第2話 夜明け前

 結局、来月の二日に私は実家に帰ることになった。父の電話で、仕送りと大学への入金をやめると脅されたからだ。せめて残りの学費は払ってもらわなければ、この二年間が無駄になってしまう。

「実家ね~。俺も恋しいよ」

「そう」と私は言う。

「櫂くんも独り暮らしだっけ?」

 叶絵がプリントをまとめ、ホッチキスを掛けていく。

「そそ。だからさぁ~やっぱいろいろ大変なわけ。一人寂しいし、つれぇわ」

「いいからあなたも手を動かして」

 私は櫂にまとめたプリントとホッチキスを渡す。

「はいはい」と櫂はしぶしぶ受けとる。

 次の時間は模擬授業なのだが、こんなやる気のなさで彼の発表が上手く行くのだろうか。教職には指定された講義を受ける必要があり、この模擬授業の講義も必修の科目であった。しかし、彼は本気で教師を目指している訳ではなさそうで、それなのにずるずると必修の講義だけ単位をとっているようだった。

「櫂、発表の練習は大丈夫?」

 私は念のために確認をする。三人のチームで授業を考え、一人が実際に授業を行うのだが、発表者は彼だった。

「まあね」とだけ彼は答えた。

 結局、彼はあまり練習はしてこなかったのが分かった。私たちが練った授業構成。説明に必要な前段階の説明等、いくつか抜け落ちて話を進めたため、初めて内容を聞く人間には理解がしにくいものとなっていた。

「いやさ、最近バイト忙しくてさ。悪い悪い」と悪暇れもなく頭をへこへこ下げる。

 しかし、それでも櫂の授業は面白かった。そもそも彼は話が上手いのだ。まな板に水を流すような流麗なトーク。例えの上手さと、話した事が後の話でより理解できる話の組み立てかた。練習と内容理解の不足をそれで誤魔化したのだ。彼は地力が違う。私とは比べ物にはならない。

 叶絵はそれを自分の努力が踏みにじられたように感じたのだろう。言葉には直接出しはしなかったが、言葉の端に不満が漏れているのを私は見逃しはしなかった。

「櫂、叶絵が怒ってたよ?」

「あー…だよなあ。アドバイスなんかない?」

「教職課程を真面目に受けること」

「だって、ホント教師ブラック過ぎていやじゃん? やりたくないんだよね。そもそも来るだけ偉くね」

 だったら教職課程をやめろ、と怒鳴りたかったのを堪えて「少なくとも真面目に授業に取り組みなよ」と諭すように言った。

「はいはい。仰せの通りに。にしてもこれから叶絵とやりにくくなるな~つらいな~」と櫂がこちらに期待するような目付きで見てくる。

「わかった。学食奢ってくれたら、叶絵を宥めとくよ」

「うわっ、現金な女」

「最低なお願いしてるんだから、これくらいの報酬は貰うよ」

 しぶしぶ定食セットを持ってきた櫂と昼食をとることになった。

「人の金で食う飯は旨いか」

「とても」

 私はヒレカツをこれ見よがしに頬張る。

「うわ~」と櫂は人非人を見るような目付きをする。

「ところで、日本っていつまで女の地位が低いのかな」

 私はふとそんなことを話していた。

「うわっ、俺この手の話嫌なんだよね」

「どうして?」

「友達の友達のフェミニストと話すと、なにかと女性軽視って言われてさ。あれもこれも差別にされて辛いんだよね。レディーファーストのつもりで、扉開けて女の子先に行かせたらそそれも差別とか」

「随分と辛いこと。でも、私の体験の場合はもっと前時代的なものでさ。そんな高尚に考え過ぎた産物じゃないわけ」

「前時代? 女は家のもの、みたいなそもそも自己が許されない系とか」

「あれ? 大当たり」

「まじ…?」

 驚いたように見えるその顔には、どこか好奇の色が浮かんでいる。

「へぇー聞かせてよ」

「私の家、結構な田舎にあるんだけど、会社やっててさ。それで、家自体が他の会社の家と交流してるの。なにかと付き合いが大事なんだろうね。で、経営傾いてて、助けがほしい。それで、何故か私が他家への贈り物になったわけ。これ、ホントに二十一世紀?」

「すげーこんなことあるんだ。ギャグみたい」

「田舎はまだこんなもんよ、都会の民は知らないだろうけど」

「嘘だろー? てか、断って逃げたら?」

「大学やめさせられる」

「卒業してから、逃げなよ」

「来月には入籍決定になった。断ればもう学費はなし」

「はや! もうお嫁さんか」

 櫂は随分とのんきな顔をしている。所詮は他人事なのだろう。

「でもさ、ここを借金とかで我慢すればすぐに社会人で働きに出れる。大学やめたって良い。無視しなよ」

「私、どうしても教師になりたいの。バイトじゃ家賃と学費賄えないし、借金したとしても教師の安月給で借金返すのは大変。さらに言えば、休学してお金貯めても限界あるし、親の年収としても奨学金は受けられないはず。こんな調子で一年半も続けられない」

「なあ、教師ってそんななりたいものなの?」

 櫂にとっては当然の疑問を投げ掛けた。

「ええ、そうね」

「もっと良い職あるんじゃないの? 教職なら塾講師とかさ」

「そうかもしれないね」

「そもそも、結婚しちゃいなよ。卒業したら即離婚! 合理的でしょ? お金だけもらってトンズラこけば良いじゃん」

「いい考え、かも」

 私は、私が大切にしているものが壊れていく感覚がした。好きな人とだけ結婚したい。学校の先生として働きたい。いや、改めて見ればなんてちっぽけなものだろう。幼稚にすら見える。

「結婚してお金貰って、大学を続ける。それが楽だよね」

 良い大人達の笑ってしまうような古い考えに振り回される自分が嫌になった。

「そうだよ」

 櫂は快活に笑った。




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