自分を探して (4)

 すっかり日が暮れた通学路を、街灯に照らされながら歩く。少し前までは、初夏にすらなっていなかったがもう冬になりつつある。精神上の事情ではあるが、それでも急激な気温の変化に体が対応しきれていないような気だるさを醸し出していた。

 商店街に入ると、小学生の時によく行った駄菓子屋がなくなって、コンビニになっていることに気づいた。

 

 個人経営だったからな、もたなかったか、引退したか。

 

 しみじみと街の変化を肌身で感じとった。

 

 今日はどうすれば……。

 

 どちらの家に戻ればいいのか、悩む。父母は当然、あの家に修二を戻らせたがるだろう。男の出戻りなどみっともないことこの上ない、という古い型の二人である。世間体も気にして自分を置きたがらないのは目に見えている。

 

 こっちの事情も知らないで!

 

 また苛立ちが募ってくるが誰が悪いという問題でもない。もうこの現実を受け入れるしかないことは、わかりはじめているが、いますぐ大人をやれと言われてできるものか、とも思う。

 

 あそこに帰るしかないのか……。

 

 見知らぬ女性と女児の住む家を自宅と認めることがどうしてもできない。


 俺にとって、なんなんだろうな……あの二人は。


 おぼつかない足取りで一旦、早馬の家に戻った。

 チャイムを鳴らすこともなく、先ほど受け取った鍵を回して、家に入る。両親は、

「……」

 テレビを見ながら夕飯の最中だった。当然、自分の分の膳はない。

「ああ、どうだった修二」

「なにも手掛かりはなかった。奥山先生ももう異動したみたい」

「十五年も経ってりゃなあ」

 父が口をもごもごさせながら喋る。以前はそういう仕草に厳しかったくせに、と思うが、もう自分が子供ではないからそうできるのだろう。

「ただ、俺が捜していた、とは伝えてもらえないか頼んでおいたから……」

「わかった、ここに連絡着たらすぐ伝えるよ」

「ああ……」

 冷蔵庫から、お茶を取り出し、グラスを一つ拝借して飲んだ。


「ええっと、お前、メシは……」

「あっちで食うしかないんだろ」

 嫌味を込める。

 アルミグラスを叩くように置くと、冷蔵庫に貼ってあった由希の家までのルートがマーカーで塗られた地図をひったくるように手に持った。

「おい、今、車出すから」

「一人で行ける!」

 リビングを出て玄関まで肩をいからせながら歩く。

「ほら、これ……」

 母がなにか厚手のジャケットのようなものを持ってきた。無言で受け取ると、シューズを履いて家を出た。

 

 あんな薄情な親だったなんて……!

 

 自分のことは自分でなんとかするしかないと、改めて思い知らされた。こんな状況で頼れる人間がいないという現実に寂寥たるものが背筋を走り抜ける。

 

 頼れる人間……。

 

 あの由希という女性の顔が頭に浮かんだ。

 

 あの人もなんの因果で俺なんかと……。

 

 不安なのは彼女も同じだろう。小さな子供を抱えて、自分の夫がいきなりおかしくなってしまったのでは。

 

 お金だって……。俺はどこかの製薬会社に勤めていたらしいが……。

 

 今の、文字通り中学生レベルの知能と経験でその仕事ができるとは、とても思えなかった。両親から、とりあえずカードを受け取ったが、それで安心できるというものではない。

 

 休職申請中とか親父は言ってたな。俺はこれからどうすれば……。

 

 肩を落として、駅のエスカレーターに足を踏み入れる。帰宅する背広姿の男性たちが妙に眩しかった。

 東区、由希の家の最寄り駅まで着いた。重い足取りで、ホームを出ると、

「あ……」

 由希がいた。明梨も手につないでいる。母から連絡を受けて待っていた、と思い当たった。こちらの姿を認めるとやさし気に微笑んでくれた。事情を知らない人から見れば父親を迎えに来た母子に見えるのだろう。

「お帰りなさい」

「……ええ」

 ただいまとは言えなかった。

 明梨の方を見る。口を開きかけたが、黙ってしまった。一応、会釈で挨拶しておく。

 そのまま二人の後を追うように、彼女の家まで歩いた。二人の背をなんとなしに見つめる。細くて、小さな体。本来この二人を守ってくれていただろう男性は、きっと自分ではない誰かだろう。その誰かが、妙に哀れに思えてきた。今頃、幽霊のように、自分の体を乗っ取った乃至は取り戻した修二を恨みながら見ているのかもしれない。

 

 俺だって、そんな風に恨まれても困る……。望んでこうなったわけじゃないんだ。そもそもなんで忘れたりなんかしたんだよお前は……。

 

 十五年、自分の体で生きた誰か、そいつを殴りたくなってきた。

 家に着くと、昨日と同じように明梨が丁寧に靴をそろえて入っていく。由希が、穏やかな表情でこちらを見ている。軽く会釈してから、先に上がらせてもらった。

 ダイニングテーブルでは既に夕食の準備は済んでいた。ミートソースパスタにサラダ、昨日と同じ席に着くと食事となった。

 明梨が勢いよく食べ始める、どうやらこの女児の好物らしい。ソースが口元に付着しても気にもしないでかき込んでいく。由希が明梨の口元の汚れをふき取った。

「もう少し、ゆっくり食べなさい」

 一瞬、フォークを持つ手が止まった。自分が言われたと思ったのだ。昔、よく母に言われていた言葉を、由希の口から聞いてしまった。

 むせた明梨が、お茶を飲む。小動物の給餌を観察しているような気分になった。

 食事を終えると、由希が明梨を隣のテレビ部屋に連れて行き、なにかのアニメを流した。

「ちょっとここにいてね」

 夫婦の話の時間、ということだろう。


「修二さん」

「はい……」

「なにか……わかりましたか?」

「……いえ、なにも。自分の知っている先生は一人もいませんでした。ただ……」

「はい?」

「あ……その、まだ原因かどうかわかりませんが、中学の時に起こった、強烈な……とでも言うんでしょうか、ある記憶が引っかかってて……」

 由希は集中して聞き入っている。

「昔の担任とも会ってみて、それを調べようかと思ってます」

「わかりました。家のことは心配いりません、蓄えは十分にありますから、修二さんもそちらに集中して」

 また敬語混じりになる由希。

「ありがとうございます。あ、あの……楽に話してください。好きなように」

「うん」

 そうはいっても自分はまだ、親し気な口調にはなれない。年上の女性相手にそんな話し方をした経験などない。

 

 なんとなく悪い気はするけど今はこの方がいいだろう。


「それと……口座の暗証番号とか覚えてないよね?」

「口座……? 俺の……ですか?」

「うん、家で使うお金は共用のものがあるけど。修二さんの個人口座は私も知らなくて、明日銀行に行って手続きしてくるけど、その間これを使って」

 財布に小銭入れ。これもおそらく自分が使っていたものだろう。中には結構な現金が入っているようだった。

 

 俺の? いやこの人が足してくれたのかも。


「すみません……」

 他人から現金を受け取っているようでなにか、嫌な気分になる。

「中にあるICカード、電車とかにも使えますから」

「ええ、さっきだいたいこの時代……ともかく仕組みは把握しましたので」

 本当はデジタル、というものがなんなのかいまいちピンとこない。ただそういうもの、と受け入れる他ないだろう。

「……あの」

「なに?」

「失礼ですが、由希さんのご家族は他に……?」

「ああ……そうよね、ごめんちゃんと話す」

「い、いや別に無理に言わなくても……」

 少し由希の表情に陰が差した。

「母親はいないよ……。私が子どものときに、その時、住んでいた団地を出てそれっきり……」

 沈鬱な声音、忘れたい記憶なのかもしれない。

「そうでしたか……」

「父がこの家を建てて、ここにもう二十年以上住んでて」

「えっと、それで俺が、その……あなたと結婚して……」

「うん、ここを使えばいいって。お父さん、自分の会社も引退して、今は北海道でマタギになっちゃたから」

「マタギ?」

 聞きなれない単語だった。

「要するに猟師、のこと」

「はぁ……」

 変わった人のような印象を受ける。


 女児の方をチラッと見ると 集中してテレビに見入っており、聞き耳を立てている気配はない。

「それで……」

「はい」

「明日は、早馬の実家まで行く?」

「いえ、連絡待ちになると思います」

 いても立ってもいられない気分だが、奥山の場所がわからないとあってはこちらも動きようがない。

「明日、私、午前中出かけないといけなくて……」

「ええ」

「その間、明梨を見ていてくれないかな?」

 チラリとカレンダーに目をやる。土曜で幼稚園もやっていないのだろう。

「……構いませんよ」

 そう言って見せたが、正直なところ気が進まない。どうもあの女児には距離を置かれている感じがする。

「ありがとう、近くの公園でいつも遊ぶんだけど」

「わかりました」

「地図描いておくから」

 女性がテーブルになにか置いて、それを見ながら紙に書き写し始めた。母も持っていたスマートフォンと言うやつだろう。

 

 そういえば、


「俺は……携帯電話ってやつ、持っていたんでしょうか」

「ああ……! ごめん、すっかり忘れて、女性が戸棚から似たようなものを取り出す。

「これです、使い方は……」

「あ……よくわかんないです」

 基本的な通話だけ教えてもらうことにした。

 その後は、昨日と同じようにお風呂に入り、歯を磨いて、就寝の時間となった。

「今日は……」

「どこでも平気ですから……」

 またあの部屋で寝ることになった。布団に入り、由希が消灯する。

「明日は、お父さんと遊んでてね」

 由希が明梨にそう呼びかけたが、返事はなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る