先生にこってり絞られたのか、不貞腐れたような柚乃がやがて教室に戻って来た。頬を膨らませて不満を表現しているが、その目尻には光るものがある。その辺り悪ぶれないというか、素直というか、ちょっと詩乃っぽいと俺は感じた。やっぱり、双子なんだな。

 そんな事を思っていたせいか、昼休みまで姿を見せなかった詩乃が、俺たちの教室へとやって来た。

「そ、想太くんっ! お、おおおお、おおおべおべべおおおべべべ――」

「そ、そんなに緊張しなくてもいいよ?」

 詩乃のテンパりっぷりに、逆に冷静になった愛が、彼女を教室へと導いた。

 詩乃の手には、可愛らしい包みが二つ。お昼のタイミングという事もあり、連想されるものは一つしかない。

「もしかして、お弁当?」

「は、はいぃ。そ、想太くん、ですぅ……」

 包みを差し出しながらそう言われるが、俺はその包みの中に入っているわけがない。だが、言いたい事は伝わって来る。

「つまり、俺の分のお弁当を作って来てくれたのかな?」

「えっ! そーた、その中に入ってるんじゃないのぉ?」

「えっ! 宮風くん、この包みの中に――」

「無理やり乗っからなくてもいいぞ、愛」

「キャラで負けたらいけんて思うて(キャラ負けしないようにと思って)……」

「いらない心配だぞ、愛」

「あ、あの……」

「悪い、詩乃。お弁当だったな。もらっていいのか?」

 頷こうとした詩乃は、しかし柚乃の方へ視線を送ると、意を決したように俺の方へと、再度視線を送って来た。

「べ、別の、場所、行きま、せん、かっ?」

 俺が通っている高校は、校舎の屋上を積極的に開放しているわけではない。しかし俺は、入学式初日に屋上のフリーパス券を入手していた。

「か、鍵開けも、ゲーム、ですぅ?」

「人聞きの悪い事を言うな、詩乃」

 入学一週間目で屋上を我が物顔で使う新入生は、きっと上級生の呼び出し対象にすぐなるだろう。ただ、そもそもこの屋上を使えると上級生があまり知らないというのと、俺のゲーマーとしてのスキルに免じて、その辺りは許して欲しい。最も、許しを請うような先輩は、まだ俺は作れていないのだが。

 それはそれで寂しいと思いつつも、俺の放課後の時間を二分している内の一人、詩乃の隣へと腰を下ろした。

「あ、あの……」

「どうした?」

「あ、ありがとう、ござい、ますぅ……」

 詩乃の言葉を、俺は鼻で笑って誤魔化す。柚乃は当然と言うべきか、自分もついていきたいと主張した。TBGで差が付けられるような何かが発生すると思ったのかもしれない。しかし、俺は柚乃に遠慮してもらった。このポンコツ勇者の勇気を、俺は尊重したいと思ったのだ。現実は頑張っただけその成果が返って来るわけではないが、ゲームの中ぐらいはそれを許してもいいだろう。そう言うと、柚乃は珍しく神妙な表情で頷いてくれた。

 愛からも方言で色々言われたが、柚乃が友達になろうとじゃれ合って、お昼は二人で食べに行っている。きっと気を使ってくれたのだろう。

 まぁ、俺としては詩乃と二人で話したいという想いもあったのだが。

「こ、これ、お弁当、ですぅ……」

 そう言って差し出されたのは、可愛らしい容器に入った食欲を誘うレパートリーだった。

 ウィンナー。ミートボール。プチトマトときゅうりを、こんがり焼いたベーコンで撒いて爪楊枝で刺したもの。茹でたブロッコリーには適度にマヨネーズがかかっており、ご飯は大ぶりの鶏もも肉が入ったチキンライスになっていた。普通に美味しそうである。

 それらの表面には、薄く塩の様な粒がまぶしてある。

「へぇ、凄いな、これは! 詩乃が作ったの?」

「は、はぃ。わ、私が、今朝、作りました……」

「そう、朝に……」

「お、お口に合うか、わかりませんが……」

「そんなに謙遜しなくてもいいよっ!」

「じ、じゃあ――」

「うん。食べてみてよ、詩乃が」

「……え?」

「食べてみてよ、詩乃が」

 もう一度同じ台詞を繰り返すが、詩乃は青白くなった顔で、唇をわなわなと振るわせ始めた。彼女が零しそうになったお弁当箱を、俺はそっと支えて、包みに戻す。

「表面にかかってるの、興奮剤でしょ? 俺に襲わせて、弱みでも握りたかった? それとも、迫った自分を受け入れて欲しかったの?」

「ど、どう、して?」

 どうしても何も、経験があるからとしか言いようがない。過去にあるメンヘラにやられた事があるだけだ。そのときは、薬の過剰摂取で嘔吐して事なきを得たのだが。

 とはいえ、それを詩乃に言うつもりはない。

「プロの世界じゃ、そういう妨害もあるんだよ」

「……ど、どうして――」

「え? だから――」

「わ、私を、私を選んでくださいっ!」

 せっかく戻したのに、俺に抱きついた詩乃の手から、弁当箱が零れ落ちる。詰まっていた具が飛び出して、今の俺と詩乃みたいだと思った。

「わ、私を、選んでください! だから、だから、お、お姉ちゃんには――」

「手を出すな、って?」

 驚いたように見上げられるが、それは逆に俺はショックだった。あんなに露骨に色仕掛けをしておいて、その裏に何もないと、本気で俺が考えていると思っていたのだろうか? ゲームは上手くて、天才的だと、言ったはずなんだが。

「どうしてそんな、自分を犠牲にするような真似までして、俺を味方に、柚乃に目を向けないようにするんだ?」

「……」

「そこがわからないと、詩乃に協力する事も出来ないぞ?」

「き、協力――」

「話を聞いてから、判断するよ」

 俺の言葉に、詩乃は俯いた。だが、ゆっくり、ゆっくり、口を動かし始める。

「……お、お姉ちゃんは、凄いの」

 それが、詩乃が最初に、そして自分の身を、そして魂を捩じ切るようにして絞り出した言葉だった。

「お、お姉ちゃんは、不器用だけど、でも、お姉ちゃんだから、お、おね、お姉ちゃんだからって、い、いつも、わ、私を、優先して、優先、だから……」

「うん……」

「わ、私、お、お姉ちゃん、に、す、好きな事、して、自由になって、もらいたいの。今まで、私、優先、我慢、だから、私、もう、お姉ちゃんはに、私……」

 その後は、柚乃の自慢が続いた。運動神経がバツグンに良くて、お洒落で、自分が片親なのを他の子にバカにされた時は必ず助けに来てくれて、自分はずっとそんな柚乃の後ろに隠れていて、柚乃にばかり我慢させて、だから、だから――

「お、お姉ちゃんには、好きな事、して欲しいよぉ……」

 自分が社長になるから。父親の会社を継ぐから。自分がそこに行くから、姉はもっと自分がしたい事をして欲しいと、泣きながら詩乃は、そう言った。

「お、お父さ、お父さん、頑張ったの、し、知って、る、から。お母さん、死んじゃ、死んじゃっ、て、わた、私、たちに、不自由させ、ないように、お父さん、頑張って、し、社長、社長に、なって、でも、大変、で、わ、私、お、お姉ちゃん――」

「助けようと思った?」

「そ、そうぅ! そうぅっ!」

 この華奢な体に、一体どれだけの想いを、どれだけの決意を溜め込んでいたのだろう? そう思う程の強さで、切実さで、決意を込めて、詩乃は俺の制服を握りしめる。

「か、会社、大事、皆、大事、でも、でも、でもでもでもでもぉっ!」

 果たして同年代の、それも異性に、自分の涙と、悔しさと、鼻水と、無念と、溜息と、憤りを見せるのに、ああ、どれほどの決意が必要になるのだろうか?

「お、おかあ、お母さん、好き、で、お父さん、好きで、お姉ちゃん、も、もっど、ずぎでぇぇぇえええっ!」

 おい、誰が昔みたいに仲良くして欲しいって? 周りの人間はそう思ってるって? そいつら全員節穴だ。一人一人ぶん殴って、その目を覚ましてやりたくなる。やりたくなるが、その話を聞いて、その先入観を持って、詩乃を見ていたのは俺だ。俺自身だ。俺が一番ぶん殴ってやらないとならない奴は、俺自身じゃねぇか! 何がゲームの事なら頭が回るだよ。全く、見えていなかった。違和感なんて、ヒントなんて、出会った初日に感じていたのに。その違和感が知りたくて詩乃と今、二人っきりになる事を選んで、あまつさえ俺は、彼女を泣かせてしまった。

「なら、無理に色仕掛けを俺にしたのは?」

「お、お姉ちゃん、が、そう言う事、した、から。だ、だから、私、焦って……」

 とんだクズ野郎で、ピエロだな、俺は。

 ここまでくると、笑いを通り越して、呆れるのを通り越して、あぁ、ああ、あああぁぁぁあああっ!

 自分自身の怒りで、言葉が、出てこない。

 でも、その身勝手な全てを大声で吐き出さなかった事だけは、自分自身に及第点を付ける。

 そうだ、俺。少なくとも、少なくとも詩乃は、柚乃の事を想っている。だからまずは、落ち着こう。さぁ、深呼吸だ。深呼吸しなければ冷静でいられない自分への怒りは収めろ。それは、目の前の、俺に縋り付いて泣きじゃくる女の子に見せてい姿じゃない。

「い、一緒に、お姉ちゃんを、助けて……」

「じゃあ、作戦考えとくから、連絡先、交換しようぜ。仕事用じゃなくて、プライベートの方ね!」

 だから俺は、詩乃と一番初めに出会った時の様なだらしなさで、互いの連絡先だけ交換して別れた。

 教室に戻ると、慌てた様子で愛が駆け寄って来る。

「だ、大丈夫? 宮風くん」

「ん? 何が?」

「……何かあったら、言ってね?」

 いやぁ、参ったね。詩乃は誤魔化せても、愛は誤魔化せないか。流石は幼馴染。俺もまだまだ精進が足りないと思っていると、机の中から、入れた覚えのない紙が出て来た。

 差出人は、柚乃だった。

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