自分を探して (2)

 自宅に着くと母が玄関前で待機していた。車を降りる。こちらの表情で芳しい成果は得られなかっただろうことは察知したようだ。由希が母に丁寧な挨拶をする。

「とりあえず、お前の部屋を整理しといたよ。探してるものあるかい?」

「……卒業アルバムは?」

「中学の? アルバムは見つからなかったけど、卒業証書ならテーブルに置いたよ」 

 頷いて、家に入った 。

 ダイニングテーブルの卒業証書を手に取る。広げてみると、たしかに早馬修二の名が記されていた。


 ちゃんと卒業できてたんだ 。当たり前だろうけど……。


 そこで大事なことを思い出した。こちらを見ていた母に振り返る。

「あの……俺、高校は……どこ行ったの?」

「ここ」

 母がなにか指さす。

「え……?」

 どこかの高等学校の卒業アルバム、そこに、

「あ……」

 誠心館とはっきり書かれていた。手に取って開いてみる。学校案内のパンフレットで見たのと同じ校舎、同じ制服、ようやく一つの手掛かりに到達した気がした。

「俺……誠心館行けたの……?」

「うん、由希ちゃんも誠心館だよ」

「ふーん……え⁉」

 母がさらっととんでもないことを言ったように感じた。慌てて、辺りを見回すと、不安気にこちらを見ていた由希と目があった 。

「あ……」

言葉を失う。


 同じ高校……だった……?  つまり高校で俺とこの人は……。


 ややためらいながらも口を開いた。

「……あ、あの」

「はい……」

「えっと、由希……さんも誠心館で……つまり、俺の同級生だったんですか」

「いえ、私は一つ下でしたから、修二さんが入学した次の年に ……」

「ああ……」

  どうもこの女性は、自分の両親の前だと敬語で話すようだとわかった。


  ……そうなると、中学時代の俺は当然知らないよな……。


 記憶が途切れているのは、中学三年の五月からである。

「……電話してみるか」

 口に出てしまった。

「電話って、どこにだい?」

「西浜中……、そこで俺が卒業した年度のアルバムを見せてもらおうかと……」

「ちょっと待ってな」

 美和子が部屋を出ていった。

 

 後は……。

 

 近所の小学生からの友人、と言えるほどの関係ではないが元クラスメイトを訪ねてみようかとも思うが、さすがにそれは二の足を踏む。自分のことを覚えているかどうかも定かではないだろう。元々、修二はあまり人付き合いのいい方ではなかった。

 

 そもそも、まだこの街に住んでいるかどうかすら……。待てよ……。


 口を開きかけた瞬間、なにかガラス戸の下になにかいるのが見えた。

「うん……?」

 由希が戸を開く。入ってきたのは、猫だった。白毛に部分的に黒毛がある牛のような模様の猫。

「……それ、うちの?」

 父の方を向いて尋ねた。

「いや、そういうわけじゃないんだが、よく来るやつでな……」

「ふん……」

「俺はちょっと買い出しに行ってくる」

 父はそういうと出ていった。由紀と二人だけとなった。

「……」

 どうも居心地悪い気がする。

 

 いい加減聞いてみないと……。

 

 大仰にも覚悟を決めて、自分の過去を聞いてみることにした。由希の方に体を向ける。

「あの、由希さん……」

「はい……」

「俺は、いつ頃……その、あなたと出会ったんでしょうか?」

 歯が浮きそうになった。

「……わかりません」

「え?」

「その……私は、一年の頃からあなたを知っていたけど、なかなか話してみる機会がなくて……、あなたと話したのはずっと後で……」

「……? でも、その……付き合ってたんです、よね……?」

 顔か火が出そうになる。

「はい、二年の終わりごろ、つまりあなたがあの高校を卒業する間際に私の方から……」

 告白した、ということだろうか。

「えっと……」

「私は、いつも影から見ているばかりで……」

 由希が視線を落とす。なにか辛い思い出に触れてしまったような罪悪感を感じてしまった。


「あ、あの……! 俺、部活はなんかやってたんですか?」

 慌てて話題を変えた。

「サッカー部でした」

「え……? ああ……そうなんですか……」

 もう二度とやるまいと思っていたが、高校では再び始めたことに意外な思いがする。

 

 よくも抜け抜けとまあ……。なんの心境の変化があったのか知らんが……。

 

 自分に呆れていると、由希の視線に気づいた。

「あ……その、由紀さんはなにか……?」

「私は吹奏楽部でした」

「はぁ……」

 自分とは接点がない気がする。

 少し気になったが、今はこの女性と自分の馴れ初めなどが知りたいわけではない。

「あの……おかしなこと、聞くようですが……。俺のことを知っている人って……誰かいませんか? その高校とかそれ以外でも……」

 

 あ……そういえば……。俺、大学は行ったのかな?


「……ごめん、私、あまり交友関係が広くなかったもので……」

 また余計なことを聞いてしまったような気分になる。

「でも楓ちゃんなら……あの、私の、高校の頃の同級生で、修二さんのことも知っている人なんだけど」

 

 楓ちゃん……、昨日電話をかけてきたあの人のことか……。


「……高校卒業してから、俺とはずっと……?」

「うん、大学は、違ったけど」

 再び由希の口調が変わる。

「へえ……俺大学行けたんだ……どこの?」

「北羽工科大学だけど」

「え……? え⁉」

 あまりのことに硬直する。北羽工科大学、東日本でも指折りの理系大学であり、総合化を推し進めており医学部なども新設される、と修二も聞いたことがあった。西浜中でも、最終的な目的として意識する生徒がいたことを思い出す。

「う、うそでしょ……?」

「本当だよ、現役で合格して……すごく、嬉しそうだったの覚えてる」

「……すごい、ですね……」

 我が事ながら、そう呟いてしまった。

 由希が顔をほころばせる。自分に感心する自分を滑稽に思ったのかもしれない。

 修二も思わず頬を紅潮させて、視線をアルバムに戻した。

 

 誠心館に北羽……順風満帆な人生だったのかな? でも、それは俺じゃない……。

 

 自分が偉いわけではないのだと、再び表情に陰が差した。

「それで……いつごろ、あなたと……?」

 結婚したのだろう、と聞きたいのだが、さすがにそこまでは言葉にならなかった。

 由希の方もわずかに顔を火照らせる。なんだか少女のように見えてしまった。

「私が、卒業した年に同棲を始めて……」

 一気に顔が熱くなってきた、呼吸を乱さないように足の指を丸める。

「その一年後に、結婚したの……」

「そ、そうでしたか……」

 

 となると、俺が二十四で、この人が二十三の時か……。早かったんだな……。


「ああ、あったあった」

 いきなり母がドアを開いて入ってきたので、ギョッとしてしまった。

「ほら、西浜の電話番号」

 母が子機と一緒に、古ぼけたプリントを手渡してきた。

 

 これ……。

 

 四月に受け取ったばかりのものである。つまり、今から一五年前のものになる。どこかに閉まっておいて、そのままにしたのだろう。

「……ちょっと、かけてくる」

 そういうと部屋を出て、自分の部屋、だった部屋に向かった。少し整理されたようで、埋まっていた自分の机も発見できた。

 

 よし……。

 

 意を決して、コールした。

「……はい、西浜中学校です」

 若い男性の声だった。

 職員室のはずだが、それでもけたたましいまでの生徒の叫び声が受話器の向こうから響いてくる。

「あ、あの……」

「はい、すみませんね、騒々しくて」

「いえ、あの……俺……私、一五年前にここを卒業した……はずの者なんですが……」

「はぁ」

「そ、その、昔のことで調べたいことがありまして」

「どのようなことで?」

 卒業したのか確認などと言っては信じてもらえないだろう。

「その、同級生とか担任とかなんですが……卒業アルバムをなくしてしまって……それで、昔のものって学校にありますかね……?」

 図書委員であったので、図書室にあることは知っている。年度ごとに古いものを保存しているはずである。

「あると思いますが……」

「では、それを見せていただけないでしょうか……?」

「……」

 なにか考え込むような沈黙となった。

 

 やっぱりだめか……?

 

 と、思いかけたその時、

「ええ、大丈夫ですよ。こちらまで来られますか?」

「え、ええ! 行きます! いつ頃行けばいいでしょうか?」

「そうですね、一九時までに来ていただければ、対応しますので」

 時計を確認する。まだ一四半時だが、このやかましさでは目立つかもしれないし、この教職員の迷惑にもなると思い、時間を置いてから行くことに決めた。

「わかりました、一八時には行きますので」

「はい、お待ちしております。えっと、失礼ですがお名前は?」

「あ、早馬、早馬修二です」

「はい、わかりました。早馬さん」

「それでは……」

 そこで通話を終えた。

 大きく息を吐く。つい一昨日行ったばかりの中学校、しかしそこはもう十五年の時が流れているという現実が、重く心にのしかかる。

 

 椅子に腰かけると一つの段ボールが目に入った。

「これって……」

 十五年前、あるいは一昨日、自分が押し入れの奥にしまったものだった。ほこりがかぶっている以外はあのころのままのように見える。

 恐る恐るガムテープを外していく。中には、

「あ……」

 一瞬、悪い夢が覚めたような心地がした。あの時閉まったゲーム機はほとんど変わらず、そこにあった。

 

 結局、あの後、一回も開封しなかったのか……。

 

 細目で呆然とそれを見る。ようやくなにがしかのリンクを見いだせたようで、わずかに目頭が熱くなったが、すぐに押し入れに戻した。

「……」

 サッカー用具をしまったナップザックは見えなかった。

 リビングに戻ると、由希が両親と話しているのが見えた。

「あ……修二さん」

 由希がこちらに気づいた。

「どうしました?」

「あの、私、そろそろ明梨を迎えに幼稚園まで行く時間で……」

「そうですか」

 なんでもないことのような言いようになってしまう。

 母が眉をひそめるが、知ったことではない。

「それで今日は……お夕飯は、どうします……?」

 なにか探るような口調、要するにあの家に帰って来るかどうかを聞いているのだろう。

 なんで俺に?

 と、言いかけたが口をつぐんだ。

「ご自由に……」

「はい……」

 母がためいきをついた。

「送ってきましょうか?」と父が由紀に尋ねる。

「いえ、修二さんもこれから中学校に行くでしょうし、力になってあげてください。

 うちのことは私一人でなんとかなりますから」

「ごめんなさいね、由紀ちゃん」

「いいえ、それでは失礼します」

 由希は丁寧にお辞儀をすると家から出ていった。どこか寂し気な後ろ姿、それを現出させる原因は今の自分にあるのだろう。

 

 だけど……。

 

 彼女のことを気づかっている余裕などない。しょせんは知らない人である。

 

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