自分を探して (3)

 両親の方へ向き直った。

「後で学校に……西浜中に行くから」

「今日は、由希さんの家に戻るんだな?」

 どこか圧迫するような父の声音。先ほどの態度を戒めているのだろう。

「……さあ」

「あんたも色々大変なのはわかるけど、ちゃんとお嫁さんは大事にして……」

「俺は嫁なんかもらってない!」

 叫ぶと同時に、自分の部屋に戻った。

 机に両手を乗せて、不条理な今の状況に歯噛みする。

 

 親父もお袋も、俺を追い出したがって……! なんだって俺があんな女とガキの家にいなくちゃ……!

 

 そこで息を吐いて思考を止めた。あの母子に〈至らないところ〉があったわけではないのだ。だが、それでもあの二人の夫であり父親であるなど、精神がまだ中学生の修二に受容できることではない。

 

 なんでこんなことに……そもそも、原因はなんなんだ、なにかひどいショックを受けた記憶なんて……。あ……!


 〈なにしに来た⁉〉


 一つの言葉が脳裏をかすめた。あの時、自分を硬直させた、稲妻のような叫び。思わず立ち上がる。

 

 まさか……あの件となにか関係が……。

 

 立ち尽くす仲間、泣き崩れる友人、鳴りやむことのないサイレン、走馬灯のように修二の頭をあの悪夢の記憶が駆け巡る。多くの人間たちの人生を、運命を変えた日の事。

 

 しかし、俺は……俺は、……だけ、だが……。

 

 口元に手をあて、当時の記憶をたどる。

「調べてみるか……」

 俄然、そう決意した。

 ダイニングテーブルで父が買ってきてくれた店屋物の弁当を食べていると、またあの猫が侵入してきた。向かいの食器入れに乗っかり、こちらの様子を窺いはじめる。

「……なんか用かよ?」

 返事はなくじっと見てくる。

 

 ったく、動物にまで観察されるような目で……。

 

 と、その時、猫が乗っている食器棚が揺れた。

 

 地震か……?

 

 震度一程度だろうか、すぐに揺れは収まった。

 その後は、母がテーブルに置いた、主要な年間ニュース記録をまとめた本、十五年分に目を通した。インターネットの隆盛、携帯電話の一般的普及、デジタル放送への移行、アメリカで大きなテロ事件が起きてそれが原因となって戦争が起こったこと、多くの市町村の大合併など、十五年の間に起きたことを頭に入れていく。

 

 なにかの小説であったなこんなの……シベリア帰りの男が、自分がいない間、日本で起きたことを調べて……、まさか俺がこんなことするはめになるなんて……。

 

 あの時、持っていたゲーム機はすでに四世代目が発売されていた。よく見ていたプロサッカーリーグは聞いたことのない新興のチームが名を連ねている。

 一息ついて、お茶を飲む。いつのまにか日は西に傾き始めていた。時計を確認すると一七時半。

 

 行くか……。……その前に。

 

 リビングを出て、奥の和室にある祖母の位牌にそっと手を合わせた。

 廊下に戻ると、母がちょうど買い物から帰ってきたところに鉢合わせした。

「ちょっと学校行ってくる」

「学校って……西浜の?」

「そう……」

「一人で大丈夫かい? お父さんに車出してもらった方が」

「平気だよ」

 つい一昨日まで通学していたのだ。

「それで今日は……由希ちゃんの所に帰るんだよね?」

「……帰ってきてから話す」

 それだけ言うと、メモ帳を入れたジャケットを持って家を出た。

 通学路はそれほど大きくは変わっていなかったが、ところどころ歩道の所々にガードレールや手すりが増えているのがわかる。近くにあった高校は廃校になったようで、無人となっており校庭は公園として開放されていた。

 

 これ……。

 

 吹き抜けだった商店街はアーケードが築かれ、店舗はほとんど様変わりしていたが、コンビニと郵便局はそのままだった。

 

 変わったんだな、この街も……。俺だけが浦島太郎状態で……。

 

 悄然と歩き続ける。孤独と不安で足元が不安定になりかけた時、

「……!」

 西浜中の制服を着た一団が見えた。十五年前と変わらない制服、数人の男女が楽し気に話しながら歩いている。その情景は修二を殊更に打ちのめす。

 

 急ごう……。

 

 視界から振り払うようにして、足取りを速めた。

 昨日見た通り、学校校舎は外からの見た目はほとんど変わっていなかった。

 正門の辺りまで来るがここも、自分にとっては一昨日、十五年前と変わりないように見える。まだ部活終わりの生徒がいるようで、なにか駄弁っていた。

 教職員出入り口の横にあるインターフォンを、そっと押してみる。

「はい」

 若い男性の声、おそらく先ほど電話で話したあの人物であろう。

「あ、さっき電話し……させてもらった早馬です、あの……」

「ああ、お待ちしておりました。少々お待ちください」

 しばらくすると男性教職員が一人出てきた。見た目は、今の自分とさほど変わらない年のように見える。軽く一礼する。

「お待たせしました。逢坂と申します。ええっと……昔のアルバムでしたか?」

「は、はい……! 十五年前ので……」

「わかりました、二階の図書室にありますので、そちらまでよろしいですか?」

「はい……」

 男性の後に続いて、一昨日あるいは十五年ぶりに、この校舎に足を踏み入れることとなった。

「どうぞこちらを」

「ありがとうございます……」

 男性がスリッパを出してくれた。

「こちらになりますので……校舎は覚えてらっしゃいます?」

「ええ……」

 

 当たり前だろう……。

 

 自分にとってはわずか二日前に来た場所である。内部も一見するとあの頃のままで特に大きくは変わっているようには見えない。。

「十五年前ならほとんど変わってないはずですしね、私もここの卒業生なんですが」

「え? そうなんですか?」

 一瞬の間を置いて、かなりの動揺が走った。ひょっとしたら同級生かと思ったが、おうさか、という人物に心当たりはない。別の学年だろう。ぼろが出るとまずいのでそれ以上は聞かなかった。

 

 行く途中に、職員室の横合いを通ることになり、チラリと中を覗いてみたがやはり見知った顔はない。知っている教員たちはすべて異動したのかもしれない。

 階段の横に差しかかると廊下に座りながらお喋りに耽っているグループを見てギョッとした。ここは自分達もよくたむろしていた場所なのである。

 

 う……。

 

 サッカー部だった。ただ使用しているハーフパンツは自分の代のものとは違う。

「ほら、いつまでもいないで、もう帰宅する」

 男性職員が見とがめた。

「へいへい」

「あれ? 逢坂先生、そちらお客さん?」

「いいから、もう帰れ。消灯するぞ」

 そう言うと、男性職員、逢坂は上に上がっていった。自分もすぐ追いかける。背中に視線を感じた。

「すみませんね、礼儀のなってない生徒ばかりで」

「い、いえ……」

 自分もあんな感じだったのでは、と客観視してしまった。

 

 図書室は二階のままか、俺の教室は三階だが……。さすがにそこまでは行けないな……。

 

 図書室前まで来ると、逢坂が鍵を取り出して、ドアを開け、中に入るとすぐに電気をつけた。

 ここもやはり変わった気配はない、図書委員だったが、やった仕事は月一の掃除くらいなものであった。

 

 百科事典がなくなってる……。まあ誰も読んでなかったしな、あの小説棚は見たことなかったな……。

 

 辺りに目を走らせていると、逢坂がアルバムを一つ持ってきてくれた。

「この年度のものでよろしいでしょうか?」

 自分が進路面談を行ったあの年の翌年、つまり自分が卒業したはずの年のものだった。

「え、ええ、そのはずです」

 逢坂氏が少し怪訝な表情になったが、受け取り、震える手でページを開いた。

「あの、よろしければこちらにおかけになってください」

「ありがとうございます……」

 近くの座席に座り、テーブルにアルバムを広げて、食い入るように読み始める。まずは自分のクラスの顔写真一覧。

 

 い、いた……!

 

 そこには確かに自分の顔が写っていた。他のクラスメイトたちがにこやかな顔写真を残している中、ほとんど真顔。

 

 やっぱり……。

 

 あの出来事を最後まで引きずってしまったのだろう。

 クラブ活動紹介のページでも自分が所属していたサッカー部のものはなかった。

 

 当然だろう……。部員はあの時点で、学年ではもう俺一人だった……。他のやつらは復帰できたのか? できたとしても、集合写真なんか絶対ごめんだっただろう……。あいつは……。

 

 一人の男が気になった。自分の、勝手に思っていただけだが、ライバルと目していた部のキャプテン、その男子生徒のクラスを確認するが名前はなかった。

 

 転校……したのか……。今頃、どうしているか……。

 

 決して仲がよかったわけではないが、それでも今は気になってしかたがない。あの男子も、被害者、と言えるのかもしれないのだから。

 

 後は……。

 

 やはり誰か自分を知っている人間を探して、接触を試みる必要があるだろう。そうなると候補に挙がるのはやはり、

 

 奥山先生か……。今はどこの学校にいるんだろう……?

 

 よくつるんでいた部員仲間がほとんどいなくなっていた、とあってはあまり親しくなかったあの担任を当たるほかない。

 ふいに強風が窓を揺らしたようで、視線を移すと、逢坂がカーテンを閉め始めた。

 

 あの人に聞いてみよう。

 

 立ち上がり、ためらいがちに口を開いた。

「あの……」

「はい」

 逢坂が振り返る。

「アルバム、ありがとうございます。それでちょっとお聞きしたいのですが……この、俺……私の担任だった奥山先生は今どの中学校に……?」

「ああ……奥山先生ですか……」

 逢坂がどこか遠くを見るような目でアルバムの写真を見つめる。懐かし気な視線、この人も奥山先生を知っているのでは、と感覚的に思った。

「あ、あの……できればお会いしたいのですが……今、どちらの学校に……?」

 逢坂が一度目を閉じると、わずかな間を置いて開いた。

「……すみません。今は、個人情報とかが厳しくて、お答えする、というわけにはいかないんです」

「……そう、なんですか」

 いきなり壁にぶつかってしまった。学校以外のラインから今の勤務先を見つけ出す、というのは難しい気がする。

 

 まいったな……。他の教員たちも同様だろう、どうするか……。


「……奥山先生になにか御用でも?」

「あ……いえ、昔のことで少し……」

 お礼参りを企んでいるなどと思われたのではまずい。しかし、今の自分の状況を話したところでまともに受け取ってもらえるとも思えない。

 

 そういえばこの人、先生のこと知っているみたいだったな……。

 

 ダメ元で、一つの線を残してみることにした。

「あの……もしよろしければ……」

「なんでしょう?」

「早馬修二が、先生を探していた、と奥山先生に会う機会があったら伝えておいていただけないでしょうか?」

「わかりました」

 逢坂ははっきりした声音でそう言ってくれた。

 自宅の連絡先を渡して、今日の探索はここまでとして、図書室を出る。

 

 あ……。

 

 その先にある窓を見て思い出してしまった。あの、忌まわしい出来事、あってはならない事件。

「……」

「どうしました?」

「あ、いえ……。懐かしいなって……ハハ……」

「そうですか。そうでしょうね」

 初めて、逢坂も微笑んでくれた。同郷の誼のようなものを感じつつ、元来た教職員出入り口まで戻ってきた。

「それでは、今日はありがとうございました逢坂さ……逢坂先生」

「いえ、こちらこそ。また、なにかありましたらご連絡ください」

「はい……。失礼します」

 そうして、二日ぶりの下校となった。


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