⑥
あの日は確か、いつにも増して、くっそ暑くて、熱い日だったと思う。
おれが受け持った初めてのクラスは、おれがセンコーとして最初に立った戦場は、思っていた以上に順調で、おれみたいなガキが無数にいる事を想定していたおれとしては、決死の覚悟で突撃部隊に参入し、敵要塞へ突入し、最重要拠点へ侵入し、そこで何もかもがもぬけの殻だったかのような空虚感、つまり肩透かしにあった気分になっていた。
とはいえ、余計な苦労を背負い込もうとは、おれは全く思わない。
衣食住が保障されていながら、傭兵団に居た時より楽に生きていけると思ったおれは、意気揚々と今日も自分の職務を半分破棄していた。いや、半分はちゃんと給料分働いている。残りの半分は、おれのクラスが隣のクラスと合同授業をしているという事で、他のセンコーが見てくれているのだ。
結論として、おれは何も悪くない。
だからおれは自分の空き時間を有効活用して、自主練に励もうと思っていたのだ。この辺り、まだ傭兵だった頃の感覚が抜けずにいる。剣を振って生きていたおれとしても、それを止めてしまうと、自分が死んだような気がしてしまうのだ。
無論、センコーとして、学生に教えるだけの剣技が衰えるのが嫌だった、と言うのも、理由の一つである。一つであるのだが、自分が鍛錬している所を、わざわざ人に見せつける趣味は、おれにはない。
露出癖はおれにはないし、自分の本気の技を見られて、穴を見つけられるのも困る。それで蹴落とされた奴らがどれだけいて、どれだけ悲惨な最後を迎えたのか、傭兵団でおれは嫌と言う程見てきたのだ。
幸い、モンナティ騎士養成学校には時間帯によって人が寄り付かない場所というものが存在する。その一つは職員寮なのだが、自分の部屋で剣を振り回せば、部屋の中がめちゃめちゃになるのは火を見るよりも明らかだ。かと言って、近くの訓練場は朝から晩、時期によっては夜間を想定した訓練が行われている。わざわざそこに赴いて剣を振ろうとは、おれは思わない。
闘技場も、訓練場と状況は似ている。そもそも、闘技場は授業や補習という理由がなければ学校が開放していない。いくらおれがセンコーで、多少の無茶が許されるとはいえ、毎回それを破っていては、この学校に居られなくなってしまう。せめて次の職場、傭兵なのか何なのかわからないが、それが決まらない限り、それか余程の理由がない限り、おれは規律を破ろうとは思わない。
となると、残りの選択肢は校舎という事になる。校舎は、結構いい。何がいいかって、サボれる、もとい、一人になれる場所がそこそこあるのだ。昼寝なら座学をしていない教室だし、筋トレぐらいなら学生用の更衣室は十分な広さがある。
だが、剣を振るうのに十分な広さを備えている場所は、流石に校舎内には存在していない。
逆に言えば、校舎外には、そう言った場所は存在していた。
それは、ゴミ捨て場だ。
人が生活している以上、ゴミは量産されていく。その処理は当然学校であっても存在し、そしてゴミが集まるような場所に寄り付く人はいない。焼却炉やゴミを回収するために一時的に保管する場所は、その性質上ある程度広くとる必要がある。焼却炉は火災にならない様に、ゴミは周りに異臭が気にならない様にする必要があった。
全く以て、素晴らしいとしか言いようがない。この場所、ゴミ捨て場であれば、自己鍛錬をするのに十分な広さがあり、かつ人に見られないというおれが求めている条件に合致する。おれは意気揚々と、異臭と焼却炉の煙が立ち上る場所へと足を向ける。
臭い? それが気になっていたら傭兵団で生活なんてできやしない。煙? 傭兵どもが騒いだ時に上がる粉塵に比べれば、児戯に等しい。熱さも気にならないし、火災に発展したのであれば、むしろセンコーのおれが消火せねばならん事態だ。傍にいるべきで、問題と感じる要素が全くない。
喜々としてゴミ捨て場に到着すると、おれは全く想定外の存在と出くわした。それはつまり、先客が居たのだ。野生の獣の様な眼光をしたそいつは、その目に映る全てを呪い尽し、呪い殺すが如くおれに視線を送って来る。
「……何?」
第一印象で言えば、ガラが悪い、悪すぎるメスガキ。自分以外の存在は敵だと思っている様に、逆にそうしなければ自分の世界が壊れてしまうと言わんばかりの危うげな眼で、そいつはおれを睨み付けた。
「あんた、何者?」
「一応、ここのセンコーって事になってるな」
「一応ぅ?」
極限まで猜疑心を募らせ、日に殆ど焼かれていない色白のそいつは、おれを親の仇を見るように目を細める。そこでおれは、ある事に気が付いた。こいつ、だいぶ着崩しているとはいえ、モンナティ騎士養成学校の制服を着ている。靴下は純白のルーズソックスで、しゃがんだスカートからは、下着が見えそうだ。でも、そんな事気にしてないという反抗心を表す様に、シャツのボタンは大胆に開いている。
そいつの姿を見て、おれは僅かに口元を緩めた。何処かで見たことがあると思ったのだが、なんてことはない。こいつは、昔のおれなのだ。
自分の実力のなさを知らしめるために、自分の弱さを隠す様に周りにイキりちらし、その結果全て周りにばれるという、赤面もの以外の何物でもない黒歴史が、おれの目の前に蟹股で座っていた。これが、笑わずに言われるだろうか。
だが、そんな反応が面白くなかったのだろう。昔のおれも、きっとマジギレする。だらガキは、おれに向かって全身全霊の威嚇をしてきた。
「何笑ってんだテメェっ!」
笑ってはいけない。笑ってはいけないのだが、こう思わざるを得ない。
うっわっ、小物っぽいっ!
そう思ったのも顔に出ていたのか、ガキは顔面を真っ赤にしておれに殴りかかって来る。
まぁ、仕方がない。流石におれも悪かった。過去の自分がキレるような反応をするとは、ちょっと大人げなさすぎる。一発ぐらい殴られてやろうと思っていたのだが、おれに訪れたのは、女性にしても軽すぎる衝撃だった。むしろ、軽い衝撃の方が、おれにとって衝撃だった。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……うるせぇ」
「……何も言ってない」
「だから、うるせぇって言ってんだよテメェ!」
胸倉を掴まれるが、だから何だという圧しか感じない。それが伝わったのか、ガキは瞳を揺らし、そして、力なく掴んだおれの胸元を放した。
重い沈黙が、おれとガキの間に流れる。参った。こんな状況になるために、ここに来たわけじゃないんだが。
頭を掻きながら、おれは自分の職務として言っておくべき台詞をまだ告げていなかった事を思い出した。
「今は、授業中じゃないのか?」
「……あんたに、かんけーねーだろ」
「これでもおれは、センコーでな。お前の担任じゃねーけど」
「……だったらなおさら、あんたにはかんけーねぇだろうがっ!」
ガキは弾けたように顔を上げると、何かが零れない様に我慢する表情で、おれを見上げる。
「あたしは、あのハリィド家の三女だぞっ!」
「え? だから、何?」
「え!」
「え?」
「……」
「……」
いや、そんなポカーンとした表情を浮かべられても、おれの方が困るのだが。
傭兵団の中には、このガキの言った良家と関係が深い奴もいるだろう。だが、おれはずっと、ガキの頃からバカのひとつ覚えみたいに剣を振り続けて今に至るのだ。むしろそれしかしなかったからこそ、今ここにいると言ってもいい。
だから突然、家の名前を出されても、その、反応に困る。
「あー、なんだ。その、サボるのは、おれもガキの頃は訓練がきつくて逃げ出したり、その後折檻受けたりしてたけどよ。おれも立場上、それを咎めないわけにはいかんわけでなぁ」
「え、嘘? ほ、本当? 本気! あ、あたし、ハリィド家の、この学校で一番寄付金を――」
「だから、知らん。いいから、授業に戻れ」
顎でしゃくると、目の前のガキは顎が外れんばかりに口を開け、おれの方を見つめている。だから、そんな顔されても、それこそおれは、知らん。
「何だ? お前。大道芸人か?」
「あ、あんた、あんたこそ、何モンなんだよ!」
「だから、ただのセンコーだって」
そう言うと眼前のガキは落ち着きを取り戻したような、納得したような、それでいて自虐的な笑みを浮かべた。
「……そうだよなぁ。このがっこーのセンコーなら、あたしの事、存在しねーように扱う――」
「いや、お前はおれの目の前にいるだろ?」
「ほんとーに、何なんだよてめぇーはよーぉっ!」
何故だか半泣きになった、それでいてこの学校の制服を着ているガキに、おれは小首を傾げる。それがまた彼女の神経を逆なでしてしまったのか、ガキの顔が、敵愾心に染まっていく。
「……そうか。しらばっくれるつもりなのかよぉ。だったら言ってやる! あたしは、ジゼル・ハリィド! 良家に生まれながら、物覚えも悪ぃ。剣どころか、そもそも楯を使うための力もねぇ……。まともに剣も振れない、だからって、あたしが考えた戦術も、だ、誰も理解してくれねぇ! そ、そんな、あたしが、じ、授業に出たって、皆の足、ひっぱるだけで、あ、あたし、で、でも何とか、おとーさまの期待に応えたくって、よ、騎士養成学校ぐらいは卒業しよう、って……。で、でも、あ、あのこーちょーですら匙を投げ――」
「だから、それが何だってんだよ」
「え!」
「え?」
「……」
「……」
流石に同じやり取りが続くと、おれも飽きてくる。無精髭を撫でながら、おれは目の前の、救いを求めているくせに素直にそう言えないクソガキの言葉を代弁してやった。
「つまり、お前の考えを理解してやれる奴が周りに居なくって、くすぶってんだろ? そしてその考えが理解されないから腕っぷしを示そうとしても、力が弱い、と」
前者は本当にわけの割らない事をこのガキが言っている可能性もあるが、その話を理解するための土壌がない奴が聞いただけの可能性もある。優秀な戦術が評価されず敗戦していった相手と、そして自分の経験を、傭兵団に居た時におれ自身が身をもって経験している。
力が足りないというのも、それはある意味仕方がない。一般的に男の方が女より筋力は強い。大人と子供ならなおさらだ。だが、それを逆転させる状況を、おれは傭兵時代に死ぬほど見てきた。それこそ、おれ自身、ガキが大人に勝つ方法だって考え付いたのだ。
だから――
「だから、聞かせろ。お前の考えをよぉ。そして、聞いてくれねぇ奴らがいるなら、示せ。お前の声を、言葉を、何を考えているのかを聞かざるを得ない、そんな力を、お前の声を届けるための力を、吼え、叫ぶに値する力を身に付ければいい」
「で、でも……っ!」
だが、目の前の少女は、そう、少女になっていた。身に纏った過剰な敵愾心も、猜疑心も、そして自分自身に感じていた抛棄心も全て取り払い、彼女は、ジゼル・ハリィドは、おれに教えを乞うていた。
「あ、あたし、そんな方法、し、知らないよぉ」
「なら、おれが教えてやる」
それが、センコーって奴だ。
「レイピアっつーんだが、力がねー奴でも、鎧の隙間を狙えば戦える武器があるんだよ」
「で、でも、そんなの教えてくれる人なんて――」
「いるだろ」
「え?」
呆けた様なガキに、おれは色々な思いを込めた溜息を付いた。
おれは、給料分はきちんと働く。知りてーって思う相手には、全て伝える。勝つ可能性がある方法なら、それがこのガキの中にあるなら、こちらこそ教えを乞わせて欲しい。
そう思うからこそおれはこの学校に引き抜かれ、そう考えるからこそおれはこの学校にやって来たのだ。校長に根回しはめんどくさいが、まぁ、何とかなるだろう。
「だから、教えてやるよ。お前は嫌がるかもしれねぇけど、弱い奴が、強い奴に勝てる。いや、勝ったことがある方法をな」
「そ、そんな! あ、あたし、あたし自身を、そんな、見て、見てくれる人なんて――」
「お前、他の先生のクラスに所属してるんだろ? ならとりあえず、補習って形で、おれに預けてくれよ、お前の人生」
「せ、せんせぇ……」
その言葉は、もはや涙に濡れて言葉としての体裁を成していなかった。でも、おれには伝わったし、おれに刺さったのだ。それは、おれの魂まで。おれの根幹まで、あのメスガキは刺さってきやがった。
泣きじゃくり、もはや人の声と言うよりも獣の叫び声を撒き散らしながら抱きついてきたこいつを、こいつの腕を、あの時感じた体温を、おれは無視する事は出来ないし、生涯忘れる事はないだろう。
そこからおれは、おれがガキだった時に使っていたレイピアを、真剣だったが渡し、自分の受け持ったクラス外の学生ではあるが、今の今まで教えてきたのだ。
でもそのなかで、こいつの表情で一番、おれの魂に、根幹に刻まれて、そして今も刻み付けられているのは――
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