1.5 むかしむかし
わたしはダイニングのテーブルに座らせられて、目の前に父の出張土産のセイロンティーが置かれる。母は対面に座り、肘をついて顔の前で手を組んだ。並々ならぬ空気を感じて、手洗いうがいをまだしていないことを告白できなかった。
「真弓、昔、テレポーターが何て言われていたか知ってる?」
「イタンシャ、でしょ」
「そう、異端者」言葉の響きは同じだが、母が言うその言葉に棘があったことを、わたしは今でも覚えてる。
「非テレポーターにとって、テレポーターは忌むべき存在であり、排除すべき存在だった」
「ハイジョ? それって、殺すってこと?」
母は間髪いれずに深く首を縦に振った。わたしは何も言えなくて、セイロンティーを啜った。
「世紀の初頭にね、テレポーターが歴史の表舞台に姿を現した直後はね、非テレポーターと友好的な関係を築くテレポーターもたくさんいたの。災害の救助活動や人質の救出にも助力したテレポーターもいた。でもね、真弓がペンケースを開けずに鉛筆を引き抜いたように、テレポーターの中には金庫を開けずにお金を奪ったり、人間を上空数十メートルにテレポートさせたりした人もいた」
「上空にテレポートって、それじゃその人は……」
「もちろん死んだ」
わたしは息を飲んだ。わたしができるノールックテレポートは微々たるものだし、人間ほどの重さの物体はテレポートできない。けれども、世界には強力なテレポーターがわんさかいて、極め付きは――〈ゼウス〉は木星第二衛星エウロパを地球の軌道に呼び寄せた。
「星の数程の窃盗と殺人、そしてテレポートによるテロは次第に激化していって、二〇一〇年代にはね、テレポーターは異端者として迫害されるようになったの。異端者狩りね」
「ということは、ママも?」
「私にはそんな大それた力はないし、テレポーターを公言はしてなかったけど、生きた心地がしなかった。いつテレポーターであることがばれるのかってびくびくしながら生きてた。代々うちはテレポーターの家系でね、江戸時代には忍者として活躍していたなんて話も聞いたことがあるけれど、当時家族の中でテレポート能力を発現していたのは私だけだったからね。あの人たちは私の味方だったけれど、迷惑をかけたくなくて、家を出るしかなかった。職も安定しなくて、いつもいろんなところを転々としながら生きてたの。
あの頃は悲惨だった。日本でも多くの暴行事件が起きた。犯人たちはテレポーターに天誅を下した、なんてのさばってたけど、被害者の中には多くの非テレポーターが含まれていたと言うし、仮に本物のテレポーターだったとしても、善良で微弱なテレポーターだったというケースも多かった」
「被害者は何も悪くなかったってこと?」
「そうよ」
「どうして悪くない人が叩かれるの?」
「社会も、ネットもそういうもの。〝炎上〟っていうのよ」
「でも、そんな時代はエウロパ出と共に終わったんじゃないの」
「表面的にだけよ」母は立ち上がる。
「〈ゼウス〉が〈新人類同盟〉を滅ぼして、エウロパを召喚なんてしたもんだから、みんなテレポーターからの報復を心底恐れて、異端者狩りをやめただけ。反感が消えた訳じゃない。だから、テレポーターであると悟られるような行為はだめよ、真弓」
「はーい」
わたしはセイロンティーの残りを流し込んだ。母は夕飯の支度をしなきゃとキッチンに立つ。一瞬間があいて彼女は振り返った。
「ところで、真弓、ちゃんと手洗いうがいはしているんでしょうね」
わたしは目を反らし、掌の月に向かって曖昧な笑みを浮かべた。
母に言われた言葉の重みはその翌週すぐに実感することになった。
学校に登校すると、黒板に白いチョークで大きくこう書かれていた。
このクラスにエウロパ人がいる!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます