1.3 天罰

 特に好きな競技は玉入れだった。皆して必死こいて玉を入れようとしながらも中々入らず焦る姿は見ていて爽快。入れたら入れたら大喜びする様はまさしく滑稽。わたしには投げるなんて過程すらいらない。百発百中のわたしに勝てる人なんていない。


 あまりのおかしさに、わたしもがんばって投げ入れる姿勢だけ真似してみたくなった。もちろん、全部わざと外した。


 運動会本番でもわたしは外す真似を終始やり遂げた。わたしたちのクラスは完敗だったが、皆が悔しがる中、わたしだけは天を仰いでいた。鳥型ドローン〈ペラゴルニス〉が遥か上空を飛んでいるのに気づいて、わたしは舞い上がっていたのだ。当時はまだドローンによるプテラ空輸システムが実験段階の頃で、肉眼で見たのは初めてだった。翼開長十メートルの機械鳥はその雄姿を眼下の人々に見せびらかすように雲一つない青空を悠然と飛んでいた。


 運動会明けの平日の休み時間、わたしがサン=テグジュペリの世界に耽っていると、突然それはひったくられて、わたしは現実世界に叩き戻された。


 さすがのわたしも舌打ちをした。ジャイアンだった。


「見てたぞ。玉入れ、一個も入れてなかったじゃねえか」


「だったら?」


 何で「見てた」か、何で「見ることができた」か、あえてつっこまなかった。彼の脳にはそんなことを弁明できるだけの高級な機能は搭載されてない。わたしは彼で少し遊んでやりたくなった。


「お前のせいで運動会負けたんだよ」


「返して」


 わたしは彼の右手にある本へと手を伸ばした。彼はそれを後ろに引いて自分の巨体でわたしを遮った。力づくでは奪えないし、ばれないようにテレポート能力で細工しようにも、ジャイアンごときを相手に小細工をするのは腹立たしい。そうだ、ばれないように仕返しをしてやろう。名付けて、「天罰」。


 これは名案だ。わたしは笑いをこらえながらどんな「天罰」がいいだろうかと思案していると、彼の手から本をひったくった別の男子生徒がいた。


「脇坂が利き手の中指動かせないの知ってるだろ。それに、負けたのは皆のせいだ。一人のせいにするなよ」


 そう言ってわたしに本を返してくれたのは同じクラスの保科ほしなくんだった。クラスで一番背が高く、玉入れでも唯一バシバシ決めていた保科くんはジャイアンに言い返せる数少ない生徒だった。幼稚園児みたいな同級生ばかりの男子生徒の中でも彼は大人びて見えて、すました感じは少し鼻についたが、嫌いじゃなかった。ぶつぶつ文句をばらまきながらジャイアンは去っていく。


 王子様のようにそそくさと自分の席に戻ろうとする保科くん。ありがとうと声をかけようとしたところで、自分が読んでいた本のタイトルが目に入った。『星の王子様』。


「惜しい……!」


 思わず声が漏れた。礼は言いそびれた。




 彼のいるお陰か、その年、ジャイアンが大っぴらに誇示してくることは以降なかった。


 二年生になり保科くんとクラスが分かれると、再びジャイアンが誇示をし始めた。最初こそ無視を決め込んでいたが、さすがのわたしも堪忍袋の緒が切れそうだった。誇示を勝手にやっている分にはどうでもいいが、読書時間を妨げられるのは勘弁だった。わたしはとうとう彼に「天罰」を下すことに決めた。理科の授業中、皆がタブレット端末で生物分類のアプリケーションに興じている最中、わたしは一本のシャー芯を彼のタブレット端末の内部にねじこんでやった。


「んあ?」


 彼が野太い、されど抜けた声を発した。そちらに横目をやると彼はタブレットの背面をばんばん叩いている。画面にはノイズが走り、表示が崩れているのが見えた。致命傷を与えられたらしい。


「せんせー、タブレット壊れました」


 彼は手を上げた。先生は彼のところに行き、目をきつくして彼に言った。


「乱暴な扱い方してないでしょうね」


「してないって! 突然壊れたんだって!」


 先生は首を傾げ、予備のタブレットを貸し出した。わたしは気分が良くて、誰よりも早くアプリをクリアした。イルカやコウモリが哺乳類であることを知らず苦戦する子も多いようだったということを後から聞いて、わたしは目を丸くした。イルカはともかく、コウモリの死体を拾って観察していれば自然と興味が出て調べるものだと思っていたが、今の小学生はそんなことも知らないらしい。


 けれども、その「天罰」は彼の中でわたしと結びつけられなかった。彼のからかいは止まることがなかったから、以来わたしは彼の入れない女子トイレの個室で本を読むようになった。そんなものだからジャイアンの横柄さはますます助長され、彼は取り巻きをつくるようになった。


 二年生の冬に起きた東海地震の影響か、その年の春は数を減らしていたコウモリが頻繁に空を飛ぶようになったために、その頃のわたしはコウモリを追っかけたり、朝方には死骸を拾っては持っていたタブレットで種を調べたりすることに夢中になっていた。ある日を境にわたしはジャイアンにコウモリ女と名付けられた。むしろ名誉だとわたしはひっそり気に入っていたものの、クラスメートの女子たちに完全に避けられるようになってしまった。同じ哺乳類なのに、彼女たちにとってコウモリは昆虫と同列らしい。それがわたしには不思議で仕方なかった。


 三年生に進級すると、保科くんと一年ぶりに同じクラスになった。やや華奢ではあったものの、端正な顔立ちとすらりとした背はとても三年生のそれには見えなかった。その風貌が鼻についたのか、取り巻きと横柄さをつけたジャイアンは何かと彼に難癖をつけるようになった。


 彼のタブレットを隠したり、彼がいない隙に机を逆向きにしたり。わたしは初めてジャイアンに対して怒りという感情を覚えた。保科くんは有象無象の中でも、わたしのお気に入りだった。


 ――テレポート能力は、弱き者を助けるためにあるのよ。


 わたしは再びジャイアンに「天罰」を下すことに決めた。その頃のわたしは図書館で見た本の知恵を総動員して、「天罰」のシステムを改良していた。「オペラント条件づけ」なるものを組み込んだのだ。動物は一般にある行為と罰が結びつくと、その行為をしなくなる傾向がある。つまり、保科くんをいじめる度に「天罰」が下れば、動物ジャイアンも保科君へのいじめをやめるという算段だった。でも、今度はタブレットを破壊するといった大掛かりな罰は下さない。ちょっとした嫌なことだけを起こし、徐々に追い込んでいってやるつもりだった。


 だから大丈夫、保科くん。授業中、熱心に先生の話に耳を傾ける彼の横顔にわたしは心の中で話しかけた。


 あなたはわたしが守ってあげる。

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