1.13 ネオンの海辺で
――人類とテレポーターに告ぐ。二○二○年七月四日、新たな時代の〝夜明け〟が訪れるであろう。
十七年前のその日、そしてわたしが生まれる一ヶ月前、人類は思い知った。七十億の人間すべての命運は、一人の〝異端者〟の手のひらの上にあることを。人は彼らをこう呼んだ。テレポーター、と。
友好的な者も多いながら、犯罪に悪用された彼らの力はテレポーター排斥運動を過熱させた。二〇一〇年代には〝異端者狩り〟と称して、多くの善良なテレポーターが殺された。
母を含め多くの善良でひ弱なテレポーターは姿を隠すことに専念したが、反撃に転じた者もいた。それがニューヨークを中心に活動していたテレポーター保護団体にして、後に〈新人類同盟〉と呼ばれる組織だった。彼らはマンハッタンの地盤を根こそぎ転移し、マンハッタン島を沈没させることで九十万の人命を奪った。
そんな血で血を洗う二〇一〇年代を終わりに導いたのが〈粛清者〉と呼ばれたテレポーターだった。彼、あるいは彼女、あるいは彼らは次々とテロポーターたちを粛清し、〈新人類同盟〉も一夜にして自由の女神の血の涙となり果てた。その幹部七人全員が、自由の女神が被る冠の突起に〝串刺し〟になっていたのだ。そして二〇二〇年、正義の〈粛清者〉はその宣言通りのことを成し遂げた。木星第二衛星であったエウロパが地球の水平線から昇ったのだ。
それがテレポーターの仕業によるものであることを、誰も信じようとはしなかった。テレポーターは多くの者を屠り、多くの物を盗んだ。だが、そんなバケモノはほんの一握り。重機メーカーも鉄道事業者も、テレポーターの活躍によって倒産した会社は一社としていない。その程度なのだ。しかし、地球から六十万キロの軌道上の天体がエウロパであることも、そして木星の第二衛星が突如姿を消したことも間もなく確かめられた。エウロパの語源たる女神エウローペーを攫った者として、彼の〈粛清者〉はこう呼ばれた。
〈ゼウス〉。
今も尚、その正体は神話の向こうのまま。
毎夜のように暗雲を切り裂くエウロパの威光は反テレポーターの過激派も、犯罪に手を染めていたテレポーターも瞬く間に黙らせた。人間たちの父だ。反逆の見返りは人類の、はたまた宇宙の滅亡か。そんな悲観論をSNSや仮想空間のインフルエンサーたちは吹聴し、目の眩んだ一部の研究者はそこに科学的根拠を植え付けて盤石なものにしてしまった。〝異端者狩り〟はあっという間に歴史のテキストの一行に収まり、埃を被って忘れ去られていく数多の事件の仲間入りを果たした。
こうして、エウロパの昇る空の下ではすべての争いはなくなり、誰もが秘密を、あるいは反感を胸に抱えたまま過ごすようになった。
誰も、テレポーターと非テレポーターの線引きを示してはならない。誰も、両者の関係に関わるいかなる考えを示してはならない。
それが二つの月が昇る現代の掟だった。
七月の夜、期末テストを無事に終えたわたしは家を抜け出して、久しぶりに東京湾の海岸沿いにある防潮堤に来ていた。
エウロパは確かに抗争を終結に導いたが、思わぬ余波をもたらしたと松村さんは教えてくれた。生理不順に悩む女性は急増し、環境変化でアサリは激減し、コウモリは全世界で推定二百種が絶滅した。自然現象――とりわけ潮の変化にも多大な影響をもたらした。エウロパと月の引力の相互作用が潮汐のリズムにもたらした影響は、テレポーター、非テレポーター間であった抗争のように突発的で、予測不可能で時として津波のような大潮と化した。
ヴェネツィアを襲い続けた
こ
こ東京湾でも、海抜0メートル地帯は壊滅的被害を被った。百万人を超える人々が避難を余儀なくされた。高さ百メートルの巨大な防潮堤の山脈が湾を囲むように築かれることになって、ようやく東京は復興への舵を切ることができるようになった。
わたしが降り立ったのは、四十三キロメートルにも及ぶ防潮堤のうち、新羽田空港を望めるエリアで、羽田潮力発電所の近くだった。防潮堤の尾根の両端には、不忍池の蛍のように妖しく明滅する赤色の
無機質な尾根の上から、海に向かって目を向ける。そこは文明以後の夜空のように、漆黒の暗幕の上にはまばらに行き交う船の明かりだけが朧気に光る。
振り返りって今度は内陸側に目を向ける。塩害を被った旧沿岸部にはツタに覆われた植物工場群が立ち並び、その向こうには文明以前の夜空のように、大地に横たわる眩いネオンのカーテンが地平線まで続いている。その稜線を彩るように、高層ビル群の屋上に止まる無数の赤色蛍が点滅している。
対照的な二つの世界の狭間であるここは、人も〈コウモリ〉も少なく、訓練場所として持って来いの場所だった。中学入学後は時折夜に忍び込んでいる。
わたしはポシェットから取り出したカチューシャ型端末を頭にセットし、テラ、と心の中で呼びかける。端末に搭載された脳波リーダーはわたしの脳波パターンの中から呼びかけの意思表示を確かに読み取り、ネットワークを介してAIアシスタント〈テラ〉にリンクする。
「おはよう、真弓」
スマート内耳経由で、〈テラ〉の無邪気な声が響く。わたしは思わず大きなため息を応酬した。わたしの反応の意味もその理由も裏で推論していることは間違いないはずなのに、〈テラ〉は気に留める様子もない。
「今は何時?」
「二一時二三分」
「二一時二三分に相応しい日本語の挨拶表現を教えてよ」
「こんばんは、だよ」
〈テラ〉は開き直ったように答える。
「こんばんは、テラ」
「こんばんは、真弓」
まったく、可愛げのないやつだ。
「〈ナビゲーテル〉のインストールは終わってる?」
「ばっちりだよ」
マコフスキーの法則によれば、テレポートの力を構成する四要素は「
そしてこれらの四要素がどれ程高いバランスで整っているかを数値化したものがマコフスキーインデックス――MIだ。年々上昇を続ける平均値は今年六十の大台を突破した。
〈ナビゲーテル〉は脳波リーダー、コンタクトディスプレイ、スマート内耳、電磁波照射器などの複数のデバイスを連携させることで初めて機能する
こういったことを、今までテレポーターたちは自らの経験に基づいてやってきていた。マコフスキーの法則が完成してからは、テストスコアをもとにある程度目途は立てられたし、有志が作ったアプリも多くあった。ただ、ノイズキャンセリングの難しい脳波リーダーを組み込んだMDA作成は一個人には難しく、AIアシスタントに情報を渡す手段として、発話や端末への入力などが用いられていた。しかし、それでは瞬時の判断サポートは到底できず、長く定着したものは一つもなかった。他にも、WIDAの四要素の測定を高精度で行うことの難しさも大きな障壁だった。
しかし、ネイバーフッド社がIT大手と共同で開発した〈ナビゲーテル〉には、マコフスキーの法則を実践レベルで応用するため、これらの問題を解決すべく様々な先端技術が惜しみなく投入されていた。
画像認識と機械学習、そして高度な自動ネットワーク検索の合わせ技によるテレポート対象物体の重量測定に、視差やレーザー測定を利用したテレポート距離測定、脳波リーダーによる読み取りを基軸にした精度設定に同じく脳波リーダーとGPSからデータを読み取る間隔測定。これを各々のMIテストの結果をもとにチューニングした個々人のマコフスキー方程式に代入することで、必要な情報のすべてをコンタクトディスプレイに表示してくれる。
その間なんと三百ミリ秒。特定の条件で、どれくらいのパフォーマンスを発揮できるかを〈ナビゲーテル〉は事実上一瞬で教えてくれる――こうして、テレポーターのリアルタイムサポートAIの極致がようやく世に放たれた。
ベータテストが行われたアメリカでの評判も上々だったらしい。レビューコメントを〈テラ〉にまとめさせてみると、暴発回数の激減や個人でのトレーニング効果の劇的な向上の声が多く見られたようだった。
「〈ナビゲーテル〉起動」
興奮に震えるわたしの声に呼応するように、コンタクトディスプレイに同期した〈ナビゲーテル〉がゲームのような青色のインタフェースを視界に表示させる。併せて、視界の端に種々のパラメータが浮かび上がる。MI値。
目の前にあるテトラポッドの破片を見やる。海岸で拾ったものだ。それがテレポート対象であると念じ、目線を強く送ると、〈ナビゲーテル〉はそれをテレポート対象と認識し、その輪郭をなぞるように青いラインが視界に出現した。検索中の文字が出たと思ったのも束の間、そのテトラポッドの本来の姿の縮小版が視界の端に出現した。セーブコースト社製64t型とある。そして視界中央、その物体と重なる位置に重量四十二キロと表示されていた。
わたしのMIは八十一とかなり高い部類にあったが、女性テレポーターに典型的な精度重視型のテレポーターで、数百メートルの長距離テレポートや数十回の連続使用には耐えられるものの、重量への感度が著しく高い。少しでも重い物をテレポートさせようとすると途端に他の三要素を削らざるを得ない。テレポート可能重量の限界はわたしの体重より若干重い程で、自分自身のテレポートでさえも、食後か否かでパフォーマンスは大きく変わる始末。
テレポート対象を決めた後は、今度はテレポート先を決定する。視線を遠く、赤いランプの列の合間に向けると、視界の中に天気予報の予報円のように誤差範囲を現す半透明の黄色い球体が出現する。誤差半径三十センチの文字がその予想球の脇に表示されていた。九十五パーセントの確率で、わたしはこの物体をその予想球の内側に転移できる。
頭の中で設置した目標テレポート先を手前に移すと、予想球は緑がかると共に一気に小さくなり、球体形から破片の歪な形に近づいていく。逆に遠ざけるとどんどん予想球は膨張する太陽のように赤みがかり、百四十メートルを超えたあたりで、予想球は超新星爆発を起こし、暴発の可能性高、というアラートで視界を赤く染めた。
わたしは再び、テレポート先までの距離を近づけるよう念じ、予想球の半径が1メートルになったところ、ここからの距離百三メートルで固定する。
意を決し、テレポートを実行する。目の前にあったテトラポッドの破片は消えていた。すぐには視認できなかったが、〈ナビゲーテル〉の画像認識とレーザー距離計がテレポートされたテトラポッドを補足した。遥か遠く、肉眼では闇に飲まれて見えない位置にあるそれを〈ナビゲーテル〉は見つけ出し、その輪郭を青いラインで作り上げる。
視界の端に結果が表示された。誤差マイナス四十三度方向に三十六センチメートル。
上々だ。
わたしは口元からこぼれ落ちる笑みを隠しきれなかった。夜空と黒い海面の狭間に漂う満エウロパを睨む。これがあれば、月だけが昇る夜空を取り戻すことができるかもしれない。
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