第七章 再会
再会 (1)
なにかを見ていた、カメラの映像だろうか、砂ぼこりが舞い上がっては消えていく、それがかなりの速さで、動いていく。それを追って見ているカメラも移動しているように感じた。
一瞬、足元に視線が移ると、なにかを足で蹴ったように見えた。丸い球体が勢いよく飛んでいく、サッカーボールと認識した。しばらくそれを追いかけたが、速度を徐々に緩めた。コート外まで飛んでいったのだろう。回収しに行くために歩く。
どこかの建造物の裏手までやってきて、ようやく見つけた。
あ……。
まずったようだ、椅子に座っている誰かが驚いている。いきなりボールが飛んでくれば驚いて当然だろう。頭を下げてから、ボールを取ろうとしたが、なぜこんなところで椅子に座っているのだろうと思い、改めてその人物を見る。制服を着た女子生徒、手にはなにか持っていた。笛のような、なにか。ここで楽器の練習をしていたのだと思い当たった。
改めて、少女に詫びたが、返事がない。鳩が豆鉄砲でもくらったような顔でこちらを見ている。怪我でもしたのかと、聞いたところ、やっと喋ってくれた。大丈夫とのことだ。安心して今度こそ、ボールを手に戻ろうとしたところ、少女がなにか言った。
名前が知りたい、そう言った。別に隠す気もないので、はっきり名乗った。
早馬修二。
少女が硬直する。なにかおかしなことを言っただろうかと思ったら、少女は少し顔をほころばせてみせた。少し、眼前の女子生徒が気になり自分も彼女の名を聞いてみることにした。少女の名は……。
目が開いていく、意識が覚醒を始めたようだ。おぼろげながら、もう見慣れてきた天井がその姿を現した。
「う……ん……」
身を起こす。隣の二人はまだ寝ている。布団をかけなおして、部屋を出た。まだ夜が白み始めたばかりのようで、外はほの暗い。
以前は、徹夜なんて、なんともなかったのに……。
今は、八時間は寝ないとつらくなる。年を取ったということだろう。ぼんやりソファに座り、視線を宙に遊ばせる。
もう十一月に入る。記憶が戻るにせよ、戻らないにせよ。決断しなければならない時期に来ている気がした。
由希さんなら……。
そう思った時、なにか光った。
「え……」
テーブルで充電中のスマートフォン、手に取ると。メールが一通。
「……あっ!」
奥山からだった。食い入るように見る。吉本先生が見つかったとの趣旨のメッセージだった。
思わず電話しようと思ったが、まだ早朝である、返信のメッセージだけ送っておくことにした。不慣れな手つきで入力していく。
緊張で指先が、震えているのが自分でも知覚できた。自分たちの部の不始末で辞職に追い込まれた、西浜中の元国語教員であり、サッカー部の顧問。これからその人物に会うと思うと、震えすら感じる。
吉本先生は、あまり部は見に来なかったな……。
テレビでも校長と彼が記者会見で頭を下げるさまが報道されていた。それを見る度に、自責の念で気がおかしくなりそうだった。
あの日以来、一度も、言葉を交わすことのないまま引責辞任、ただ一人事件を免れた修二をどう思っていたのだろうか。
「会って話そう……」
そう独白した、その時、
「うわ!」
いつのまにか明梨が自分の足元まで来ていた。
「あ……お、おはよう……」
「……おはよう」
返事をしてくれたことに、かすかに感激する。
「えっと、お母さんは……?」
「ねてる」
「そ、そう」
なにかもぞもぞし始めた。
「トイレ?」
頷く。
「それじゃあ」
手を引いて連れて行こうとしたが、さっさと行ってしまった。
「ハァ……」
嘆息して、テーブルにスマフォを戻す。
「んんー……!」
伸びをして、窓を開いた。由希が起きる前に、洗濯物を干してしまいたい。
料理の仕込みまでは手伝えないが、皿を並べて今日、朝食で使うであろうパンもテーブルにセットする。日付を確認してから、ゴミ袋を持って外に出た。
由希さん、以前なら、いつも俺より早く起きていたのに……。やっぱり仕事に家事もやっていれば疲労して当然か……。
心が痛む。少しでも彼女の負担を減らしてあげたい。
だけどそれも……。
弥縫策に過ぎないだろう。根本的な問題はそこではない。問題は……。
ゴミ出しを終えて、家に戻ると、由希も起きてきた。
「おはようごさいます」
修二の方から朝の挨拶をするのは、ここで目を覚ましてから初めてかもしれない。
「……ふあ、おはよー」
思わず耳を疑った。
「ゆ、由希さん……?」
「んー、あかり、ごはん……」
なにかブツブツ言いながら、うつらうつらしている。寝ぼけている、というやつだろう。
しっかり者の、彼女が見せる意外な一面を凝視してしまう。
ふらふらした足取りで洗面所に向かう由希。
「危ないですよ……!」
彼女の手を取って、体を支えるとパジャマがやたら乱れているのに気づいて、赤面する。
う……。
大人の女性の色香に思わずたじろぐ。
「こ、こっちです」
由希の手を引いて、洗面所のドアを開くと、
「え……」
明梨とご対面、台に乗って歯を磨いていた。
「ご、ごめん、ちょっとどいて……」
「むぁむぁ」
口をもごもごさせながらなにか言う。こんな母親を見たことはないのかもしれない。
「うー」
由希が寝ぼけた手つきで明梨の頭をつかむ。
「だ、ダメですよ!」
由希の体を抱き止める。明梨が、驚いて台から飛び降りると、素足をもろに踏まれてしまった。
「いて!」
バランスを崩して、
「うわあ!」
由希を抱えたまま、ずっこけた。大きな音に明梨が驚いて、口の中の歯磨き粉入りの水を盛大に吹きだした。
「いっ!」
座り込む形となった修二の顔にそれがもろに直撃。
「ひ、ひや……!」
ぬれねずみにされた挙句、ミントの香りが顔から鼻に伝わってきた。
「う……ん、修二さん……」
由希がようやく意識を取り戻した。
「あ……ゆ、き」
「……⁉ きゃあ!」
「ぐぁ!」
由希に押し飛ばされる、と同時に後頭部を壁にぶつけていた。
「あ……ご、ごめん、修二さん」
「う、あ……」
由希に手を引っ張られて立ち上がり、鏡を見ると、見事な雪男面になっていた。
「あ……アハハッ!」
追い打ちをかけるかのような由希の哄笑。小さな足音が遠ざかっていく、誰が逃げたのかは考えるまでもなかった。
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