1.6 エウロパ人探し
このクラスにエウロパ人がいる!
わたしは心臓が止まるかと思った。一つ深呼吸をしてから、わたしは平静を装って席についた。そしていつも通りランドセルから本と教科書を取り出し、本を机の上に、教科書を厚い順に机の中に入れる。ペンケースを右上端にぴたりと合わせておいて、わたしは本の続きを読み始めた。
目線は文字の上を滑るばかり。内容はまったく頭に入ってこない。
わたしは本を読むことをやめ、読む振りをしながら周囲の会話に耳を傾けた。右サイドの三人組の女子は仮想アイドルの好みについて熱く語っている。前の男子二人はタブレットのゲームに盛り上がっているようだったが、その二人は元来そういうタイプではない。何かから逃げるようにそれに興じているように見えた。その後ろに座る女の子は自動筆記ペンシルでデッサンをしている。でも、その告発文が気になるのか、時折前にちらちらと目をやっている。左サイドのジャイアンとその取り巻きたちは流行りのVRゲームの話をしていた。各地のVRブースで体験できるRPGのようだ。そこでどんな敵を倒したとか、どんなアイテムをゲットしたとか、ジャイアンの自慢話を取り巻きたちがつまらなさそうに面白がっている。保科くんは……外でサッカーをしているようだ。それを何の気なしに見ていると、彼がシュートした。外した。彼がシュートを外すのを初めて見た。クラスの後ろの方でたむろしている女子たちはちらちらと黒板を見ていた。エウロパ人ってテレポーターのこと? だったら誰、ここにテレポーターがいるの? 彼女たちの噂話に耳を傾けていたが、彼女たちはどうやらあの告発文を書いた本人ではなさそうだった。サッカーから戻ってきた保科くんは靴下が砂で、指先はラインを引く石灰であろうか、白くそれぞれ汚れていた。彼は黒板の文字に一瞥をやった。それだけだった。
皆が皆、平静という仮面を被ろうと無理をしているように見えた。
やがて始業の時間がやってきて、担任の清水先生は入ってくるなりそれを一瞥した。何かを言う訳でもなく、くだらない落書きを消すように淡々と消した。誰一人としてそれに触れる人はいなかったが、今日のホームルームはいつにも増して静かだった。この教室にはテレポーターがいる。それを告発したのは誰で、本当ならばテレポーターは誰なのか。誰もが互いに疑心暗鬼になっているのは明白だった。
一時間目の国語、二時間目の体育と何もなかったかのように時は過ぎていく。皆いつもよりは口数は少なかったが、時間と共にちょっとずつ言葉を取り戻しているように見えた。
三時間目の理科は移動教室だった。神経をすり減らしていたのか、わたしも小さなミスをやらかした。理科室に移動した後に、ノートを教室に忘れてきたことに気が付いたのだ。でも、わたしが教科書やノートを決まった順番で入れているのはこういうときのためだ。理科のノートは引き出しの底面から四番目、二三ミリのところ。ノールックテレポートで正確に呼び出すことができる。こっそり理科室の机の中にノートをテレポートしようとしたそのとき、あの告発文が脳裏を過った。
背筋にぞくりと冷たいものが走った。右手が震えている。わたしは仕方なく左手を上げた。
「ノートを教室に忘れてしまったので、取りに戻っていいですか」
皆がわたしを注目していた。清水先生は笑っていた。
「あれ、脇坂さんが……珍しいですね。いいですよ、早くとってきなさい」
事件が起きたのは昼休みのことだった。
近くの人で島をつくってお昼を食べていると、同じ島の女子が唐突に言った。朝、クラスの後ろで噂をしていた集団の一人だった。
「エウロパ人、誰か分かった気がする」
わたしは春雨スープを噴き出さないようにするのに必死だった。一回せき込みながらも飲み込んだ。
「まじか、誰だよ」
隣の男子が信じ切ったような口調で訊いた。わたしは春雨スープのカップを置き、その女子に目をやる。
「保科くんだと思うの」
「どうして?」
別の子が訊くと、その女子は低い声で囁くように言った。
「考えてみて。ジャイアンが鉛筆の芯のことで怒られたときも、ノートがロッカーの上に置かれていたときも、漏らしたときも、全部彼たちが保科くんにちょっかいを出した後だったじゃない」
隣の男子ははっとしたように顔を上げた。
「言われてみれば、確かに」
「おい、今の話、マジかよ?」
突然隣の島の男子が話に食いついてきた。
それがきっかけになり、クラス中にその説は瞬く間に広まった。
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