1.18 月だけの夜空はわたしが取り戻す
ネオンの海と漆黒の海との狭間に引かれた東京湾防潮堤の上で、わたしはヴィオラに問う。
「一体何の用、ヴィオラ」
「あなたが『テレポート不可』の物体をしきりにテレポート対象に選択しようとしているから心配になったんですよ。一体、どうしてこんなことを?」
「あんたには関係ない」
わたしがそう吐き捨てると、ヴィオラは傷ついた子犬のような表情をしてみせる。うざったくて、わたしは視線を外して水平線の上を漂う満エウロパに目を向けた。右の拳を握り締める。
「先程も申し上げた通り、今の私は〈ナビゲーテル〉標準搭載のヘルプアシスタントAIとして、あなたの前に現れています。〈ナビゲーテル〉をご利用中のあなたが意図的に無謀なテレポートをしようとするのであれば、私にはそれを注意喚起する義務がある」
「じゃあさ、〈ナビゲーテル〉をシャットダウンすれば、あんたはわたしの前から消えてくれるって訳?」
ヴィオラは一瞬虚を突かれてようにうろたえたが、それすら演技であると匂わせるようにすぐに表情を変え、口元を緩めて白い歯を覗かせた。
「あなたのお望みであれば」
彼女は目を閉じ、深く一礼した。あまりの潔さに、まるで悪いのが自分であるかと錯覚させられる。苛立ちもどこかに消えてしまう。彼女の術中に嵌る――そうとは知りつつも、不思議とヴィオラとの会話を打ち切る気にはなれなかった。
「ねえ、ヴィオラ」
ヴィオラははっと顔を上げて、口角をあげた。「何でしょう」
「どうしてさ」わたしは満エウロパを指さした。
「〈ゼウス〉はエウロパを召喚なんてしたの?」
ヴィオラはすぐには答えない。そちらを一瞥すると、彼女は下唇を撫でながら考え込む真似をしていた。
「わたしがさ、この間言ったこと覚えてる? 平和に、仲良く、毎日を過ごせればそれでいい、って」
「先日の会話のログデータの中には、一致するフレーズは一件あります」
わたしは思わず噴き出した。
「やめてよ、昔のSF映画みたいな言い回し。……でさ、その発言だけど、半分は本当で、半分は嘘なんだ」
「嘘?」
ヴィオラが眉をあげてみせた。
「そう思いたいのは事実だし、そうやって生きられるなら何も文句はないっていうのは本当。でも、そううまくはいかないということが分からない程わたしだって馬鹿じゃない。直接的な対立は減ったとはいえ、テレポーターと非テレポーターの溝がまだ残ってることはわたしにだって分かる。それをそのままにしていちゃいけないことだって、そのためにわたしも何かしなきゃいけないことだって。
確かに、エウロパは抗争終結の証にはなった。非テレポーターは誰もテレポーターに逆らおうとしなくなったし、テレポーターのことを直接的に蔑むような発言を聞くこともたまにしかない。そういう意味ではエウロパは平和をもたらしてくれたのかもしれないけど、そんな仮初の平穏の中にも、テレポーターに対する反感が顔を覗かせることがあるの。だからわたしは自分がテレポーターであることを隠さないといけない。テレポーターに対する反感の表れに気付いたとしても、気づかない振りをしないといけない。だから、わたしはあの星が憎い。エウロパが憎い」
「あなたは、エウロパを元いた場所へ送り返したかったのですね」
ヴィオラは口元を押さえながら言った。わたしは彼女の目を見た。
「そう。わたしにとっては、あれは平和の証でも何でもない。夜空に浮かぶ二つの月は、テレポーターと非テレポーターの分断の証。半分は嘘、というのはこういうこと。だから、わたしはあの星を位相破壊で粉々にした上で、その破片でテレポーターと非テレポーターの溝を埋めたい。月だけが昇る空を取り戻したい」
ヴィオラは何も言わなかった。口元を尚も押さえたまま、彼女は静かにわたしを見つめ返している。彼女の背後でネオンの海が瞬いた。
「でしたら――」
少しの沈黙を挟んでから、彼女が切り出した。
「尚更テレポーター養成大学へ入学しませんか?」
「〈ナビゲーテル〉標準搭載のヘルプアシスタントAIの職権を越えてない?」
ヴィオラはわざとらしくぽかんと口を開けた。それから少し背を丸めて、へこへこしながら答えた。
「ネイバーフッド・コーポレーションの代理AI〈ヴィオラ〉との会話をご承認いただけますか?」
わたしは後頭部を掻いた。断ってやりたいのに、断る気がまったく起きない自分に苛立った。
「分かった。許可する」
「ありがとうございます」再び深く頭を下げる。いたたまれなくなって、わたしはネオンの海の上に視線を滑らせる。
「テレポーター養成大学には我々が数十年をかけて研究してきたテレポーターについてのすべての英知がつぎ込まれています。テレポート能力の訓練法についても例外ではありません。MI値九十オーバーのテレポーターを何人も講師として招くことが決定しておりますし、あなたが悲願を叶える上で、その訓練にこれほど適した環境は他にございません」
「この間聞きそびれたんだけど、卒業後の進路はどうするの?」
「基本的には、弊社に入社していただく形になります」
「つまり、テレポート能力を社会に還元していくと?」
「そうなります」
わたしは大きく息を吐いて、それからゆっくりと首を横に振った。
「悪いけど、わたしはやっぱり利他的にはなれない」
「と言うと?」
「リスクが大きすぎるからに決まってるでしょ。〈ガニメデ〉みたいに不特定多数の人を前にしてテレポーターを名乗るなんて暴挙誰がやるかっての。わたしがエウロパを送り返したいのは、あくまでわたしの都合が理由。だからあんたらネイバーフッドの言う使命とやら協力するつもりは毛頭ない。放っておいて」
「では、一体どうやってエウロパを?」
「そのために、こうやって一人で訓練を重ねてるの」
「随分と」ヴィオラはそこで俯いて言葉を切った。「熱心、ですね」
「だからヴィオラ、わたしがあんたと話すのも今日限り」
「本当に……」
ヴィオラは顔をあげ、わたしに向かって一歩踏み出した。
「あなたはそれでいいのですか」
わたしはヴィオラを睨んだ。そしてあからさまに首を縦に振ってやった。
「分かりました。あなたが第二の〈ゼウス〉になるその日を、楽しみに待っています」
三度深く頭を下げ、彼女は光の粒子へと霧散していく。その粒子の一つ一つはネオンの海に飲まれて消えた。
わたしは再び満エウロパを見据えた。
そしてその怪しげな青白い光に向かって右手を伸ばし、掌の月と突き合わせる。
力を貸して、兄さん。
わたしは〈ナビゲーテル〉をシャットダウンし、自分の感覚だけを頼りにその青白い光を握り潰すように力を込める。
けれどもエウロパは無言でそこにあり続けた。
まだだ、まだ。わたしの力はあの凶星には届かない。
わたしは目を閉じて、水平線の下に隠れる月に向かって呼びかける。
月よ。夜空はあんただけのものだ。あんただけの夜空はわたしが取り戻す。
この手で、必ず。
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