第2章 黒いモノリス

2.1 レコメンドアルゴリズム依存症、17歳

 一学期の終業式が終わると、またも憂鬱な季節がやってくる。


 ピンク色のガラクタを送り続ける父に、わたしは昨年とうとう啖呵を切った。もうそんな歳じゃないの。子供扱いはやめて。いい加減に分かってよ。


 その時は父はしおれながらも分かったと頷いていたようだったが、来年こそはと息巻く気配をわたしは感じ取っていた。


 それから一年。十七歳になったわたしが一人家で紙の本をめくっていると、窓の外を飛び交う〈コウモリ〉の一機の姿が徐々に大きくなっていくのが目に映った。それはわたしの部屋の前でホバリング飛行をしている。嫌な予感がしながらも渋々と虹彩認証で受け取ると、包みの中から出てきたバッグがエルメスのそれであることは、ファッションにも疎いわたしにもすぐに分かった。


 わたしは落ち着けと自分に言い聞かせながら腕時計端末に向かって話しかけた。


「ねえ、〈テラ〉。このバッグの値段を調べて」


「了解」


 わたしが装着するコンタクトディスプレイを通して画像認識した〈テラ〉は、すぐにその販売サイトの情報をわたしの視界にAR表示した。


 わたしはすぐに階下にテレポートし、驚いた母の腰をさらに抜かせる報告をする羽目になった。


 母もやり過ぎだと腹を立てたようで、父の許可なく、そのエルメスのバッグはその日のうちにドローンに運ばれていった。キャッシュバックされた金の一部がわたしのアカウントに振り込まれて誕生日プレゼントの代わりになった。


 バッグの柄や形そのものは中々いいセンスのものだったので、似たような柄で似たような形状のもので、ノーブランドの物を買った。桁が一つ違った。それでもお金が余ったので、わたしは週末に約束していたひかるとのデートに着ていく服を新調しようと思い立った。




 ――ねえ、脇坂さん。あなたってどんな私服を着るの?


 一学期の終わり頃、わたしが教室で紙の本を読んでいると、ホログラムの星を振りまきながら湯川佳が話しかけてきた。いつも一緒にいるはずの山崎茉鈴の姿はない。


「あれ、山崎さんは?」


「茉鈴? 今ね、二時間連続のリモート講義を受けてるはず。アートテック概論とかいう」


「アートテック?」


「芸術と情報技術の融合らしくてね。あの子、美術部なんだけど、筆を持たずにAIに絵を描かせることに興味あるらしいの。中々いい美的センス持ってると私は思うんだけど、どうにも自分で筆をとることが怖いらしくって」


「そうなんだ、面白いリモート講義もあるもんだね」


 わたしは本を閉じながら言った。


「で、もう一回訊くけど、脇坂さんってどういう私服を着るの?」


 佳はわたしに顔を寄せて再度訊いた。それと同時、彼女の髪から漂ってきた柑橘系の香りがわたしの鼻腔を突いた。その瞬間、まるでわたしの目の前で電流が迸ったかのように視野が明滅して、バイオリンの音色が耳元で弾けた。


「うわ、これ〈共感覚香水シナスタフューム〉?」


「あ、ごめん」


 佳は星を巻き散らしながら、慌てて距離を取った。


「何でそんな質問を?」


 何度かまばたきをして光が消えたことを確認してから、わたしは逆に問い返した。


「私ね、ファッションテックに革命を起こしたいの」


「ファッションに興味のない人にまで浸透しているとは言えないから?」


「え、脇坂さんって脳内SSDインストールしてるの?」


 彼女の頭頂部から特大の星が宙に飛び出ると、くるくると螺旋を描くように上昇し、天上に突き刺さった。彼女の口がぽかんと空いているのを見るに、どうやら最大限の驚きを示すサインらしい。


 わたしは特大の星が突き刺さったままの天井を見ながら答える。


「湯川さんの自己紹介インパクトあったから忘れないよ」


 すると、天井に埋まったままの星が爆散し、花火のように煌めきをばらまいた。隣に座っている別の生徒が心底迷惑そうにしているのが視界に入った。


 佳が白く光らせている歯をむき出しにしてにっとしているのを見るに、どうやら喜びを示すサインのようだ。


 自己紹介としては赤点だけど。そう言いかけたが、花火の煌めきの中で笑顔を咲かせる彼女にそれをぶつけるのがいたたまれなくて、我慢して飲み込んだ。


「佳って呼んでよ、白々しい。私も真弓って呼ぶから」


「うん」


「それで、知っての通り、ファッションテックはあくまでわたしのようにファッションに大いなる興味を持ってアンテナを張り巡らせている人には優しいけれど、残念ながらそうではない人にはあまり使われていない。皆AIアシスタントに好みを学習させたり情報銀行から情報を提供させるから、必然的に自分の好みに合致しない情報を手に入れる頻度は昔に比べて間違いなく減った――そうでしょ」


 わたしは無言のまま首を縦に振った。佳は続ける。


「それで、私はね、ファッションに興味のなかったり無頓着だったりするイケてない人に、いかにしてファッションに興味を持ってもらうかってことを常日頃考えてるんだ。でも、そんな人の気持ちは私には分からない。だから真弓に話を聞きたいの」


 わたしは無言で佳の目を見た。何度か今の言葉を反芻し、その意味を確認してから、口を開いた。


「ひょっとしてわたし今、喧嘩売られてる?」




 羨ましがられることも多い極度の痩せ型とはいえ、低身長で猫背のわたしは基本的にファッションなるものは似合わない。特に女の子らしい女の子が好きそうなアイテムに頻繁に出てくるピンク色にはトラウマがあるせいもあって、わたしは特に俗にいうおしゃれなアイテムを敬遠していた。


 けれども、困ると感じたことは一度もなかった。〈テラ〉にプリインストールされているスタイルコーディネートアプリを使えば、わたしの体格と好みと年齢と予算制約を鑑みて、最適なアイテムを自動的にレコメンドしてくれるのだから、後はその仰せのままにオーダーをして、〈コウモリ〉が運んできてくれるのを待っていればよかった。めんどくさいものは、すべて外注するに限る。


 ただ、佳にあんなことを言われながら背伸びをしなければ、またわたしは忌々しい加護に縋ってしまいそうで怖かった。わたしは特別。あなたみたいなファッション宣教師とは違うの。わたしの中でわたしのそんな声が聞こえたのを必死に振り払い、わたしもちょっと背伸びをすることにした。


 その準備として、ホロアクセサリに〈共感覚香水シナスタフューム〉と前衛的なアイテムを使いこなす佳にメッセージを送ってみた。


 ――佳、ちょっとファッションのことで聞きたいんだけど。


 返事はすぐに来た。


 ――何でもどうぞ。


 ――佳って何のコーディネートレコメンドAIを使ってるの?


 ――まさか。ファッションなんて、自分で選択してなんぼでしょ。


 わたしはしばし絶句した。思わず訊かずにはいられなかった。


 ――それで買った服、ちゃんと着続けるもの? AIの適切なレコメンドを受けた方が気に入って着続ける割合は圧倒的に高いって聞いたけど。


 ――私はその傾向には当てはまらないかな。奇抜と言われることもあるけれど、何たって、自分のセンスを信じてるから。


 ――怖くないの? 笑われるの。


 ――均一化と同質化の方が、私にはよっぽど怖い。


 その後はしばらく、レコメンドサービスを一切使わずネットの海を徘徊して服を見ていたものの、似合うかという不安を払拭できず終いだった。着せ替えた等身大のわたしアバターを目の前にAR表示させて何回転させても、それが本当に似合っているのかどうか、わたしには判断できるだけの美的センスがなかった。


 それに、わたしには佳のようには、周囲に溶け込むことに対する恐怖心を持ってはいなかった。わたしは人間の仮面を被り、人間として生きていかなければならない理由がある。目立つ訳にはいかなかった。結局、レコメンドサービスに勧められるがままに、とあるアイテムの購入で妥協した。

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