1.8 加護がわたしを強くする

 夏休みがやってきた。夏休みは嫌いだった。わたしの誕生日があるからだ。


 外資系のコンサルティングファームに勤める父は世界のあちこちを飛び回っており、家にはほとんどいなかった。そのせいか、どこの国の流儀か知らないが、誕生日パーティなるものをする文化の持ち主のようで、ここ二年、センスのない誕生日プレゼントの代わりにその写真を要求してくるようになっていた。昨年までは日本ではそんなものやらないと突っぱねていたものの、今年もそれをせがむメールがたくさん届いていたから、わたしは頭を抱えていた。


 言うまでもなく、〝コウモリ女〟のわたしには誕生日を祝ってくれるような友達はいなかった。だが、映像技術が隆盛を極める時代だ。映像は、盛れる。


 母に相談すると、パーティ画像・映像作成代行サービス〈ビーザスター〉というものを見つけてくれた。登場人物及び舞台となる場所の映像、そしてストーリーのプロットを送ることで、さもそこで自分が主役のパーティが催されているかのような写真や、ホームビデオ風の映像、SNS向けの短時間動画、果ては追体験型のVRコンテンツに至るまで、様々な形のコンテンツをAIが自動作成してくれるという代物だった。


 昨年父がくれたピンク色のけばけばしいガラクタを母にフリマアプリで売ってもらうと、ちょうど〈ビーザスター〉の一番安いプランの利用料が賄えた。


 安価なホームビデオ風の映像は数時間後には作成されてダウンロードできた。作られた映像の中で、わたしは気のおけない友人である保科くんやジャイアンに囲まれて笑っていた。父が今年送ってきた新しいピンク色のガラクタをわたしは嬉しそうに抱え、友人たちに自慢している。羨ましがる友人。父のセンスを褒める友人。笑顔が飛び交う、幸せに満ち溢れた光景。楽し気に響くハッピーバースデイ。その映像を見終えると、思わず吐き気を催してトイレに駆け込んだ。


 父の反応は上々だった。わたしは父からの返信メールを手柄のように母にすぐに見せた。


「ありがとうママ」


 彼女は興味なさそうに頷くだけだった。


「ママのお陰で、パパ喜んでるよ」


「そう、良かったわね」


 投げやりな返答から、九歳のわたしは父についてのことを母に話すべきでないとすぐに悟った。それと同時、薄々勘付いてはいたものの、両親の関係がテレビドラマの中の幸せな夫婦のそれとは違うことも確信した。


 いつだか、母に思い切って訊いたことがある。


「ねえ、お父さんのこと、好き?」


 ソファに座り、漫然とドラマに耽る母の横顔にその質問を投げかけたとき、母は曖昧に頷いただけだった。目はテレビに向けたまま、ぴくりとも動かなかった。わたしはそれ以上何も言わなかった。


 わたしがテレポーターであることも、わたしと母の間だけの秘密だった。昔は蚊帳の外にいる父に対して引け目を感じることもあったものの、〈ビーザスター〉のこしらえた架空のホームビデオに呑気に喜び、紺色の好きな娘にショッキングピンクのガラクタを飽きずに送り続ける父のことをいつしかわたしは自然災害の一種としてしか認識しなくなっていた。自分の妻と娘の正体も知らないのだから。そんなわたしにとって、母の喜ぶ顔がすべてだった。


 一方で、楽しいこともあった。自由研究用にと買ってもらった「遺伝子編集DIY:ホタル」にはその夏の間中、わたしはずっとのめり込むことになった。付属のアプリケーションをコンピュータにインストールすると、音声インタフェースでDNAの改造プラグラムを簡単にコーディングできるようになる。その情報が名刺サイズの遺伝子編集機に送られると、内部にセットされた解凍済みの卵内に改造ゲノムが生成される。やがて生まれたゲンジホタルは成長すると、赤色の光を発するようになった。彼らが羽化した夜、わたしは夜通し彼らの光の饗宴に目を奪われていた。


 SNS上で話題になっている「七色蛍」の存在を知ったのはその数日後。基本は単色のゲンジホタルだが、うまく遺伝子操作を行うと、複数色に発光させられるようになるらしい。わたしはその夏休み限定で夜行性になり、何日もかけて取り組んだが、三色蛍が限界だった。けれども、その信号機蛍の人工的な美しさは何時間見ていても飽きない程のものだった。


 夏休みが明けると、教室から机が一つ減っていた。保科くんだった。


 それからのわたしは学校では黙々と読書をし、家では母とテレポートの訓練をし、そしてテレポーターとしての矜持を叩き込まれていった。四年生になってからは校内でテレポートを使うことも稀になっていて、時たまからかいの対象にされることはあったものの、特別な存在という加護は更に強固になり、わたしを傷つけるには至らなかった。


 わたしはテレポーター。その気になれば、赤子の手をひねるように、あんたを殺せる。でも、わたしは慈悲深くて優しいから、その暴言を吐かれたことは全部水に流してあげる。


 だから、仕返しをするまでもなかった。本当に強いのはわたしなんだから――そう思うと、子どもっぽいすべての同級生が赤子に見えた。勉強だって、わたしに勝てる生徒は一人もいなかった。


 その優越感は、大人に対しても、そして父に対しても発揮された。


 父の不倫の証拠を偶然見つけてしまったときも、不思議なくらいわたしは冷静だった。弱い人間で、おまけに妻との関係も冷め切っているのだから、そうやって傷をなめてくれる人の一人や二人いてもいいだろう。初めて、父のことを愛おしいと思った。わたしは嬉々として証拠を隠滅した。


 加護という名のそれがただの呪詛であるとわたしがようやく気付くのは、五年生になってから。

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