⑦
「え、うっそ、せんせー? せんせーっ!」
珍しく声もかけず、ノックもせず教室に入って来たおれの姿を見て、ジゼルはひっくり返りそうな程驚いていた。補習を通して、白から褐色に焼けた肌を、俺は一瞥する。
あわあわしているジゼルは落ち着きがないが、その姿こそおれがジゼルと出会った時の事と重なって、なんというか、どうにも恥ずかしい。
「ど、どーしたの? なんか、いつもと違う感じじゃん?」
制服姿の、それこそ出会った時の制服姿のジゼルが、ばたばたしながらおれを出迎えてくれる。手鏡を持って自分の髪型をチェックしているが、おれに言わせれば違いが全く分からない。まぁ、それを言うと、互いの関係を修復不可能な程ぶち壊す罵詈雑言が飛び交うであろう事は、容易に想像出来た。その辺りの機微もわかるようになったのだと、おれは苦笑して教室の中に入る。
ジゼルは、にへらと笑って、子猫が自分のお気に入りの玩具に擦り寄って来るように、おれの方へとやって来た。
「あ、そーぉかぁ。せんせー、ついに、あたしをお嫁さんにする覚悟が出来たんでしょーぉ?」
「そうだな。で、補習の件なんだが――」
「うんうん、って、ファッ? ファッ! ファファファのファーっ!」
なんだ、そのリアクション。
教室の、そう、普段ジゼルが授業を受けている、長机が八つ並べられれているここで、覚悟を決めたおれは、伝える事にしたのだ。
女性としては、色々とシチュエーションとか気にするものなのだろうが、知らん!
「ジゼル。お前、おれと最初にあった時の事、覚えてるか?」
「は、へ、へっ! う、うん。も、もちろん、ですぅ……」
急にしおらしくなるな。調子が狂う。
ジゼルが赤面し、小さくなった。まぁ、あの時、野生児並みにおれに反抗していた黒歴史は、いや、それはおれにもブーメランだな。よし、この思考はこの辺りでやめよう。
自分の頬が熱くなるのも無視して、おれは自分の口から言葉を紡いでいく。
「思えば、おれたちの出会いは最悪だったな」
「い、今更? 今更それ言うのっ!」
「最悪。そう、最悪だったからこそ、今まで何とかやってこれらのかもしれん」
「せ、せんせー?」
「……まぁ、そろそろ頃合いだろう」
そう、散々向けられていたジゼルの好意も、そして何より、それを心地いいと思っていたおれ自身を誤魔化すのは、もう無理なのだ。
「最初っから、だったんだな。最初から、最初に出会った時から、おれがお前の、お前自身を理解してやれる存在だって、お前はそう思ったんだな」
「じ、人生預けろって言われたら、そういう風に、あたし、思うじゃないですかーぁ……」
だから、しおらしくなるな。内股になってこっちを見上げるな! もじもじするなっ!
ジゼルにとって、良家のお嬢様にとって、そういう家に生まれながら、結果を出せないというプレッシャーは、辛いものだったのだろう。
そしてそれを跳ね返すだけの発想力がありながら理解されず、自分自身弱いと思っていた武術を補ってくれる存在が居なかった。それら全てを満たす存在を、こいつは求めていたのだ。
そして光栄な事に、おれはそれに選ばれたのだ。これが、彼女がおれを好きな理由。何故惚れているのか(Why done it)の答えは、おれと彼女の、ジゼルとの出会いに答えがあったのだ。
「最初は、不思議だったんだよなぁ。親の仇みたいに睨んでたおれの補習を、素直に受けてたのが」
「し、仕方ないじゃん! そうせざるを得ないじゃんっ!」
顔を赤らめるジゼルに、おれは切に祈る。頼むから、普通にしていてくれ。じゃないと、意識しすぎてしまう。おれは今からお前に大事なことを言わないといけないのに、気になって仕方がないだろ!
「そ、それでぇ、な、何が、頃合い、何ですかーぁ?」
「……大体、想像出来てんだろ?」
「せ、せんせーの口から、ち、ちゃんと、い、言って、欲しい、でずーぅっ……」
剣ばかり振っていたおれでも、それしかしていなかった朴念仁のおれでも、ジゼルがどういった言葉を望んでいるのか、理解している。そして何よりジゼルが、おれに好意を抱いているという事を、おれは無視できない。
意を決したように、おれは口を開いた。
「お前、おれの嫁に来い」
「はい……。って、せんせー! いきなりだいぶ飛ばしてると思うんだどーぉっ!」
「気付いてないかもしれないけど、お前、おれのその誘いに同意したの二度目だからな」
そう口にして、自分でもわけがわからないが、笑いがこみあげてきた。おれは笑うが、一方のジゼルの方は熟れた林檎の様な顔で、それでいて全身全霊で狼狽していた。器用な奴だ。
「な、なななななーぁっ!」
「もう十分驚いたな? じゃ、籍入れるぞ」
「き、教師と、生徒だよっ!」
「その台詞を吐く前に、自分の行動を振り返れ」
もう、今更だろ?
「で、でも、おとーさまがなんていうか……」
「お前、自分の父親、おとーさま、って呼ぶんだな……」
「さ、最初からいってたしーっ!」
「そーかい。じゃ、そのおとーさまにも、ご挨拶かな?」
「で、でも、おとーさまに、何て言えばいいか――」
「普通に言えばいいだろ? おれが。お前を嫁にくれ、って」
腕っぷしだけである程度のし上がれるのが、この世界だ。それに一応、おれはモンナティ騎士養成学校に勤めている講師。社会的地位もあり、ならばある程度の倫理観は捻じ曲げられる。
「だから、おれの嫁になれ。ジゼル・ハリィド」
「ひ、ひうぅぅぅ……」
もうわけがわからなくなったのか、ジゼルは茹蛸の様になって、教室にへたり込んだ。おれは気にせず、ジゼルの前に立つ。
「ま、教師と生徒。流石におれだけの実績だけじゃ、外聞がわりぃ。お前も、もう少し頑張ってもらうぞ」
「む、無理! 無理だしぃっ! せんせーと一緒の立場なんてぇっ!」
「……お前、おれの事嫌いなのか?」
「そんなの、好きに決まってるしーぃっ!」
もはや、やけくそで、ジゼルが半泣きになって叫んだ。だが、その叫びが全ての様な気もする。
「なら、大丈夫だ。おれは、お前と一緒なら、どんな困難だろうと乗り越えてみせる。お前に降り注ぐ全ての最悪を薙ぎ払ってみせる。お前を必ず、幸せにしてみせる」
「せ、せんせー……」
ジゼルが潤んだ瞳で、おれを見上げる。何かもう一声、物足りなさそうな彼女の頬に、おれは自分の右手を添えた。
「どうした?」
「言ったよ、あたし……」
「……ん?」
「――て」
「……何?」
「言って」
「何を?」
「ちゃんと、言って?」
ジゼルの言葉は、決しておれの問いに答えたものではなかった。しかし、彼女の欲している、そして願望を理解したおれは、小さく頷くと、口を開いた。
「ジゼル。おれは、お前の事が――」
そこで俺は、おれ(ケヴィン)の意識から分離していく。幽体離脱をしている様な、全身金縛りなんだけれども自分を見下ろしている様な、この次の異世界に転生する感覚も、未だ俺は慣れていない。
この状態になったという事は、俺がこの世界で出来る役割、ケヴィンの背中を蹴飛ばす役割は、全う出来たという事だろう。
いやぁ、しかし、途中からはケヴィンの意識をほぼ優先していたが、まさかあんな形で告白するとは思わなかった。
教え子に押し倒されるヘタレオヤジ系だと思ったら、中々以外に鬼畜っぷりを発揮してくれる。教師と生徒の関係は色々大変そうだが、大丈夫かね?
ま、それはもう、俺が気にする事ではないか。俺の役割は、あくまで何故惚れているのか(Why done it)を導き出し、その背中を押してやる事だけだ。
さぁ、次の転生先は、一体どんな男女が、互いに一歩踏み出せない関係なのかね。
そう思ったのも束の間。俺の意識はあっという間に薄れていき、そして――
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