#3
「
「はい、家に棲む物の怪。妖怪の名前です」
放課後、私はすずかちゃんの神社の境内にある社務所にお邪魔していた。すずかちゃんは社務所を兼ねた祖父の家に住んでいる。小学四年生の冬に祖母が腰を痛めてから、神社と家事の手伝いをしているうちに、ここにいる時間が長くなったそうだ。最古といっても有名な神社ではない。宮司の祖父は兼業で生計を立てている。少子化で昔に比べると参拝客が少なくなったが、熱心な氏子のおかげで保っているようだ。
神社から実家まで徒歩五分の距離なので、互いの家を行き来しているそうだ。実家には年が離れた姉と住み込みのお手伝いさんが暮らしている。父親は単身赴任でいないが、お盆や年末年始に帰ってくるそうだ。
すずかちゃんの話を聞きながら、チーズケーキを口に運ぶ。ふわふわの柔らかいチーズケーキは、すずかちゃんの祖母が作ってくれた。お菓子作りが得意で教室を開いている。評判はいいそうだ。
すずかちゃんは母親について何も話さなかった。神隠しの話をされたとき、母親を探していたと笑っていたのを思い出す。これは深く聞いてはいけないのだ。子どもながらにそう感じた私は、黙ってオレンジジュースを飲んでいた。
居間のちゃぶ台の中心には、すずかちゃんが持ってきた子ども向けの妖怪図鑑がある。
硬派な図鑑で妖怪の絵はおどろおどろしい。
だけど私には、怖さより関心のほうが強かった。
「西洋で言うポルターガイストだ」
ぶっきらぼうに言ったのは、石崎君だ。下校時、神社に向かう私たちの後ろを石崎君がついてきた。おそるおそる尋ねたところ、「帰り道が同じだから」と返ってくる。すずかちゃんは「気にしないでください」と答えた。そのまま家に上がり込み、なぜか一緒にケーキを食べている。
あの後、ポルターガイストはすぐに収まった。担任はクラスメイトたちを落ち着けたあと、教室を出て確認してから首を傾げて帰ってきた。そして、何事もなかったように授業を再開したのだ。地震かとひそひそ話が聞こえたが、他のクラスには何も起きていなかった。
「やっぱり、地震じゃなかったんだね……」
「本当に地震だったら、避難訓練みたいに集まるだろ」
それもそうだ。担任は地震ではないと判断したから、移動しなかったのだろう。
「家鳴というのは、湿度などが原因で家が軋む現象です。ラップ音も家鳴だと言われています」
すずかちゃんが「家鳴」のページを開く。図鑑には、小さな鬼たちが古い家の柱や梁に集まって揺らしている絵図があった。
「木造が多い昔は、家が鳴ることが多かったのでしょう。彼らはそこから生まれた妖怪だと思われます」
「妖怪って、その」
「現象に名前を付けて形作られたもの。もしくは、戒めや畏怖も込めて作られたものもあるのではないかと」
昔は解明されなかった怪奇現象を、物の怪の類として名前をつけて絵図にした。
それらが増えていき、妖怪という存在で発展したと説明を聞いているうちに私は落ち込んでいった。
「……すずちゃん。私はちゃんと見たんだよ」
「えぇ、わたしも見ました」
あっさりとした回答にすずかちゃんを凝視した。すずかちゃんは、チーズケーキの最後の一口をおいしそうに平らげた。
「わたしには霊感とやらがあるのでしょう。人が感知しない存在が見えてしまう体質。オカルトだと言われるかもしれませんが、それがわたしが見えている世界です。それが、わたしの現実です」
石崎君が緊張した顔つきになった。
「だからこそ、彼らが何であるかをわたしは知りたいんですよ」
「梓」
「すずか」
すずかちゃんが言い直してから、石崎君は息を吐いた。
「すずか。おばさんの手がかりを掴みたいのはわかるが、あまり怪異に顔を突っ込むなってれいかさんに言われているだろ」
「和斗さんは、姉さんに頼まれたからここにいるんですか」
石崎君は顔を赤くした。体を縮こまらせて、口をもごもごさせている。
「お、俺は、お前が、危なっかしくて……」
「珍しくないでしょう。わたしが怪異に遭遇しやすいのも、昔から知っているではありませんか」
「だっ、だから、俺は!」
石崎君は勢いよく立ち上がった。がちゃんとちゃぶ台の食器が鳴る。私とすずかちゃんの視線を受けて、耳まで赤くなっていた。
「な、なんでもない……」
石崎君は座り直した。微妙な空気が流れる。石崎君はすずかちゃんと違って、はっきり物を言う性格ではないようだ。私みたいに口下手なのだろう。こういうときこそ、助け船をださなければ。私は耳を塞ぎながら、嗄れた細い声をだした。
「い、石崎君はすずちゃんが心配なんだよね! だ、だから、その。ごめんね。私が二人を巻き込んで」
「お、俺のほうこそ、ごめん。目つきが悪いから、その、勘違いされやすくて。なんかこの前も変な空気にさせてしまったな」
「そうですよ。和斗さんが邪魔をするからです」
「邪魔って、すずか」
すずかちゃんは石崎君からそっぽを向いて、唇を尖らせた。
「それに、どうして学校で名前を呼んでくれなくなったんですか。態度だってよそよそしいです。いいですよ。無理に付き合わなくたって。和斗さんは見えないのに、わたしが連れ回していたんですから」
「そ、そうじゃない。すずか、それは違うっ」
「今回の怪異は、わたしと彼女で解決します。和斗さんは何もしなくていいです」
「ふふっ」
私は堪らず吹き出していた。笑ってはいけないとわかっているのに、私の肩は小刻みに震えていた。一度、笑いだすと込み上げてしまう。
「ご、ごめんねっ、その、仲が良いなって思って」
こんなふうに喧嘩ができていたら、しおりちゃんとも仲良くできただろうか。すずかちゃんと石崎君のように対等な立場で、お互い心配して口喧嘩しても想い合っていたら。それができていると思っていたのに。笑いすぎて濡れた目尻が別の感情で滲んでいく。
おばあちゃん、私はどうすればよかったのかな。
「答えは単純かもしれません」
すずかちゃんが私の両手を掴み、ゆっくりと耳から放していく。彼女の視線を辿り私の手を見れば、掌に何かついていた。
それは黒い粉だった。真っ黒な塊を潰したような欠片がある。既視感を覚え、匂いを嗅いでみる。これは知っている匂いだ。私の手にはこの匂いがよく染み着いていた。独特な油っぽい臭みのある、けれど私にとって親しみのある香り。
これは、クレヨンだ。
「ど、どうして……」
しかも黒色のクレヨンだ。あの日から、足りなくなった一本。どうしてその欠片が私の手の中にあるのだろう。
「『声』に何かをしましたか?」
そうだ。私はランドセルからノートを取り出した。すずかちゃんに話そうと思っていたのに、家鳴騒動ですっかり忘れていた。
授業中に描いた落書きを二人に見せる。黒くて丸い小さな塊に、ひょろりと手足が生えた変な生き物。まじまじと注がれる視線が恥ずかしくて、顔が熱くなっていく。
「わたし、これを見ました」
すずかちゃんの発言に、私は頭を跳ね上げた。
「わ、私もっ。こ、これが、机とか椅子を揺らすのを見て……!」
すずかちゃんが言った通り、石崎君は見えない体質なのだろう。へぇと声を漏らした後、図鑑とノートを見比べた。
「これが家鳴だとしたら、図鑑とずいぶん違うな」
確かに、図鑑の小さな鬼とは全く違う。
「それもそうでしょう。彼らは彼らで時代に合わせて変化していくのだと思います」
「そうなのか?」
「怖い話なんて特にそうだと思いますよ。時代に合わせて移り変わっていきます。この妖怪図鑑は、あくまで江戸時代に流行した妖怪の姿です。家鳴も時代に合わせて変化したのではないのでしょうか。それに」
すずかちゃんの黒目がちの目が、私を映し込む。
「あなたが彼らを描いたから、彼らは現代の妖怪として姿をとった」
「私が……」
「これは姉さんの受け売りですが、永遠に同じものはないそうです」
「も、もし、あったとしたら?」
「残す誰かがいるのでしょう」
残して覚えていてくれる誰か。不意に、視界の隅にあの小さな黒い生き物が映った。お皿の上で私のチーズケーキの欠片を食べている。驚いて視線を向ければ、跡形もなく消えていた。
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