柚乃の眠りを妨げないよう、俺は彼女が寝ているベッドのカーテンを引く。あまり効果はないかもしれないけれど。これで多少柚乃も静かに眠れるだろう。ないよりましだ。

 勝手な自己満足に酔いしれて、俺は意気揚々と保健室から出ていこうと、扉を開く。するとそこに、見知った顔があった。

「きゃぅっ!」

「え、詩乃?」

 勢いよく俺の胸元に突っ込んできた詩乃が、涙目で眼鏡の位置を直している。

「は、はぅ……。そ、想太くん、お、おね、お姉ちゃ――」

「しーっ! 今、寝たところだから、静かにっ」

 あわあわし始めた詩乃にそう言うと、彼女は露骨に安心したような表情を浮かべた。

「そ、そう、ですか。そ、それじゃあ、私――」

「まーまーそう言わずにそう言わずにー」

「な、何で棒読みで、私を保健室へ引き入れるんですかっ」

 静かにと言ったのを、律儀に守っているのが詩乃らしい。それに倣い、俺も小声で話そうと思う。俺は詩乃を引き入れ、後ろ手で扉を閉める。そしてそのまま詩乃を、もう一つ空いている右側のベッドへと誘う。

「あ、あの、想太くん? こ、こういうのは、段階を踏んで――」

「目のクマ凄い事になってるぞ。お前も寝ていけ」

 それは、さっきの教訓を活かした行動だった。柚乃だけでなく、詩乃がこんな風に、クマが出来るまで頑張らせているのも、俺が原因だから。

「だ、大丈夫です、大丈夫ですからぁっ」

 そう言いながらも、俺にされるがままで、詩乃はベッドに横になる。おでこを触ると、熱っぽい。顔も心なしか赤く、なすがままになって俺を見上げる詩乃を見て、俺は彼女も疲れが溜まっているのだと確信した。

「ほら、もう抵抗出来るような力が残ってないだろ?」

「そ、それは、想太くんが、強引に……」

「そういう事にしていいから、大人しく寝てろ。じゃ、俺は行くから」

「ま、待って、下さぃ」

 保健室から出ていこうとする俺の腕を、詩乃が掴んで引き留める。息は不安に揺れており、その目が切なそうに震えている。

「……う、上手く、行くでしょうか?」

 詩乃の手に引かれて、俺はベッドの脇に座った。

「か、勝てるでしょうか? お姉ちゃんに……」

 震える手が温もりを求めるように、詩乃のか弱い指が俺の指を握りしめる。

 俺は詩乃の濡れる瞳を見つめて、こう口にする。

「無理だよ」

「……ぇ」

「俺とお前の二人じゃなきゃ、ダメだ。例の実装も、パラメーターの設定も、俺が見てるだろ?」

「そ、想太くんっ」

 予想通り怒られて、俺は思わず笑ってしまった。子供が玩具を大人にねだるように、詩乃が笑う俺を見つめている。

「な、ならぁ、想太くんと私が一緒に居れば、大丈夫、なんですかぁ?」

「ああ。約束したろ? 俺が、お前を勝たせて(幸せにして)やる。俺がいるから、大丈夫だよ」

「ど、どうして……?」

「ん?」

「ど、どうして、想太くん、私の為に、こんなに、良くしてくれるんですかぁ?」

 か弱い指に、熱がこもる。彼女の頬には、既に透明な雫が流れ落ちていた。それはとても尊くて、純粋で、素敵なものだと、俺は思う。俺の手はその雫を救うように、彼女の頬をそっと撫で、知らず知らずのうちに二人の顔は近づいていき、そして――

「金のためだ。小埜寺社長からお前らのサポート費、もう振り込まれたしな」

「……」

「そして俺には信念があるっ。ゲームは皆楽しくやらなければ、嘘であるとぉっ」

「……」

 絶対零度の百倍ぐらいの冷たさで、詩乃が俺を睨み付ける。頬から手を上に伸ばし、俺は彼女の髪をそっと撫でた。

「バカなんだよ、俺。バカバカバーカ。バカなのさ。バカがバカ話して、詩乃も緊張が解れたろ? 今弱音吐いてるようじゃ、当日もたねぇぞ」

「……ば、ばーかぁ」

 極寒地獄の視線が、僅かに春の暖かさが舞い戻る。緩んだ詩乃の口元を見て、俺は内心、万歳三唱。自分の名前が書かれたボードを掲げ、そこに入学式に胸元につけていたような花を施す。その後ろに流れるテロップは、当選確実。

 あっぶねぇ! ヤバかった、マジヤバかった今! 勢いに任せて若気の至りに至って帰ってこれなくなる所だったわっ!

 いくら相手が弱っているとはいえ、それに漬け込むような行動は不公平だ。

 わざとバカ話をしたのが詩乃に伝わってくれて、本当に良かった。ここは学校で、まだ授業中で、保健室に先生が戻って来る可能性もあるのだ。俺みたいな奴と噂になるような事になれば、この姉想いの女の子は、一体どれだけ悲しむことになるだろうか。そしてその姉が、隣で今寝ているのだ。一生消えないトラウマになる事間違いなしである。

 そして、詩乃は頭のいい子だ。その辺り、理解してくれたのだろう。若干物足りなさそうに薄い唇を噛んでいる様にも見えるが、それは完全に、エロガキの俺の妄想だ。

「ほら、もう寝ろ。寝て、また一緒に頑張ろう」

「……はぁぃ」

 小さくそう口にして、詩乃は安心し切ったように眠りについた。

 詩乃が寝ているベッドのカーテンを、俺は優しく引く。

 保健室を立ち去る前に、双子が眠るベッドの方へと振り向いた。カーテン越しにも、姉妹の安らかな、それでいて息の合った寝息が聞こえてくる。

 柚乃が勝ち、詩乃が涙を流す未来。

 詩乃が勝ち、柚乃が涙を流す未来。

 やっぱりどっちもどっちも選べねぇ……。

 そう思いながら、俺は二人の眠り姫の為に、そっと保健室の扉を閉めた。

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