1.7 騎士失格
「――だから違うって! 俺じゃない!」
窓に背に立つ保科くんは泣きながら叫んでいた。精悍な顔立ちもすましたスマートさをかなぐり捨ててでも自分の無実を訴え続ける姿は、今までの彼の姿から想像もできない程にみじめだった。けれども守りがいのある弱弱しさが垣間見えた。
他の生徒たちは皆クラスの廊下側に固まり、彼とは距離を置きながらも、彼の動向に目を向けている。ただ一人、ジャイアンを除いて。
ジャイアンはクラスの端で縮こまって震えていた。
「お願いだ、保科。俺が悪かった。お願いだから、殺さないで……」
そしてわたしは、廊下側に固まるクラスメートの集団の中の一人にうずもれていた。
「だったら、どうしてジャイアンがあんたにちょっかいを出すたびにジャイアンに変なことが起きたの? あんたが犯人である証拠じゃない!」
同じ島にいた噂好きの女子が詰問する。そうだそうだ、と何人かが同調する。
ああ、これが。
冷静なわたしは先日母から聞いた話を思い出した。こういうのを〝炎上〟って言うんだ。
「知るかよ! 俺がテレポーターだと皆に思わせるために俺とジャイアンを利用したんだろ!」
違う。
わたしは思わずそう叫ぼうとして、すんでのところでこらえた。掌の月を強く握りしめた。わたしはようやく自分の過ちに気が付いた。けれども、テレポーターは自分ですとはどうしても言えなかった。
それからも生徒たちと保科くんの押し問答は続いた。
「だから俺じゃない! あの告発文を書いたのは俺なんだよ!」
追い詰められた保科くんが叫んだ。その言葉をわたしはしばらく理解できなかった。それは他の生徒たちも同じようで、緊迫した無言がしばらく場を支配した。
「じゃあさ……保科」
そう切り出したのは廊下側の集団の中にいた保科くんの友人だった。
「本当は誰がエウロパ人だって言うつもりだったんだ」
「……分からない」
「分からない?」
保科くんの友人の声が上ずった。「どういうことだよ、それ」
「皆の言う通りだよ。俺がジャイアンにちょっかいを出されると、きまってジャイアンの持ち物に変化が起きた。おかげでちょっかいはなくなったけど、俺だって怖かった。俺は何もやってないのに、どこかに潜むテレポーターが勝手に正義ぶってジャイアンをこらしめようとしてる。何が目的なんだよエウロパ人。俺をテレポーターに仕立て上げることが目的なのか? やめてくれよ、そんなの……」
「じゃあ、何であんな告発文を書いた訳?」
噂好きの女子が追撃をかけた。
「どこかに潜むテレポーターがジャイアンに仕返しするのをやめてもらうためだ! ああやればテレポートだって迂闊に使えないだろ?」
「どうせ嘘よ!」
別の女子が追撃をかけた。彼の話は理に適っていたが、おろかな小学生の集団はそんな理性的な思考力を持たなかった。誰も聞く耳を持たず、何人も援護射撃に回り、清水先生が入ってきたときにはもう、追い詰められていた保科くんは窓を明け放し、窓辺に立っていた。どこかの中学校で最近起きた事件に倣ったものだ。テレポーターと疑われた生徒が、自分がテレポーターでないことを証明するために飛び降りさせられたというものだ。生徒は下半身の麻痺と引き換えに身の潔白を証明した。その事件のことを誰かが言った。
そして、保科くんはそれに縋るしかなかった。
「分かったよ、テレポーターじゃないってこと証明すればいいんだろ? こっから飛び降りて、落ちるときにびびって自分をテレポートしなければ俺はテレポーターじゃない、それでいいか?」
「やめなさい、保科くん。落ち着いて!」
さすがに皆も保科くんをなだめる態勢は入っていたが、もう遅かった。
保科くんは窓の外の青空に飛び込んだ。
二階だったから、幸い脚の骨折だけで済んで命に別状はなかったという。清水先生は休職した後、退職した。ジャイアンは不登校になった。わたしを含め、他のクラスメートたちは最初こそ無言のままで、しばらくしてからは会話こそするようになったものの、そこにいない誰かに忖度したかのようなぎこちない会話をするばかり。意図的に、彼らの名前も、テレポーターの話題も出さないよう心掛けているようにも見えた。
全校集会や保護者説明会も開かれ、一連のニュースは全国放送で流れ、ネットが沸いた。〝炎上〟は各地で起き、色んなものが、人が、概念がネット上で絶えず燃えていた。
海外出張中の父には隠し通せたものの、母はその原因の一端にわたしがあるとすぐに見抜いた。
「だから真弓、言ったでしょ。テレポーターであることを悟られてはいけないって」
「ごめんなさい」
食卓に座らされたわたしは冷めたセイロンティーに向かって何度も謝り続けた。セイロンティーの水面に揺れる母は続ける。
「もし、あなたがテレポーターだと疑われていたら、あなたが同じ目に遭っていたかもしれないのよ」
「ごめんなさい」
母は叱責の雨をそれ以上浴びせることをしなかった。顔を上げるのと、母に強く抱きしめられたのは同時だった。
「真弓が無事で本当によかった。本当に」
でも、わたしのせいで保科くんは――言えなかった。
わたしは騎士失格だ。ひ弱な王子様を守れなかった。せめてもの償いとして、保科くんのお見舞いにも、謝罪にも行きたかった。それをしなければ人間として終わりだと思った。
「真弓、食欲ないの?」
夕食を二人で食べている最中、わたしの箸の遅さを訝しんだ母が顔を覗き込んできた。右手中指が使えないせいで食べるのは元々遅かったが、それが原因でないことはすぐにばれた。
「わたしね、保科くんのお見舞いに行きたい」
母の返答は左頬への平手打ちだった。おどろくわたしの頬を母は掴んで、顎を引き上げた。
「いい、真弓。あなたは特別な存在なの」
「でも、ノブリス・オブリージュは? 本当はわたしが一番強いから、彼を守らないといけないんじゃないの?」
「だったら謝りに行ってどうするつもり? 正直に告白するの? テレポーターは私でした、濡れ衣着せてごめんなさい、って言うの?」
わたしは母の顔から目を外して、お見舞いに行ったシチュエーションを想像した。ベッドに寝た切りの、片足に包帯の巻かれた保科くん。その彼の不貞腐れた横顔にわたしは言う。ジャイアンが保科くんにちょっかいを出すのをやめさせるために、わたしがジャイアンの持ち物のいたずらをしたの。
彼はどう答えるだろう。ふざけんな。どうしてあの時真実を打ち明けてくれなかった。偽善者。エウロパ人。
何度考えても、ありがとうと言われるビジョンは見えなかった。
わたしは母の顔を見上げて、小さく首を横に振った。
「分かった。もう、人には優しくしない」
すると母は立ち上がりわたしの横に立った。かがんで、わたしと目の高さを合わせて言った。
「謝りたいと思う気ちがあるのは、真弓に慈悲の心があるからなの。それはとってもいい心掛け。神様に選ばれた私たちには彼らに慈悲を振りまく義務はあるけれど、時として選ばれなかった彼らは嫉妬を私たちにぶつけることがあるの。だからね、真弓。次からはうまくやりなさい。力を使う前に考えて考えて、テレポーターの存在が絶対に悟られない自信があるときにだけ人に魔法をかけてあげて。あなたにはそれができるだけの特別な力がある」
わたしは強く頷いた。結局、保科くんのお見舞いには行かなかった。
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