②
グローリア・チャンドラー。
彼女の事を、ある人は天才という。それも確かに、無理からなる事だ。マーケズィ魔法学園に通う二年生でありながら、学園に在籍するどの教師よりも優秀。この世界に存在する魔法の属性、火、水、土、風、雷、これら五属性全てに高い特性を見せ、試験では常に学園創設以来の高得点を叩き出し続けている。まさに、才女中の才女と言っていいだろう。
グローリア・チャンドラー。
彼女の事を、ある人は天女と呼ぶ。それも確かに、無理からなる事だ。彼女は魔法使いの多くが愛読するファッション雑誌、『ディエジゥイ』の表紙を最年少で飾り、その時身に着けていた魔法道具は、空前絶後の大ヒットを記録。今もなお生産が追い付いていないという人気っぷり。それだけ彼女の、長身でありながらグラマスで、バランスのとれたスタイルと、美しい茜色の髪が見た人の記憶に鮮烈に刻み付けられ、彼女に近づきたい、彼女の様になりたいと、そういう憧憬を抱かせるのだろう。
そんな、天才であり、天女の彼女は、どういうわけか僕が課外授業から返って来ると、今まで積み上げてきた功績を楯に、強引に男子寮の僕の隣の部屋、もともと居住者が居たのだがそれを追い出し、そこに引っ越す事を学園に認めさせ――
僕に、あーん、をしていた。
先輩の両手には、切ったフルーツが乗っているお皿と、フォークが握られている。そしてとても嬉しそうに、僕に向かって無邪気に笑いかけた。
「ん? どうしたのだ?」
「いや、あの……」
言葉を濁す僕を、先輩は天使の様な微笑みで封殺して、彼女は僕との距離を更に詰めてくる。ちなみに今、僕たちがいる場所は僕の寮室で、座っているのは、僕が寝起きしていたベッドの上。先輩同様、僕は学園の制服、ブレザータイプのものに着替えている。結局、先輩の勢いに押される形で、僕はそのまま着替えを済ませていた。流石に先輩に着替えさせてもらうのは固辞したが、それならばと僕の背中をガン見する先輩が、ちょっと怖かった。
まだあわあわと言いよどむ僕を見て、その完璧としか言いようがない造形をした先輩の顔が、僅かに曇る。もし先輩のファンがその表情を見たら卒倒し、中にはその曇りを晴らすために自らの命を捧げると言い出す輩が出たとしても、僕は何の疑問もなく、ああ、そう言う事もあるだろうなと、納得してしまうだろう。
「どうしたんだ? フリード。お腹の具合でも悪いのか? ならば、横になるがいい。なでなでしてやろう」
「……何故、魔法で解決するという方法が出てこないんですか?」
「決まっているだろう? 私が撫でたいからだ」
「欲望に忠実過ぎる!」
そんな、お腹が空いたんだからしょうがないでしょ? みたいに小首を傾げて言っていい台詞ではなかったと思う。
僕は気を取り直して、先輩から距離を取る。
「いや、お腹は大丈夫なんで……」
「いや、この前の課外授業の傷が開いたのかもしれない。さぁ、早く服を脱いで横になるんだ」
「どういう状況なんですかそれ! 大体、僕が怪我したのは額であって、お腹じゃないですよっ!」
「わかっている、冗談だ。ほら、傷口を見せてみろ」
少し真剣な声色で語り掛ける先輩に押され、僕はガーゼを取り外す。外気にさらされた傷口に、僕は一瞬だけ顔をしかめた。その瞬間、先輩は僕が離れた距離をゼロにするように、僕の傷口に顔を近づける。
そして――
ぺろ。
……。
…………。
………………。
……………………え?
「え? は? はぁ? えぇ! はぁぁぁあああ? い、いいいい今、今何したんですか、先輩っ!」
「フリードぺろぺろ」
「いや、何考えてるんですか先輩っ!」
「フリードに、グロにゃんと呼ばれたい。甘えて欲しい」
「くっ……! 本当に何考えてるんだ、この人はっ!」
傷口を隠す様に額を押さえて、僕は更に先輩から距離を取ろうとして、そこでもう取れる距離がない事に、ベッドからずり落ちて気が付いた。
ベッドの空間は有限。逃げれば逃げる程、逃げ場がなくなるのは道理なはずなのに、僕はそんな事にすら頭が回っていなかった。逆に同じ状況でそこに思い至れる人なんて、果たしているのだろうか? でも、その疑問は後回しにせざるを得ない。
何故なら僕は、目下後頭部から地面に落下中なのだから。目から星が飛び出るような衝撃を覚悟したその瞬間、ふわりとした柔らかい風が、僕のそばを駆け抜ける。空気中に薄い緑色の尾を引く様なそれは、魔法が使われた証拠だ。
僕は先輩が使った風魔法に助けられ、たわけではなかった。
「何で僕、先輩にお姫様抱っこされてるんですかっ!」
「決まっているだろう? 私が抱っこしたいからだ」
では一体、風魔法は何のために発動されたのかと言うと、宙に浮いた先輩が両手に持っていたお皿とフォークが、その答えだろう。どれほど精密に風魔法を制御すれば、お皿の上に乗ったフルーツを飛び散らせる事なく、お皿とフォークを浮かし続ける事が出来るというのか。フォークなんて、風魔法で放てば凶器にすらなり得る。それらを一瞥もくれる事なく、完璧に制御し、更に僕をお姫様抱っこするなんて、常人ではとても無理な芸当だ。特に最後のは、常人ならやる必要性を微塵も感じないだろう。
「お、おろしてください……」
僕は羞恥に顔を真っ赤に染め、どうにかこうにか、その言葉を絞り出した。
本当に、何でなんだろう? 自分の得意な水魔法ですらまともに扱えない僕の、そして女性にお姫様抱っこされるもやしっ子の僕に、何で先輩はこんなかまってくれるのだろう?
そんな劣等感が炸裂している、僕の心情を完璧に理解しているかの如く、先輩は淡く笑った。
「いいのだ。キミがいてくれれば。あの言葉で私が一体どれほど救われた事か」
「あの、言葉?」
「おっと、そろそろ登校しなければならない時刻だな。私は部屋からカバンを持ってくる。ちょっと待っていろ」
そう言って僕の疑問を置き去りに、先輩は部屋を出ていった。その背中を見送りながら、僕は新しいガーゼを探し始めたのだった。
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