再会 (3)

「あ……」

 一瞬、呆然とした。そこにいたのは、老人と言っていいほどやせ細った体の男、髪はすべて白髪だった。デスクワーク中のその男がこちらの気配を察知して、振り返る。

「……? お……」

「あ、あの……!」

 呼びかけたはいいが言葉が構築できない。自分にとっては二ヶ月半ぶりの、彼にとっては十五年ぶりの再会であった。

「ええっと」

「あ、あの奥山先生から話が行ってると思うんですが……」

「ああ、待っていたよ。早馬くんだったかな?」

「は、はい……!」

「西浜中の元生徒さんで……」

「ええ……!」

「……段々、思い出してきたぞ、ハハッ、そうだ、早馬修二だったな。サッカー部でレフトフォワードの」

 吉本が破顔する。修二も肩から力が抜けていった。


「お、お久しぶりです先生、早馬です」

「いやあ、懐かしい! どうだ元気でやっとるか!」

 年老いてもなお、腹から出てくるような意気軒高な声音は、まさしく修二がよく知る吉本であった。

「ええ、あ、いや元気というわけにはいかない事情がありまして……」

「ああ、そうだったな。記憶喪失、というのは?」

「実は……」


 吉本にこれまでの経緯を伝えた。特にいぶかる様子もなくこちらの話を事実と理解してくれたようだ。来客用の一室に案内され、対面で座ることになった。

「ふーむ……、それでは、君にとっては、俺があそこを辞めてから、まだ3ケ月ほどか……」

 吉本が考え込むように、口元を押さえる。

 そこに見えた口ひげもすっかり白くなっていた。


 先生は、あの時もう五十近かっただろう……。そこからの再就職……。


 険しい道のりであったであろうことは、修二にも想像できる。そこに至らしめた原因が自分たちにあるという事実が心を責め苛む。

「先生はあの後……」

「ああ、退職して、ここでタクシーの運転手をやってたんだが……。去年あたりから、腰にガタが来るようになってな。内勤に回してもらったんだ」

「……すみません」

 立ち上がり、深々と頭を下げて、視線を落とすと膝が震えているのがわかった。

「あん?」

「俺たちが、あんな馬鹿やったせいで、先生にまでこんな迷惑を……!」

「……君が謝るようなことじゃない。すべて俺の……不徳の致すところ、ってかっこつけてもしょうがない……。まあ、こうなったのは俺の責任だ。そのことで、君らを恨んだことは一度もないよ」

 穏やかな笑みでそう言ってくれた。

「俺、ずっと謝んなくちゃいけないって思ってたのに……! どこかで俺は無関係だって心の中で言い訳作って……」

「実際無関係だろう、早馬はあの場にいなかったのだから」

「で、ですが……!」

「相変わらず、だな……」

「え……?」

「どうも君は、あの時から、必要以上にしょい込む癖があった。真面目過ぎる、と思ってたよ」

「そんな、俺なんかが……」

「そうか……。あの時、俺は、審判を受けることになった連中のフォローで精一杯で、唯一残された早馬のことはほとんど気にかけている余裕がなかったな……」


 吉本がどこか遠くを見る目で、視線を窓に向けた。

「みんなはあの後……」

「ああ……、五人が保護観察処分、民事では君を除いた二年生全員が連帯賠償となった」

 手を固く握る。

「学校業務中の出来事ということで、学校と俺も……。いやそのことはいい。ともかく法律上の決着はついた。それであの子と、ご両親の傷が癒えたわけではないがな」

 床に額をつけて謝る吉本の姿をフラッシュバックしてしまった。

「すみませんでした、本当に……」

「もうよせ、それより……ふむ、あの事件が、早馬の記憶喪失に関わっていると考えているんだな?」

「ええ、確証はありませんが……」

「確かに鮮烈な出来事ではあったが、なぜ十五年も経ってからそうなったんだろうな?」

 そこでハッとした。


 あ……、まさか……。


「どうした?」

「あ、あの、ひょっとしたら……ですが」

「うむ」

「お、俺、今、娘がいるんです……」

「ほう、結婚しとったのか……!」

 感嘆したような声を上げる吉本。

「そ、そのようです。知らないうちに子供までいて……」

「いやあ、めでたい! ハハッ、安心したぞ。奥手な気がしてたからな」

 楽しそうに言ってくれる。

「それで、その娘というのが、四才ほどで……、それが原因なのではと」

「どういうことだ?」

「あの子が、その……あの時、被害にあった女子児童を想起させて……。そ、それで色々な記憶の断片、フラグメントとでも言うんでしょうか……。そういったものがごっちゃになって、これまでの記憶の配列がこんがらがってしまった……のかもしれません」

 自分でもなにを言っているのかよくわからなくなってきた。

「ああ、そういう可能性もあるか」

「素人考えですけど……、あと気になっているのは、あの時、若槻に言われたことで」

「若槻? あいつがなにか言ってたのか?」

 吉本が、下を向いて考え込んでいた視線を上げた。

「ええ、ちょっとしたことですが……」

「なんなら本人に聞いてみたらどうだ?」

「え? あっ! 先生、若槻が今、どこにいるか知ってるんですか⁉」

 思わぬ情報に思わず身を乗り出す。

「ああ、いまだに律義にお中元やら送ってくるからな」

「ど、どこに住んでいるんです⁉」

「む……個人情報だが、まあ早馬ならよかろう」

「す、すみません……」

 ずいぶん情報というものに厳しい世の中になったらしい。


 若槻は今、北山区の公営団地にいること教えてもらった。引っ越してから同区に居ついたのだろうか。

「今日にでも行ってみます」

「なにもそんな焦らんでも……」

「すみません、でも、もう今の自分に答えを出さなきゃいけない時期な気がして……」

「わかった、ただ、歓迎してもらえるとは限らんぞ」

「わかってます……」

 彼にとってあの事件がどれだけ忌まわしい出来事であったかは想像に難くない。今さらかつての部員が訪ねてきたら、それだけで不快の極みかもしれない。


 だけど、俺は……。


「少し、心配だな、喧嘩になるような事には」

「大丈夫です、失せろと言われたら、すぐに失せますから」

「うん、膝を割って話し合えば、あいつの心のしこりも少しは楽になるかもしれん、行ってこい」

「はい、それと、先生も、本当にすみませんでした……」

「それはもうよせと、言ったろ」

 吉本が苦笑する。下げた顔の目から熱いものがこぼれ落ちそうになったが、なんとかこらえた。

「それでは……」

「ああ……」

 吉本の会社を出て、道路沿いに来たところで振り返った。これからの帰宅ラッシュに備えてか、外ではタクシーが次々と発車の準備を整えていく。もう一度、礼をしてから、駅に向かって歩き始めた。

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