誰がために (2)

「さ、寒くなりましたね。でも、この辺りは風が気持ちいいですよね」

 慌てて、話題を振ってみる。

「そうね、ちょっと湿気が多いけど。お父さんが仕事の都合でここに根を下ろすことにして、私も十二才の頃からずっとここに住んでる」

「建築士でいらしたんですよね?」

 高卒で現場での叩き上げと聞いている。

「うん、この区は。昔は開発が盛んで、十五年くらい前は次々に大型建造物の需要が増えていたころだったの。ここで父はようやく元請にできた会社を伸長させるために大手のゼネコンとも喧嘩まがいの受注争いまでしたみたい」

「はは、そりゃ恐ろしい」

「でも最近はほとんど区域外からの依頼ばかりなの。ここは、景観保全の機運が高まっていて、もうこれ以上のマンションを造るのにも住民が反対していて」

「ああ、それで古風な民家とか未だに残ってるんですか。西浜も見て回りましたけど、もう俺が十五年前に住んでいた街じゃないみたいで……」


 そこで言葉が途切れた。体感、十日ほどしか経っていないのに十五年と言う年月を気楽に口に出せてしまった自分に驚く。

  青ざめかけたが、由希が穏やかな視線を送ってくれた。


「宮大工みたいなこともやっていて、ああ……、そこの神社の修繕も引き受けたことがあったの。そこで、よく楓ちゃんと夏祭りに行ったよ」

 由希が向けた視線の先にある坂道、さらに奥には鳥居が立ち並ぶ階段がある。その山の上に神社があるらしい。古くからの門前町だったらしく、灯篭が並ぶ通り道で老夫婦が犬を散歩させている横で、幼児二人がじゃれ合っていた。

「中学以来の友人でしたか、いいですね、昔馴染みと今でもつきあいがあるというのは……」

 顔をやや伏せる。ここ最近、過去の自分の人間関係を探ったが、昔の知り合いというのは一人もいなかった。

「明梨の七五三も去年やったの、修二さんもカメラ持って何度も撮影して……あ、ごめん……」

「いいんですよ……。俺なんかに気を遣わないでください」

 自分の知らない過去を楽し気に語ったことに負い目を感じたのだろう。修二も知らぬうちに彼女の内面に踏み入ってしまったことに恐懼するような心地になった。


 いい旦那……だったのかな。それは、いいこと、だけど……。


「来年も……あそこに初詣に行けたらいいな……」

「……」

 独白するような由希の声に、答える術はなかった。

 駅近くの交差点までやってきたここで修二は右折して、幼稚園に、由希はまっすぐ駅に向かうことになる。

「それじゃ、俺はここで……」

「うん、明梨のことお願いね」

「はい」

 言葉が続かなくなり、立ち尽くしたまま動けなくなる。仕方なく、自分が先に動くことにした。

「じゃ、じゃあ行ってきます」

 由希が手振りで見送ってくれた。

 しばらく歩いてから、振り返る、由希の背が、いつも以上に細く、小さく見えた。

 並木林に沿って作られた歩道を一人歩きながら黙然と彼女のことを思ってしまった。

 

 俺は、責任を負うべきなのか……? いくら今の自分が、十五年前の中学生の時の自分であったとしても、この十五年の年月は確かにあったものだ。そこで、俺は彼女と出会い、彼女と共に生きる誓いを結んだ……。なら、そのことに対して……。


 懊悩しているうちに幼稚園が見えてきた。近づくにつれ、幼児たちの黄色い声の調べが響いてくる。

「ええっと……」

 手順がわからず、やや狼狽する。成人男性がうかつに接近しようものなら、不審者と見なされかねない、かもしれない。

 とりあえず保護者と思しき一団に近づいてみることにした。

「あら、早馬さん」

 一人の女性が気づいた、自分を知っている人のようだ。

「こんにちは、出迎えってここでいいんですか?」

「ええ、今日は、お仕事はお休み?」

「……そんなとこです」

 俯きがちになりかけたが、すぐ視線を幼稚園の園舎に向けた。児童たちが職員と思しき人たちの話を聞いている。

 しばらく待っていると、さようなら、という声が一斉に聞こえた。と同時に、園児たちが駆けてくる。

「うわっ」

 次々と子供たちが、自分の足元近くを駆け抜けてそれぞれの親の元へと向かっていった。


 あの子はどこだろ?


 明梨を探すも、なかなか見つからない。全員が同じ制服を着ている上、幼児の顔というのはどうにも判別が難しい。

「早馬さん、早馬さん、こっちこっち」

 自分を呼ぶ声を聞いて振り返ると、

「ああ、えっと……」

 この間、あった学童の染川、という人だった。隣に明梨もいる。

「すみません、染川さん」

「うふふ、なかなか大変でしょ」

「ええ……」

 辺りからは児童たちの甲高い雄たけびが、セミの合唱のように聞こえる。


 動物園だなこりゃ……。


 染川の下には、おしゃべりに夢中な児童が六人ほど。

「これから、学童ですか?」

「ええ、共働きの世帯の子はだいたいうちの方に来るんだけど」

 明梨が染川が連れている児童たちと名残惜しそうに最後の挨拶をしていた。

「たまには明梨ちゃんも遊びに来てください」

「ありがとうございます、よし、行くぞ」

 明梨を見る。わずかな間を置いて頷いた。自分が来ることはもう由希から知らされていたようだ。

「それじゃ、もう行きますんで、染川さん失礼します」

「ええ。……早馬さん」

「はい?」

 染川がなにか真剣な顔つきになった。

「人生いろいろ大変なことも多いけど、あまり弱気になっちゃだめよ」

「ハァ……」

「これ私が好きな言葉なんだけど、毎日を生きよ、あなたの人生が始まった時のように。どんな苦しいことがあっても絶対道は切り開けるんだから」

「……ありがとうございます」

「悪い噂があっても気にしないで、私がちゃんと注意しておくから」

「どうも……。それじゃ」

 明梨についてくるよう目線で促すと、彼女が歩き始める。自分も後に続いた。

 どうやら、


 リストラされたとでも思われたんだろうか……。


 多少戸惑いつつも染川の激励に感謝した。

 明梨がずんずん前に進んでいく。


 車道沿いで子どもを先に行かせるのはますいよな。


「おい、ちょっと待て」

 明梨が振り返る。

「俺が先に行く、後からついて来い」

 と言って先に行って見せるが、

「……? どうした」

 立ち止まってついてくる気配がない。


 なんだよ、ぐずりってやつか? めんどくさいな……。


 明梨はまっすぐこっちを見ている。

「言いたいことがあるなら言葉にして言えよ」つい苛立ち交じりの口調になってしまった。


 言葉なんかわかる年じゃないか……。


 嘆息すると、

「あなた、だれ?」

 目を見開く。時が止まったのではないかというくらいに周囲が凍りついて見えた。

「え……?」


 今、なんて言ったんだ……?


「あ……」

 絶句して立ち尽くす修二の脇を明梨がすり抜けて先に行ってしまう。

 修二も慌ててそれを追いかけた。頭は呆然としており、思考がうまくまとまらない。


 この子……。


 ここにきて、ようやく理解した。この少女は幼児なりに父親の異常に気付いて、ここ数日、ずっと自分を観察していたのだと。加えてさっきの冷たく乱暴な物言い、もう後ろにいる男が自分の父親とは信じられなくなってきているのだろう。


 そうだ……、それも当然のことかもしれない。あの日、あの部屋で、目を覚まして以来、この子を娘だなんて思ったことは一度もない。父親らしいことをやってあげたことも……。


 明梨の知る修二なら今頃、彼女と手をつないで、歩きながら色々幼稚園であったことを聞いていたのかもしれない。これでは父親失格だろう。


 俺は……。自分の事情ばかり考えて、なにもこの子に……。


 自分はこの少女のそばにいていい人間ではないのかもしれない、と心に思った。

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