③
初日があるという事は、二日目があるという事に他ならない。そして、じゃんけんの敗者が、勝負の敗者になると決まったわけではないのだ。
じゃんけんに負けた事を少しも感じさせない笑顔で、目の前の少女は俺に向かってブイサインを突き出してきた。
「やっほー、そーたっ! 今日はよろしくねっ!」
「ああ、よろしく」
真夏の太陽もかくやと言わんばかりの笑顔を浮かべる柚乃に、俺の口元も思わずほころぶ。昨日の詩乃と同様に、俺たちはTBGのクローズドβテストを行うために試験室に来ていた。
設備も当然変わらず、スクリーンと体のセンサーを読み取る球体。球体の前に佇むジャージ姿の柚乃が、ネイルの塗られた指でゴーグルを振り回しながら立っている。
「こいつがプレイヤーにゲーム上の情報を伝え、プレイヤーの動きをゲーム上にマッピングしていくのか」
「そーゆーこと! プレイヤーはゴーグルをとーして、ゲーム上を神視点で見れるってわけだしぃっ!」
「ゲームとプレイヤーの動きが現実(リアル)の動きに直結している、ARを使ったシミュレーションゲーム! 凄すぎるっ!」
昨日見たのと全く同じデバイス、全く同じゲームなのにもかかわらず得られる体験が違うという事で、俺は自分がプレイをするわけでもないのに、そわそわと忙しなく動き始めた。
「柚乃は、魔王側でプレイするんだよな!」
「そーだよ! ま、ぱぱにそう言われちゃってるからねぇー……」
「リアルにダンジョンを開拓できる魔王の感覚を味わえるのかぁ。くぅ! 楽しそうだっ!」
「あー、でもでも、その分プレイヤーの操作がじゅーよーでー、ダンジョンを開拓するには、ダンジョンコアがせーせーする、マナの総量とかを考えなきゃいけないわけじゃん? モンスターとかトラップとか、ダンジョンを広げるにもマナって必要だしぃ。そもそも一定時間毎に増えるマナの生産スピードを増やす装置の設置とか、考えなきゃいけない事多すぎでさぁ……」
柚乃の台詞に、俺は首を傾げた。だってそれは、シミュレーションゲームの基本中の基本だからだ。何かを作るにはお金、TBGではマナが必要になる。マナの生産性を上げるのも重要だが、TBGの設定上、ダンジョンのマナは一定量は勝手に増えていくのだ。余程無計画にマナを使わなければ何も作れない様な状態になるわけじゃあるまいし、そこは考える必要はないだろう。
そう考える俺をよそに、柚乃は説明を続けていく。
「魔王のしょーり条件は、ダンジョンに侵入してきた勇者を倒す事だよーぉ」
「制限時間は気にしなくていいのか?」
「問題なしっ! 魔王はモンスターとトラップを設置して、勇者のライフをゼロにすれば勝ちぃ! 逆に時間内にダンジョンコアを破壊されると、負けなのさっ!」
「魔王が負けるのと、制限時間がなくなったり、勇者のライフがゼロになったのが同じタイミングで起きたら、ドローになるのか?」
「そーそー! まぁ、でも、引き分けになったの、あーしは見た事ないし、きーた事もないなぁ」
「……そう言えば、柚乃もこのゲーム開発に携わってるんだって?」
「そだよーぉ。ま、あーしは、VRの方がメインだったんだけどねぇ……」
トーンダウンした柚乃を不審に思うものの、しかし俺は目の前のゲームが気になり過ぎて仕方がない。
「なぁ、さっそく始めて見てくれよっ!」
「……ま、やるしかないかーぁ」
柚乃が観念したように、球体の中へと移動する。そしてゆっくりと、ゴーグルを被った。その後すぐに、ネイルの施された指で、ゴーグルの位置を調節する。
スクリーンは軽快な音楽と、広大な緑の大地が映し出され、すぐに画面が暗転。地下迷宮が現れる。ゲームセンターで初めてプレイする筐体の前に立ったような高揚感が、俺の中に溢れ出した。
すると、柚乃が球体の中で、突然手を振り始める。何事かと思ったが、恐らく、彼女の目にはゴーグルで何かしらの選択肢が表示されているのだ。プレイする前のスタートボタンを、コントローラーではなく、手で押しているのだろう。ヤバい。俺もやりたい。時間が余ったら、俺もプレイさせてもらう。
やがて部屋には、無機質な機械音が流れ始めた。
『プレイヤーのログインを、確認しました』
それと同時に、試験室のスクリーンに、あるものが登場する。それは女性型のキャラクターで、そしてどこかで見たような顔をしている。つまり、柚乃そっくりなのだ。恐らく彼女が身に着けているセンサーが、彼女の体を読み取ったのだろう。プレイヤー自身が、TBGでは魔王になる事が出来るのだ。柚乃が魔王として、スクリーンに表示されている。
しかし、そんな事よりも、俺は気になっている事があった。それは――
「え? 女王様?」
「違うしっ! せめてキャバ嬢って言って欲しいんだけどぉっ!」
それもどうかと思うが、スクリーンに表示されたキャラクター、つまり柚乃そっくりな女性は、それを想起させる様な姿をしていたのだ。
鮮血を思わせるドレスは細い腰を包み込み、そのスリットから伸びる褐色の足は、薄暗いダンジョンの中にあっても眩しく見える。押し上げられ、そして強調された胸元は、それだけで魅了の魔術を放っているようだった。
「そ、そーた、あんまりみんなしぃ!」
「見ないでと言われても、見ないとゲーム教えられないしなー」
「ぼー読み過ぎぃ! っていうか、目がえっちーしぃっ!」
「っていうか、嫌なら服装変えたらいいんじゃない?」
「し、しょーがないじゃんかっ。こ、これ選んだの、しのだしっ!」
「え! 意外っ!」
だが、確かにそう言われてみれば、なるほどと頷ける要素もある。一見真面目で委員長タイプの詩乃が、自分が現実で表現できない、普段絶対しないであろう恰好を、ゲームのキャラクターにさせたい、ゲームの自分ぐらい変わりたいという、その気持ち。ゲーマーの俺も、そう言った感情になった事は、もちろんある。だが、こうして見ると、現実の詩乃がこういう格好をしても、なんというか、めちゃくちゃに似合うだろう。あ、もちろん、柚乃も似合っているのだが。
「え、待ってくれ。もしかして、柚乃も詩乃が選んだキャラクターで勝負をしないといけないのか?」
「そーゆーこと! ぱぱが、姉妹なんだから、もっと互いの事を知りなさいっ! てゆーからさぁ……」
なんとなく、この後の展開が見えて来た気がする。
俺に出来る事と言えば、もう俺自身が感じた予想が外れてくれますようにと、心の底から祈る事ぐらいだ。
「だ、だからじろじろ見るなっ! こ、こんな格好、あーし、似合わないょぉ。百歩譲っても、こーゆー色っぽいの、しののほーが似合うに決まってるしぃ……」
「大丈夫大丈夫、似合ってるから」
「……ぇ?」
「じゃあ、ひとまずダンジョンに潜てみようぜ」
そう言うと、スクリーン上で顔を赤らめた柚乃が、あわあわと動き始めた。球体の中の柚乃も、同じように動いているのだろう。
「じ、じゃー、最初は、どのレベルにするーぅ?」
「何のレベル?」
「魔王側は、自分のダンジョンに攻めてくる勇者のNPCを選べるわけっ! そーじゃないと、自分のダンジョンの強さ、わかんなくない?」
「なるほど。確かにそうしないと、ダンジョンの補強ポイントもわからないからな」
勇者側と同じく、魔王側も一人プレイでも楽しめる要素はあるわけか。
小さく頷き、まずは一番最低レベルの勇者を選択する事にした。これには二つの理由がある。
一つ目は、柚乃の動きを見るためだ。魔王は神視点のシミュレーションゲーム方式。ダンジョンを拡張しながら、同時に攻めてくる勇者がダンジョンのどこにいるのか把握できる利点がある。勇者の進行方向にモンスターやトラップを仕掛ければ、それだけ魔王が有利になり、その選択ミスが敗北につながる。好き嫌いではなく、正しい選択を短時間に出来るかどうかが勝負の分かれ目。柚乃の思考の癖が知りたいのだ。また、魔王は勇者を倒さなくても、ダンジョンコアを制限時間内まで守れば勝ちになる、時間的な利点もある。流石に一番低レベルな勇者で負ける事はないだろう。
二つ目の理由は、TBGの難易度を俺が理解するためだ。一番低レベルな勇者を知る事で、今後柚乃が作り上げ、詩乃を待ち受けるべきダンジョンの強さを相対的に予測。詩乃の目指す勇者像はある程度固まっているが、その勇者に勝てるように、柚乃のレベル、ダンジョンのレベルだけでなく、彼女のプレイスキルも上げる目標設定をする。そしてその目標値まで、サポート役として柚乃を押し上げるのだ。
お手並み拝見とばかりに、俺はスクリーンを見上げた。スクリーン上には、地下の奥地で女帝の如く柚乃が控えている。その柚乃の姿も、すぐにダンジョンの一部となり、スクリーン一杯にダンジョンの全体像が映し出された。
「ヤバっ! もうマナ湧いて来たんだけどっ!」
「いや、これそういうゲームだからっ!」
しかもお前開発に携わってんだろ、と思うものの、一方で開発者ですら驚く程の臨場感がTBGにあるのだと気付き、俺は更にこのゲームの将来性を確信した。
俺は今、歴史の証人になっていんだっ!
そう思い、顔を上げると、ダンジョンの入り口に勇者が侵入してきた所だった。侵入者を知らせるような警告音が響き、勇者が右往左往ダンジョンの道を行き来しながら、徐々に徐々に進んでくる。
さぁ、プレイスタートだっ!
プレイしている柚乃よりも興奮しているであろう俺は、知らず知らずのうちに両手を握りしめている。さぁ、一体ここからどんな攻防が繰り広げられるのだろうか。期待に胸を膨らませて、食い入るように、俺はスクリーンを見つめる。
そしてその数分後。勇者にダンジョンコアを破壊された柚乃の姿が、スクリーンに表示されていた。
「何でだよっ!」
おかしい。最低レベルの勇者だぞ。勇者をどう倒すのか、どう時間を引き延ばすのかが論点で、ダンジョンコアが破壊されるようなケースは考えなくてもいいはずだ。TBGの最低レベルの難易度がそもそも高いという事も考えられるが、一番最初の勇者に負ける時点で、その可能性は低い。あったらクソゲー間違いなしだし、普通にやっていれば勝てるはず。普通のシミュレーションゲームで言えば、とりあえず作れるようになったものを配置していけば勝てる相手だ。TBG的に言うのであれば、ただマナを使っていれば、いずれ当たって勝てるはずなのだ。
だからつまり、柚乃は何一つ生み出さなかったのだ。モンスター一匹も、トラップ一つも。
「や、やっぱりあーし、こういうの、向いてないしぃ!」
スクリーンには、そっぽを向いて頬を膨らませている物の、目尻に若干光るものがある、囚われの柚乃の姿が映し出されていた。そしてその頭上には、『やっぱり勇者には勝てなかったよ』の文字。何だこれ。β版でも入れるなよ、こんな煽り文句!
「し、しのの趣味だしぃ!」
「あいつかぁっ!」
もうどうなってんの、この姉妹のセンス! 柚乃のセンスも大概だからなっ!
というか、これ、どうすればいいんだ?
「え、ARってそんなに操作性悪いのか?」
「そんな事ないしぃ! ちゃーんとマナの総量で作れるものの一覧とか、それが何処に設置出来るのかとかわかる、TBGは初心者にも安心なせっけーなんだもんっ!」
「なら何故お前は何も作らない!」
「ち、違うもんっ! こ、こんなはずじゃ、あーしの得意なジャンルだったら、こんな事になるわけないしぃっ!」
「だったらお前の得意分野でプレイしろよっ!」
「そ、それはしのが! しのが得意なせーだからぁ!」
「はぁ?」
その言葉足らず過ぎる柚乃の言い分を聞きながら、しかし俺は、先程感じた嫌な予感がクリティカルヒットしている事に感づいてしまう。
つまり――
「キャラクターだけじゃなく、プレースタイルも詩乃に合わせないといけないのか?」
「そうだしぃ! あーし、計算とか時間制限あると、あたまぼーんてなっちゃうのぉ! だからあーしが開発関わってたの、VRの、勇者の実装だけなんだからねっ! そっちなら、そっちならあーし、誰にも負けないしぃっ!」
「……なるほど。だからこんなにも下手なのか」
おかしいと思ったのだ。自分で作ったゲームなのに、その操作を全く出来ていない。いや、出来ないからこそ、部外者の俺を味方に引き入れようとしたのか。
でも、それだけが理由じゃない気がするんだが……。
俺が小首を傾げている間に、スクリーン上の柚乃は、口を引き結び、悔しそうにぐぬぬと言い始めた。
「ど、どーせあーし、ポンコツなんだもんっ! しのみたいに頭、良くないし、せーせきも悪いしぃ……」
「いや、でも、双子なんだろ?」
それは暗に、柚乃も詩乃と同じなんじゃないか? そういう意味合いで発した言葉だった。しかし、その俺の言葉に、柚乃は過剰に反応した。
「違う! 全然違うしぃ!」
ドンっ! と、ゴーグルをはずしながら、柚乃が球体から飛び出して、俺の方に突き進んでくる。
「しのは、あーしと違って、べんきょー出来て、料理も上手で、もっとこう、ばーんって! ばーんって、色んなことできる、すっごい、すっごい、すっごいんだからっ! あーしとは、あーしとは全然、比べ物にならないぐらい、しのは、しのは凄いんだしぃっ!」
「お、おぅ……」
「しのは凄いから、だから魔王側のARとか、ばーんっ! って実装、出来るんだもんっ! あーしじゃ、こんなムズイシステム、作れないよぉっ! だから、だからそーた! わかってよ、そーたっ! ねぇってばぁあっ!」
「は、はい……」
もう何なのこの美人姉妹! 情緒不安定過ぎやしませんか?
ますますこの双子について、違和感が増してくる。しかし、それもすぐに、柚乃が突き出してきたゴーグルに遮られた。
「凄さはそーた、プレーして自分で実感してみるべきだしぃっ!」
「俺に女王様になれと?」
「キャバ嬢だしぃ!」
だから、それもどうなんだよ。
そう思うも、プレーしてみたい気持ちに嘘は付けない。
センサーとゴーグルを柚乃から受け取り、俺は球体に入ると、試しにプレイしてみた。外から柚乃の、『え! ヤバ! 腹筋、ヤバいしぃ……』という声が聞こえて来た気もするが、俺は今、この瞬間、そう、この瞬間だけは、自分は難聴主人公だと自己暗示をかける。集中! 集中しろ! 今はゲームの事だけ考えればいいっ!
かくして五分程、俺は魔王としてTBGをプレイした。最低レベルとその一つ上の勇者と対戦したが、これはヤバい! めっちゃ面白い!
まず、実際に自分がダンジョンを支配している全能感がヤバい。自分の城(ダンジョン)に哀れに踏み込んできた勇者を翻弄し、蹂躙する、小さな子供が虫を甚振るような無邪気な支配欲が、ゾクゾクする。ゴーグルが装着者の視線をサポートする様に、生み出せるモンスターとトラップをどこに設置すべきか誘導してくれるのも素晴らしいと言わざるを得ない。操作ミスで想定外の所にトラップを置いてしまうミスもあるが、またそれも一興。それが上手く機能する様にダンジョンを広げる楽しさは、病みつきになりそうだ。
ゴーグルを脱ぎ、球体から出てくる俺を、はしゃいだ柚乃が出迎えてくれる。
「ヤッバ! ヤバいっしょ、そーた! 凄くなぃ? え、凄! しのみたいだったしーぃっ!」
「何か所かミスっちまったけどな。でもこのゲーム、面白いな!」
「でしょでしょーぉ? しのの実装は、完璧だしぃ!!」
「じゃあ、後はお前がプレイ出来る様になるだけだな」
「……」
「何か言えよっ!」
「べ、β版だから! あ、あーしが勇者側に実装したシステムが魔王側にも反映されたら、あーしだって――」
「それ、一か月後の勝負に実装される見込みはあるのか?」
「あ、あーしなら、よゆーだしぃ!」
「その間、お前のダンジョンは、誰が育てるんだ?」
「……そーた、嫌ーぃ!」
「それで誤魔化せると思うな! ほら、プレイ再開するぞ」
嫌がる柚乃を球体に押し込めながら、一方で俺はダンジョンの改築もままならない魔王が勝負に勝つ方法はないか、頭の中で検討を始めていた。つまり、ポンコツ魔王の、ダンジョンをどう構築していけばいいか? という事だ。
マナの計算が出来ないという事は、柚乃は柔軟にモンスターの設置が出来ないという事になる。新たに無傷のモンスターを勇者の進行方向へ配置出来るのは魔王の絶対的な優位性なのだが、生み出すモンスターを選べないというのであれば、それ以前の問題となる。
同様の理由で、トラップもダメだ。勇者の進行方向にトラップを設置できるのに、柚乃は設置するという選択を選ぶことが出来ない。
ならばもはや、選べる選択肢は一つしかない。リアルタイムで何かする必要のない、不確定要素を完全排除したダンジョン。
「……完全自動化した、トラップだらけのダンジョンだ」
出来れば勇者のライフを削れる毒や、移動を制限、むしろ止めてしまえる様なものが望ましい。しかし、勇者はトラップを破壊する事も出来る。
俺が独り言を言ったのと同時に、スクリーン上でダンジョンコアが破壊された。魔王が勇者の囚われの身となる。踊る『やっぱり勇者には勝てなかったよ』の文字を見て、俺は盛大に溜息を付いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます