、お前になにか言ったっけ?」

「だから……」

 幻聴がする、あの鳴りやまないサイレン。脳裏に這い寄る記憶が見せる血が張りついた路面。胸を押さえる。

「俺はあの時、図書委員の仕事で行くのが遅れて、あの現場にはいなかっただろ」

「ああ、そうだったな……」

「俺はあの時、あの事件を、校舎の窓から見ていたんだ……。でも、近くに行って救護活動に加わることができなかった……! それは、そうすれば、巻きまれると思ったからだ!」

「お、おい、落ち着け……!」


 誠一が制止するも修二は止まらない。

「それで、人だかりができて、やっと近づいた時、お前に言われた、なにしに来たって……」

「……」

「俺は、卑怯だった……。自分だけが、のうのうと責任逃れして……」

「……そんなこともあったな」

 若槻がなにかを思い出したかのように、夜の帳がおりた空を仰ぐ。

「どうして……あの時、あんなことを……」

「別に、言葉通りさ」

「え……?」

「実際、無関係だったくせに、わざわざ現場に足踏み入れるなんて、馬鹿じゃねこいつって思ったよ」

「あ……」

 絶句してしまった。


「下手すりゃ、お前までしょっ引かれかねないほど、警官達は怒り狂ってたからな。それなのに、テープ跨いでやってくるなんて、呆けてんのかと思ったぞ」

「あ……あ」

「ふーん、その言葉ね……」

「べ、別にお前を責めに来たわけじゃないんだ! ただ、どうしても気になってずっと聞きたいと思ってこんなとこまで……」

 しどろもどろになりながら、手振りで弁明する。

「まあ、今、言った通り別に深い意味なんてないよ。つうか今日までお前の事ずっと忘れてたくらいだ。もう、自分のことだけで手一杯でな……」

「大変だったろ、少年審判っての……」

「ああ、それもきつかったが、あの女の子の……その、意識が戻らず、包帯でぐるぐる巻きでベッドに横たわってるのを見せられて、もう死にたいくらいだったよ……」

 唇を噛んで若槻の背を見る。

「それでも、後輩たちは守らなきゃならないって思ったし、進路が決まった先輩たちに迷惑かけるわけにもいかないと決めて、あの場にいた二年全員で責任を負うべきってことになったよ。納得してくれなかったやつらもいたが」

 あの反若槻グループの手合いかもしれない。


 あいつらが諸悪の根源だってのに……!


 心中で唾棄する。

「吉本先生にもずいぶん迷惑をかけた……。ご自身まで辞職して、どんなに詫びても詫びきれないくらいだった」

 今でも季節の挨拶を怠らない、というような話を聞いた。それだけ、心苦しく思い続けた十五年だったのだろう。

「さっき、会ったばかりなんだ、先生が今、勤めてる会社で……」

「そうか……。先生はずっと俺たちを弁護してくれたよ、責任は全部自分にあるって、それが本当に辛かった。お袋も、勤め先を変えて……。俺たちだけが断罪されるならまだしも、周りの人たちまで巻き込んでしまうっていうのが……」


 そうだろう……。もし俺が、今、過ちを犯せば、苦しむことになるのは……。


 由希と明梨の顔が浮かぶ。

「他のやつらは……?」

「さあ……今頃、どこでどうしてんだか……。連絡取ってるようなやつはいないよ」

「でも債務の方は……」

 連帯、と聞いている。よくは理解していないが、全員分の支払いが終わるまでは無関係ではいられないのではと考えた。

「俺は……三年前に連帯免除してもらえたんだ」

「え?」

「もう充分だ、と言ってもらえた……」

「そう……なんだ」

 長年の誠意が通じたのかもしれない。彼が今日までかけた贖罪の年月、本来謳歌できたはずの失われた時間、それを思えば、修二も言葉が出なくなった。


「それで、高校の記憶もないわけ?」

「ああ、そこで今の奥さんとも知り合ったらしいんだが、さっぱり……」

「え……?」

 誠一が固まる。

「どうしたの?」

「お、お前、結婚してたの?」

「ああ……娘もいる、四才らしい……」

 開いた口が塞がらなくなる若槻。

「あ、あの……」

「そうかぁ、ハハ、そりゃよかったな」

 そういって微笑んでくれた。なにか気恥ずかしくなる。

「そ、そういう、お前は、高校はどこに……?」

「行かなかったよ」

「え?」

「俺の家、母子家庭だったからな、とてもお袋一人に任せるわけにはいかないと思って……」

 表情に陰が差す。やはり、重い十字架を背負って生きてきたのだろう。

「悪い……」

「いや、俺の責任、だからな……」

「あの馬鹿どものせいだろ……」

「俺の責任さ……俺がキャプテンになってからの方針ってちょっと、いやかなり独りよがりだった、だろ?」

「別にそんなこと……」

 修二の言葉を聞いてないわけではないだろうが若槻は話し続ける。

「どこかで自分中心の考え方になってたんだろうな、もっとあいつらの希望や言い分ってのを腰を据えて聞いていれば、あの時だって、俺の言うことに従ってくれたかもしれないのに……」

「それは……」

「結局のところ、自業自得さ、そう自分自身に言い聞かせることにしたよ」

「……」


 ふと、誠一がシートの下に足を延ばして、なにか取り出す。サッカーボールだった。

「ふん、なかなかいいやつだな」

「それ……」

「近所のサッカークラブの子どもたちのものだろう、自分で稼ぐようにならないとわかんないんだよな、これ一つ買うのも楽じゃないって」

 足で持ち上げて、リフティングを始める。

「まだ、やってるのか……?」

「個サルを少しだけな」

「コサル?」

「個人フットサル、適当に集まっただけの人間が即興でチーム作ってやるゲームだよ」

 どこかのサークルのチームに入る気にはなれないのだろう。

「俺、本気だった……」

「え?」

「本気でプロ行きたいと思ってた」

「ああ……」


 行けたかもしれない、この男なら……。


 修二も改めて、あの事件を呪いたくなる。

「それももうやめようと思ってる。結婚したら、もう自分の時間も少なくなるしな」

「ああ、吉本先生からも少し聞いたよ。ひょっとして、さっきのあの女の人が?」

「ああ、斎木美優ちゃ……さん、五才年下で付き合ってもう八年だ」

「そんなに?」

「そりゃ債務抱えたまま一緒にはなれなかったからな、そっちの方が片付いた……ってわけでもないが、取り合えず俺の負担部分は払い終わって、ある程度余裕ができて、ようやくってとこ」

 誠一はボールを落とすことなく流暢に語って見せる。

「そうだったのか……」

「どうだ、少しやってみないか?」

 ワンオンワンをだろう。誠一がボールを落としてキープする。

「いまさら……」

「なにか思い出せるかもよ」

「……わかった」


 ジャケットを脱いでシートに置く。

「よし、そんじゃ俺がオフェンスで行くぞ」

「ああ」

 少し離れた所から、誠一がボールを前に蹴りだす。


 来る……。


 手前まで来たのを捉えて、次の動きを予測し、前に出た。

 ボールが、誠一の足さばきに吸着するかのように動いていく。


 キックフェイント……? いや……、


 誠一がボールをまたいで左で蹴るのかと思ったら、右に流れてずれた。


 シザース……!


 抜かれてしまったその時、

 脳裏に強烈な閃光が走った。目からではなく、頭に直接流れ込んでくるようなフラッシュバック。多くの黒い影が駆ける、灼熱のグラウンドが見える。

 舞起こる砂煙、陽炎で歪んで見えるゴールポスト、自分を抜き去った相手は……。

「……」

 無言で棒立ちになる。今、確かに過去を幻視した。

「どうだった?」

 誠一の声で我に返った。

「あ、ああ……、なにか見えた気がした……」

「ふむ」

 なにかが肌に付着する。その先を見ると、数人の子どもたちがこちらをじっと見ていた。

「ああ、これ君たちのかい?」

「……はい」

 気が抜けたような返事、見入っていたようだ。

 ボールを彼らに返して、シートに腰かけた。誠一が前に来たその時、携帯が鳴った。自分かと思ったら誠一のだった。

「ああ、美優ちゃん、ごめん、今戻るから」

 時間をかけ過ぎたようだ。心配になって電話したのだろう。

「え? 違うよ、心配ないって……」

 どうも借金取りかなにかと思われたらしい。

「昔の友達が訪ねてきて、ちょっと昔話に花を咲かせてただけだよ」

 友達、と言ってくれた。そのことがうれしく、心苦しい。誠一が携帯を切った。

「早馬、悪い俺、そろそろ……」

「ああ、こっちこそごめん、こんな時間に押しかけて……」

「いや、なかなか楽しかったよ、喉元に突き刺さっていた骨が一本とれたのかもな」

 さわやかに微笑むその顔を、昔も見たことがあったのかもしれない。

「それじゃあ……」

「待った、連絡先だけ教えてくれないか? なにかあったら、また来いよ」

「ああ、ありがとう……」

 若槻とアドレスの交換を終えて、帰路についた。

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