1.2 わたしは特別

 今でこそ非テレポーターの顔とテレポーターの顔とを使い分けているわたしにも、その二つが陸続きの頃があった。有象無象の同級生たちにはないがわたしの中にあるという違和感はすぐに特別感に昇華し、脇坂真弓という人間は六歳にして孤独で鼻持ちならない少女になった。


 そうなった元凶は母だ。


 テレポーターには〝異端者〟として迫害された歴史があった。家族と縁を切り、宿主をとっかえひっかえしてまでその時代を生き抜いてきた母にとって、X染色体に刻まれたテレポーター遺伝子はまさに忌むべき証であり、同時に唯一の誇りの拠り所であった。テレポーターであることは隠さなければならない。けれども、その誇りを捨ててもならない。


 わたしはその母に育てられた。


 ――テレポーターは誇り高き種族。高貴なる血が流れてるの。胸に刻んで、真弓。あなたは特別。ノブリス・オブリージュを果たすべくして生まれた存在なのよ。だから、力を持たない弱き者たちに優しくしなさい。その愚かな行為のすべてを許しなさい。


 わたしは、特別。


 その言葉を幾度となく復唱させられたことだろう。他人と違う、特別な人間。母がくれたその言葉はわたしの小さな体に、小さな脳に、スポンジが水を飲み込むように容易く吸収されて、毛細血管が体中に張り巡らされるようにわたしの中に広く根を伸ばしていった。そしてそれは呪文のように、幼いわたしをすべての嫌なことから守ってくれる加護となった。だからどんないじめに遭ってもわたしは泣かなかった。喉につっかえる殺意も、魔法の言葉で包み込めば飲み込めた。


 わたしは特別。あんたとは違うの。


 たとえば小学校一年生のとき。華奢で物静かで、珍しく紙の本を好むくせに、クラスで一番頭がいいために授業で目立ってしまうわたしはからかいの標的に選ばれた。同じクラスの横柄な男子生徒――名前は忘れたが、わたしは心の中でスネ夫と呼んでいた――はわたしのことを猫背女と呼んでからかった。紙の本をたんまりといれた紺色のランドセルは重く、前かがみにならないと歩けなかったためにそんな恰好になっていたのだ。おまけに女子にしては珍しい紺色のランドセルだったことも、大人しいくせに生き物と戯れるのが好きで雑木林に入っては蟻の巣に水を流し込んだりトカゲの尻尾を切ったりして遊んでいたことも、断裂した右手中指の運動神経の再建手術をまだ受ける前で、鉛筆も箸も少し変な握り方になっていたことも、悪目立ちした要因なのかもしれない。


 既に加護の恩寵を受けていたわたしにとって、そんな悪口は礫程も痛くなかった。わたしは特別。教育用タブレットにこっそりインストールしたゲームで遊んでばかりのあんたたちとは違う。甘いジュースばかり好むお子様な舌のあんたたちとは違って、大人のわたしはルイボスティーの香りをたしなむの。猫背だって多くの知識と知恵と深い物語とを背負う証。わたしにとっては勲章なの。


 掌の痣もからかうきっかけになった。母曰く、これは死んだ兄の起き土産であり、この痣が刻まれたときからわたしにもテレポート能力が発現するようになったという。つまり、この痣はわたしが特別な存在たる所以にして、証だった。だからこそ、痣に対するからかいはすべて僻みにしか聞こえなかった。それを聞く度に、トイレの個室の中でわたしは右掌ににたりと笑いかけ、優しく舐めた。また嫉妬されちゃったね、兄さん。


 あるいはわたしが物の順番にこだわるところも、彼らにとっては神経質に映るようだった。テレポートの際に大事な「物体の座標認識」の癖をつける影響で、わたしは物の配置や順列にひどく気を遣う子だった。たとえば、教科書や本をランドセルや机の引き出しに入れるときにはカテゴリごとに分け、ついで各カテゴリ内では必ず厚さの順番にするというルールがある。けれども、ふと気づくとその順番が入れ替わっていることが往々にしてあった。わたしはそれをやった匿名の犯人を憐れんだ。物の配置や順序に込められた大いなる意味を理解できないとは、ああ、なんてかわいそうなんだろう。


 けれども、そうやって自分で向けられた悪意を消化することに慣れきってしまう弊害もあった。大抵は途中でつまらなくなってからかいをやめるものの、逆に反撃のないのをいいことにつきまとってくる輩も現れたのだ。


 誰が呼んだかは知らないが、ジャイアンと呼ばれていたそいつは厄介な難敵だった。休み時間でも基本的に席を離れないわたしがお手洗いに離席した瞬間を狙って、わたしの机の中から紙の本を引っ張り出し、手は届かないけれども、見えるような場所――ロッカーの上に置くのだ。


 それを取り戻すこと自体は、既に十キロ程の物体のテレポートはできるようになっていたわたしにとっては息を吐くことと同じくらい難しい。問題はクラスメートの目線だった。


 ――テレポーターであることを悟られてはいけません。


 その度に、もう一つ、わたしの血肉に沁み込まされた母の呪詛がわたしの耳の裏を舐め回す。その呪詛は脇坂真弓という人間がこの地球上で生きていくための鉄則だと聞かされていた。テレポーターであることは、母とわたしだけの秘密。テレポーターではない父にも黙っていないといけなかった。


 結局、わたしは椅子を持っていって回収する羽目になっていた。ジャイアンはそのいたずらを中々止めなかった。意気揚々とロッカーの上に本を投げるジャイアンの姿を、わたしはドアの影からそっと見守っていた。


 けれども、わたしは一度たりとも彼のことをうざいとは思わなかった。それどころか、そんなことでしか自分を誇示できない彼がかわいそうで仕方なかった。同時に、彼のちっぽけな自己表現はどんなくだらないバラエティ番組よりも面白くて、本をロッカーの上に置かれた日の帰り、わたしはスキップせずには帰れなかった。


 帰り道、坂東さん家の柴犬と戯れた。日が沈む頃には、ワイヤレスイヤホン型超音波変換器〈バット・ディテクター〉を耳にはめて、河川敷で速いリズムで奏でられるピキピキという彼らの声を頼りにコウモリの黒い影を探したり、母と花火に興じたり。蟻の巣に突っ込む花火は美しく、巣の中から空中に蟻が空を舞う様は優雅で、母には禁止されていたけれど、テレポートの〝暴発〟を意図的に行ってダンゴムシを真っ二つに引きちぎった――その不揃いで不連続な断面は芸術的な造形をしていた。


 ――自分より弱い者に力を振るってはいけません。


 それが母の教えだった。それは自分の力を人に示すことで自分のことを強く見せようとする哀れな行為だと教わった。だから本を隠されるたび、ジャイアンは誰よりも弱い人間だと分かってわたしは嬉しかった。もちろん、クラスで一番強いのは、テレポート能力を持ったこのわたし。そこら辺の有象無象とは違う特別な存在。でも、能ある鷹は爪を隠すものだから、わたしは弱い振りをしないといけないらしい。


 けれども、ジャイアンの粘り強さに辟易する出来事は、誕生日を乗り越えた直後、秋の運動会で起きた。


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