2.9 呪いの連鎖

 わたしたち四人と専属カメラマンたる〈コウモリ〉一羽は行程通りに、ロウアーマンハッタン乗船場から遊覧艇に乗り込んだ。


 遊覧艇は半潜水式で、すり鉢状の船底は一面強化プラスチックに覆われていた。その上に立つと、まるで水中に浮遊しているような錯覚に襲われた。遥か下方に、ヨーロッパの宮殿を思わせるような形をした低層の建造物が藻に覆われて静かに佇んでいた。わたしの視線を認識したのだろうか、船底の窓プラスチック上にポップアップが浮かび、かつてのニューヨーク市庁舎だと教えてくれる。ポップアップに「再現リプレイ」と書かれたボタンが表示された。人差し指を向けてボタンの輪郭をなぞるように一周させると、眼下の市庁舎を覆い隠すように、窓プラスチックにかつての市庁舎の姿がタイムラプスで再現された。人々が高速で行き交い、昼から夜へと移り行き、やがて地震と共に濁流が飲み込んで、藻に侵食されていく――いつの間にか、「再現」は終わっていて、わたしの前でその建造物は静かに眠っていた。


 船底にはわたしたちの外にもいくつかの班がいたが、誰一人として黄色い声で騒ぐ人はいなかった。各々が船底を静かに移動しながら、窓の外の青い静謐な世界と、かつての活気あふれる姿の対比に打ちひしがれているように見えた。


 出発から程無くして、海底に横たわるかつてビルだったものを見つけた。割れた窓ガラスの合間から魚が出たり入ったりしている。ここにも再現タイムプラスがあるのかな、と思っているとレター型のメッセージ着信ポップアップが視界に現れた。メッセージ? 怪訝に思いながらもそれを指さそうとして、ポップアップがわたしの腕の手前に見えるのに気が付いた。


 窓プラスチックに浮かんだものじゃない。わたしのコンタクトディスプレイに映ったARだ。ひかるからだった。


 ――真弓。ちょっと来て。


 周囲を見渡すと、船底の反対側でひかるが手招きをしているのが見えた。


 ひかるの脇に立って水底を見下ろすと、川底を覆う無数の小石のように無数の自動車が乱雑に敷き詰められていた。その内の一台にはNYPDと書かれているのが見える。


「真弓、これってもしかして」


 わたしたちは駆け足で甲板に出た。ひかるが半分崩れ落ちた橋を指さす。それはまさに、先の講演で名前の出たブルックリン橋だった。幼いわたしが〈断裂〉でダンゴムシを真っ二つにしてしまったときのと同じような不揃いの断面がそこにあった。無造作に垂れ下がるワイヤーが、ダンゴムシの断面から飛び出たちぎれた神経を思わせた。


 再び遊覧艇が海上のビル林の中に戻り、その姿が見えなくなるまで、わたしたちはその橋から目を外せなかった。


 途中で船底に戻り、一時間程乗っていると、歴史の電子教科書テキストで何度となく見た通りへとやってきた。誰かが言うのが聞こえた。


「タイムズスクエアだ」


 かつて艶やかな光で夜を彩ったネオンサインは海底に崩れ落ち、藻に覆われて青黒く染まっていた。行き交う魚の姿も見えず、そこには死の色だけが滞っていた。


 各々が浮かべていたポップアップやタイムラプスがフェードアウトし、船底の明かりも青く薄暗くなった。人類滅亡後に地球に訪れた異星人のような気分だ。


 船底を覆う窓プラスチック全面が白く発光した。眩しさを通り越した次の瞬間には、わたしたちの眼下には一面、かつてのネオンの海が広がっていた。鮮やかな原色の光が差し込む中で、人々と車の流れがスタッカートを刻むようにリズムよく流れては止まってを繰り返す。わたしたちは二十年前のタイムズスクエアの上空をゆっくりと駆る鳥だった。


 やがてネオンと人とフロントライトとが織りなす光の協奏曲にも終止符が打たれ、そのすべてを濁流が飲み込んでいった。


 タイムズスクエアの走馬燈の余韻に耽っていると、船内アナウンスが次の停船乗り場名を告げた。〈テラ〉が喚いた。


「次、セントラルパーク跡地だって」


「分かってる。それくらい聞き取れるってば」


 わたしはすぐにひかるの元へ駆け寄り、次の停船場が目的地であることを伝えると、「真弓はいつからうちのAIアシスタントになったの」とひかるは笑った。


 甲板に出て行く先を見ると、摩天楼が途切れ、広々とした海面と青空が見えてきた。かつてセントラルパークと呼ばれていた都会のオアシスのだった。


 下船してすぐのところにセントラルパーク博物館があり、同じく下船した人の多くがそこに吸い込まれていった。しかし、この乗船場に来たいと言っていたとうのひかるはそちらには見向きもせず、周囲をきょろきょろとしている。どうしたの、と声をかけようとしたところで、ひかるの瞳の中で赤い光の線が走るのが見えた。道案内のAR表示だ。


 わたしはAIアシスタントの拡張機能〈ARトラッカー〉を起動して、ひかるのコンタクトに写るARのコピーをわたしのコンタクトにも表示させた。


 道案内ARが示す矢印は、セントラルパーク博物館とは別の方向に伸びる通路を指していた。


 ひかるに続いて海上遊歩道を進むと、開けた広場に出た。そこには無数の板状の石板が所せましと並んでいる。


「ひかる、これってもしかして、犠牲者の慰霊碑?」


 佳の問いに頷いたひかるは石板の森の中に分け入っていった。そこでは、すれ違う人全員が礼服に身を包み、厳かに死者への祈りを捧げていた。制服姿のわたしたちと、追随する〈コウモリ〉はひどく場違いに思えた。けれども、ひかるは気に留めることなくその中をずんずん進んでいく。一旦〈コウモリ〉に待機を命じ、わたしたちもひかるの後をついていく。


 突然、ひかるの足が止まった。一枚の石板の前に立ってその表面に刻まれた戦没者の名前をなぞっている。目を見開き、それに没頭するひかるの背中は、わたしたち三人に口を挟む隙を与えなかった。わたしは食い入るように文字を追うひかるの横顔を見ていた。


 やがて、ひかるの指が止まった。ひかるの表情が歪む。わたしはひかるの横にそっと歩み寄って、指さされていた名前を見た。ホセ・ロブレスにミサキ・ロブレスとある。


「……知り合い?」


 恐る恐る訊くと、ひかるはゆっくりと首を横に振った。


「うちのね、母方の祖父母なんだ」


 わたしは何も答えられなかった。逃げるように佳と茉鈴の方を見るも、茉鈴は終始俯いていて、佳も唇を噛んだまま、星を産み落とすこともなかった。


「うちさ、あの講演者の言ったことに賛同できない」


 もう一度ひかるに目を向けた。ひかるはわたしたちが答えられないそうにないことを悟ると、続けた。


「うちの母ね、両親をマンハッタン事変で亡くした訳だから、とてもテレポーターのことを憎んでる。もちろん、一番の矛先は直接の犯人である〈新人類同盟〉ではあるけれど、それだけじゃない。すべてのテレポーターは悪人である訳ではないと頭では分かっているはずだし、テレポーターの中には〈ガニメデ〉みたいな聖人もいれば〈カリスト〉みたいな善良な一般人もいることも知ってるの。でも、それだと彼女の怒りも悲しみも収まらない。テレポーターという概念を、属性を、その分類に該当するすべての人を憎むことで初めて、母はその悲しみを乗り越えられる。正常でいられるの。そこまではあの講演者の人ときっと一緒。

 違うのは、あの人は娘を失って、うちの母には娘がいたってこと。口で言うのは簡単だよ。過ちを二度と繰り返して欲しくない。負の感情に囚われて欲しくない。憎しみを断ち切って欲しい。その願いは当然、自分の子供にも向けられると思う。でもさ、いざ目の前に娘がいてさ、本当にそんな綺麗事を教えられると思う? 本当に理性的になれると思う? うちはそう思わない――少なくとも、うちはそうだった。憎しみは。だからね、うちの母だってさ、テレポーターと非テレポーターが手を取り合って暮らせる世界を望んでない訳ではないと思う。でも、あの人の心の奥底に植え付けられた悲しみが、怒りが、憎しみが、娘の育て方に影響しない訳がなかった。それは例えるなら、呪いだよ。親から子へと受け継がれていく呪い。その呪いを受けるとね、テレポーターに対して自動的に反感やらが思い浮かぶようになっちゃう。たとえ、そうなりたいと自分が望んでいなかったとしても。それがね、うち――依田ひかるって人間。だから、うちの理性は、テレポーターと非テレポーターの共存する世界を望んでる。でも、うちの感情は、テレポーターに対する反感でうちを支配しようとしてくる。

 ねえ、どうしたらいいの。テレポーターも非テレポーターも関係なく、手を取り合って暮らしていける世界はどこにあるの。ねじくれた害悪な思考回路の種を植え付けられ、根を張られたうちらが死んで、その呪いの連鎖から解き放たれた未来の世代になって初めて、その時代は訪れるというの?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る