後編

 携帯電話の画面を見ると、『木曜日』と表示されていた。

 また戻ってしまった。

 胸の中の罪悪感を流し出すように、小さく息を吐く。

 ……いや、違う。

 外しかけた視線を、再びホーム画面に戻す。

 木曜日。それは確かだ。

 だけどその日付は、七日前のものを示していた。


 一週間前に聞いた話題。一週間前に聞いた授業。

 なぜ……。湧き上がる疑問を、無理矢理に押し込める。

 今は、考えても分かりそうにないことに思考を割くべきではない。考えるべきは、これからどうするか、だ。

 何のためにあの本を開いたのか。僕はゆっくりと思考を始めた。


 あかみが溶け込みはじめた陽差しを、グラウンドは照り返している。

 僕はじりじりとした陽差しを避け、木陰からグラウンド全体を見渡す。

 思えば、こうしてマネージャーとしての茜の姿をじっくり眺めるのは、今まで無かったかもしれない。

 幼馴染みとはいえ高校生にもなると、学校内での距離は自然と開いていった。クラスの違う今では尚更だ。

 グラウンドで部員全員に目を配る茜は、陽の光を浴びているためか輝いて見えた。

 乾いた空に、笛の音が響く。

 茜はドリンクを持って、部員の元へ駆けていく。その先にいる人物は…、北山だ。


 ……ああ、あの表情。

 その表情は、幼馴染みの僕でも初めて見るもので。

 どこか冷気をはらんだ風が、カサカサと木の葉を揺らす。

 まばゆいばかりのあの顔が、一本の光の針となって僕の胸を突き刺した。

 木に預けていた体重を取り返すと、僕は校門へ向けて歩き出す。

 グラウンド横を歩く姿が見えたのだろうか。茜はこちらへ手を振ってきた。

 その表情は、誰にでも見せるいつもの明るいものであった。



「昨日、練習見てたよね。どうしたの?」

 翌朝、靴を履き替えていると茜に声を掛けられた。

「いや、ただの気まぐれ。そういえば、マネージャーやってる茜見たことないなーと思って」

「別にわざわざ見るようなもんでもないでしょ。……で、どうだった?」

「うーん……。いや、恐ろしかったな。大声出して、鬼のマネージャーって感じ」

「何よそれ。それが仕事なんだからしょうがないでしょ」

 そう言って茜はわざとらしく膨れている。

 脳裏にちらつく昨日の茜の表情を追い出したくて、僕も大げさに身振りを交えて答える。

「冗談冗談。で、今日も敏腕マネージャーさんはお仕事?」

「もちろん。試合も近いしね。……もう忙しいんだから、あんまり見に来ないでよね」

 そう言いながらも、目は笑っている。見に行ったところで、そこまで怒られるわけではないのだろう。

「大丈夫、行かないよ」

 僕の耳に届いたその声は、自分でもびっくりするくらいに冷たいものだった。


一楠かずなくん、こんにちは。最近よくいらっしゃいますね」

「こんにちは、蘭。ちょっと今日は考え事がしたくてね」

 挨拶を済ませると、僕は適当な閲覧席に腰を掛ける。

 宣言通り、僕はグラウンドへは行かなかった。今後、行くこともないだろう。

 あの光景を見る、勇気が無いのだ。

 椅子の背もたれに身体を預ける。窓から射し込む外の光が眩しくて、僕は目を瞑った。


 僕は何となく、SFの棚へと向かう。

 思いのほか大きいSFコーナーに戸惑いつつ、例の本を探す。

 しかし貸し出し中なのか、見つけることは出来なかった。

「何かお探しですか」

 本棚を見上げる僕に、蘭が後ろから声を掛ける。

「いや、なんでもないよ」

 本のタイトルすらうろ覚えで、蘭に上手く説明できる自信が無い。代わりに僕は蘭に話を振る。

「蘭はさ、もしも過去に戻ってやり直すことが出来たらどうする?」

「過去……ですか。過去に戻るのは、怖いです」

「怖い?」

「過去に戻ったところで、やり直せるとは限りませんから」

「……そう?」

「それに、過去に戻ってやり直したところで、今より良くなる保証はありませんよ」

 そう言って蘭は、隣の本棚から一冊の本を差し出す。それは、物理学の参考書だった。

「現代物理では、ある事象の確率しか教えてくれないことになっています」

「……?」

「なので過去に戻ってやり直したところで、ある確率で別な方向に、現状よりも良くない方向に、物事が進んでしまう可能性があるのです」

「だけど、良くなる可能性もあるんだろ?それに、自分で動くことでその確率を上げることができるかもしれない」

 蘭の顔に、影が落ちる。

「……そうですね。どんなに自分に言い聞かせても、やり直さずにはいられないこともあるでしょうから」

 蘭が寂しげな笑みを浮かべる、そんな気がした。



「茜、おはよう」

「おはよ、一楠。どうしたの?」

 土曜朝に出会った茜は、部活用の練習道具とおぼしき荷物をたくさん抱えていた。

「いや特に用はないけど……。それは部活の道具?持つの手伝おうか?」

「そう。……ありがとう。けど、大丈夫。これくらい持てる奴だって示さないと、あいつらにナメられちゃうから」

 そう言って茜は頬を掻いた。

「そっか。じゃあ引き留めて悪かったな、がんばれよ」

「うん!」

 一週間戻って以来、僕は意図的に茜に話しかけるようにしている。『幼馴染みだから、距離が開いても大丈夫』そんなことはないと、痛感したからだ。

 茜との会話に時間を掛ける度に、ここ数日を繰り返す度に、自分の中での茜の存在が大きくなっていくのを感じる。

 そして、過去に戻って良かった、そう感じるのだ。



 それからも毎日、僕は学校で茜に会っては話しかけ、図書館で例の本を探した。

 校内で茜に話しかける度に、『僕は茜の幼馴染みだ』という自覚が胸を満たす。

 放課後、図書館で過ごしている間は、グラウンドで茜が見せているであろう表情のことは、忘れることが出来た。


 そして気づけば、木曜日になっていた。


 目覚まし時計が鳴る前に、僕は布団から起き上がる。

 朝食、身支度を済ませ、僕は気持ち早めに家を出る。

 ここ数日間、ずっと考えていた。

 ――何のためにあの本を開いたのか。

 けれどそんなの、考えなくてもとっくにもう一人の自分は知っている。ただ、それを認めるのが怖かっただけだ。


 茜を失いたくない。

 この世界から。僕の世界から。


 つり革を握る手に力が入る。

 今日、茜は北山に告白する。

 それが失敗しても、阻止されても、茜はこの世界からいなくなってしまう。

 だからその前に。

 僕が、茜に告白する。

 僕が茜を失わないために。今、僕が思いつける解答は、それしか無かった。

 失敗したら、何度でもやり直せばいい。

 どんなに低確率でも、納得できる現実を引き当てるまで。


「あ!おはよう一楠ぁ!!」

 靴を履き替え僕が茜の姿を確認するとほぼ同時に、茜は手を振って駆け寄ってきた。

「え、ああ、おはよう」

 あまりにも大げさな茜の挨拶に、僕は早速出鼻をくじかれる。

 ……これじゃあ、いけない。

 僕は自分の後ろで、拳を堅く握る。

「あ、あのさ、茜……」

 言いかける僕の手を勢いよくとると、茜は大事そうに握りしめる。

「良かったあ、一楠が居て」

「……え?」

 茜は僕との距離をグッと縮めると、僕にだけ聞こえるように囁いた。

「あのさ、ちょっと話があるんだけど。いい?」


 まだ校内の人影はまばらで、すれ違う生徒もほとんどいない。

 薄暗い廊下を先に歩く茜を、僕は早足で追いかけた。

「この辺で、いっか」

 中庭の、校舎に沿うように設けられたベンチ。茜はそこに腰掛けると、頭上の渡り廊下を見上げる。

「で、話って?」

 ポンポンと茜はベンチの座面を叩く。僕は促されるまま、茜の隣に座った。目のやり場に困って、茜と同じように渡り廊下を見上げる。

「一楠はさあ…その、悩みとかあったりしない?大丈夫??」

「何それ。どうしたの?」

「そっか。……なら、いいの。何かあったらすぐ言うんだよ」

「え?ああ、うん」

 話ってのはこれではない。そんなのはすぐに分かる。

 ベンチに押し当てる手が、強く反発を感じていた。


「あの、さ」

 茜がためらいがちに口を開く。

「私…その……好きな人がいるんだ」

 空間が、その一部分だけ切り取られる。そんな錯覚。

「だから、一楠にも応援してほしくって」

「……応援?」

 何を言っているんだ、茜は。

「何かして欲しいわけじゃなくて、一楠が一緒に居てくれるだけで励みになるというか、その……。だから……」

 そう言って茜は俯く。その表情は見えないが、鼻をすする音は聞こえてきた。

 僕の頭は猛烈な勢いで空回りを繰り返している。


 不意に、僕の身体がぐらりと揺れる。

 顔を上げた茜が、両手で僕の服の上から両腕を握りしめていた。

「だからもう、どこかいなくなったりしないでよ!」

 腕を掴む圧力が、ぎゅっと高まるのを感じる。

 そのまなざしから零れ落ちる光の粒は、僕の服に触れるや色濃く染みを残す。

 ――

 空転を続けていた僕の思考は、一度地面を掴むと勢いよく突き進む。

 茜が僕に涙ながらに伝えた台詞は、僕が茜に言いたい言葉そのものだった。



 差し込む西日が、本来透明なはずの窓の影を床に映し出す。

 その廊下に伸びた窓の影に身を置き、僕は校舎三階の窓から玄関と校門を繋ぐ道を見下ろす。

『だから、どこかいなくなったりしないでよ!』

 茜の叫びが、頭の中で何度も反復する。

 ……茜は、何度かこの数日を繰り返している。そして、過去に戻る前の未来では、僕がいなくなっていた。

 そうでなければ、あのような発言は出てこないだろう。

 つまり、僕も茜も姿を消していて、僕も茜も過去に戻っていた。

 …僕は勘違いしていたんだ。

 導き出される結論はただ一つ。


 過去になんかいない。

 あの本を読んで僕が過去へと飛ぶと、僕がいなくなるんだ。


 背筋に寒気が走る。

 僕も茜も、お互いを探して、お互いに失踪していた訳だ。

 茜の悲痛な叫びが、脳内に蘇る。

 この皮肉で不幸な連鎖を止めるには、もうあの本を開いてはならない。

 何か言おうとするもう一人の自分を押さえつけるように、窓枠に掛けた左手に力が入る。


 少し開かれた窓の隙間から、風が流れ込み僕の顔を撫でる。

 その風に誘われて、僕は窓の外の地面を見やる。

 黄金色に輝く地面に、伸びる二つの人影。

 その二人分の姿に、僕は息を呑む。

 見間違えるはずがなかった。

 楽しそうに校門へと歩く茜。その隣に居るのは、僕ではない。

 窓枠で歪む手が、軋む歯が、痛い。だけどそんな痛み、どうでもいい。

 茜の右手と北山の左手、その二人の手の中には、僕の心臓が閉じ込められているのだろうか。

 二人が強く手を握るほど、僕の胸は悲鳴を上げる。


 上履きの底が床にたたきつけられ、乾いた音が廊下に虚しく響く。

 渡り廊下に数人の人影を確認して、僕は経路を変更する。

 角は最短で曲がりきり、階段は飛び降り、辿り着く、図書館。

 扉を開くと、僕は息を切らしながらSFの棚の前に立つ。

 肩を激しく上下させながら、僕は目だけで背表紙を追った。

 ……あった。

 見覚えのある地味な表紙。

 手に取ると、薄いにも関わらずとても重く感じた。

『どこかいなくなったりしないでよ!』

 その心の叫びは、ぽっかりと空いた胸の中で何度も反響した。

 いなく、ならないでくれ。頼むから。

 僕は大きく息を吐くと、表紙に手を掛けた。


『……あの子が傷つく、そのことに心を痛める自分がいる一方で、どこか安堵している自分がいることに気づく。そして同じ気持ちを分かつことに喜びを感じる自分にも。

 そのことが、ますます私の心を痛みつけた。

 だけど、だって。私の想いだって、実らない。』


 ……おかしい。

 いつもだったら、この前であの香りが漂ってきたはずだ。

 僕は鼻で大きく空気を吸うも、図書館特有の少し埃っぽいにおいが鼻に残るだけだった。

「どうかしましたか?」

 近づく足音。

「もしかして、もう過去に行けなくなった……とかですか?」

 はっ、と顔を上げると、そこには蘭が寂しげな笑みを浮かべてこちらを見つめていた。

 彼女は僕の手から本を取ると、顔に近づける。

「やはり……もう無くなっていますね」

 呆然と、言葉を失う僕に、蘭はその本をそっと差し出す。

「せっかくなので、最後まで読んでみていただけませんか」

 僕はただ頷き、蘭から本を受け取る。そして言われるがままに、ページをめくった。


 親友の『あの子』の涙を見てしまった『私』。

 その子を慰めつつも、『私』は膨れ上がる感情を抑えきれずに告白し拒絶され、ただただお互い心の傷を深めるだけの結果となってしまう。

 自責の念と後悔で一杯になった『私』は、人との関わりを絶ち図書館へ引きこもる。

 そんなある日、『私』は一つの可能性に気づく。

 ――過去へ戻れるのではないか。

 その一縷いちるの可能性に、『私』は大学生活を捧げ、必死に勉強をした。

 そしてついに、『私』はその薬を完成させた……。


 ……どこかで見たような話だ。僕は顔を上げる。

 見つめる蘭の顔には影がかかり、悲しげに歪められていた。


「一楠くん……。実はあなたは最初、女の子だったんですよ」


 ガン、と頭を殴られる、そんな気がした。

「ごめんなさい。本当にただ、あなたと仲直りがしたくて。元のような友達になりたくて」

 唐突に告げられた情報に、僕の頭は蘭の言葉を反芻するので精一杯だった。

「もうこれ以上、あなたを泣かせない。そう決心して過去へと飛びました。しかしそこに居たのは、茜さんと、一楠くんだったんです。……私はとんでもない勘違いをしていた、取り返しのつかないことをしてしまった!」

 決して大きな声ではないが、それでもはっきりと、僕の鼓膜に突き刺さる。

「でもっ、男の子になっても、一楠はかずなでした」

「……」

「嬉しかったです、私。一楠はやっぱり、昔のように私に話しかけてくれて。いっぱいお話できて」

 何か言うべきだ。そう思うけれど、僕の頭は何一つ言葉を吐き出さない。

 蘭は一回言葉を切ると、小さく息を吐いた。そして再び、ためらいがちに口を開く。

「卑しい話ですが……一楠くんになっていたことに、私は嬉しさを感じていました。異性になった今なら、この想いもう一度伝えてもいいのかなって」

 僕の手に握られた本が、鉛のように重い。

「あるとき、一楠くんは図書館にやってきました。その目を真っ赤にして。その瞬間、私は思い出したんです。私の目的は、かずなの涙を消すこと。こんな卑しい感情に囚われていてはいけない。……そして私は差し出しました。一冊の、その本を」

 そういって蘭は、僕の手の中の本を指さす。

「ざっくりとした説明ですが……。戻りたい時点から現在までを記した紙に薬を漬け、何時間かおいて平衡状態にした後、その揮発した成分を吸う。それがあの過去に飛ぶ薬の使い方なんです。だから、その成分が残っている限り何度か過去に飛べるはず」

「じゃああの甘い香りは……」

 こくり、と蘭は頷く。

「茜さんがあの本を見つけてしまったのは、想定外でした。いや、どこか期待して、本棚に紛れ込ませたんだと思います。茜ちゃんも、友達だったから……。できれば泣いてる姿は見たくなかった」

 蘭は本棚に手をつけると、天井を仰ぎ見る。その瞳が、電灯を反射してきらめく。

「やっぱり、過去に行っても良いことなんかなかったんです」

 指の腹で、本の表紙を撫でる。

 過去に行く度に、僕が、茜が、蘭が、居ない世界が取り残される。僕が女だった世界も。そして、僕の、茜の、蘭の、想いも。

 自分がしてきたことの重みが、手のひらにのし掛かる。

 手の中の本を棚へそっと置くと、その手で蘭の手を握る。

 驚いたように、蘭はこちらへ目線を向けた。

「だけど、この本は、過去に戻れるということは、確かに僕の心の支えとなってたんだ。そしておそらく、茜の心の支えにも」

 過去に戻ってやり直せるなんて、勘違いだった。だけど。

 蘭を握る手に力が入る。その冷たくて柔らかい手に、僕の熱が広がっていく。

「僕はこの本に救われたんだ。茜が居なくなったとき、この本が無かったら僕は泣くどころじゃ済まなかったと思う」

 濡れた瞳に映る僕の姿に、電灯の光が差し込む。

「結局やり直しなんてできなかった。取り返しのつかないことを繰り返してしまった。でも、やり直せないんなら、やり直せないからこそ、積み重ねてきた時間を、大事にするべきなんじゃないかな」

 これは蘭に伝えようとしてるだけじゃない。自分にも言い聞かせようとしているんだ。

 目の前の蘭は、急にポケットに手を入れると、一本の小瓶を差し出した。

「これ、一楠くんが持っていて下さい。まだ少し残っている、例の薬です。私が持っていても仕方ありませんから」

 そう言って僕の手に近づける小瓶を、僕は丁重に押し返す。

「いや、それは蘭が持っていてくれよ。僕は、こっちの本を預かってるから」

「でもこれが無いと……」

「いいんだ。僕はもうこの世界から逃げ出すつもりはないし、蘭に居なくなってほしくもない」

 そう、僕は逃げてきた。逃げようとして、結局取り返しのつかないことを重ねてきた。

 僕は苦々しさを噛みしめる。

「僕は、君までも失いたくないんだ」

 この数回、過去に行っては積み重ねてきたものは、茜との時間だけじゃない。僕は何度、図書館へ足を運んだと思っているんだ。

 ぎゅっと握る蘭の手が、僕の手を握り返してきた。




「一楠、おはよ!」

 翌朝、玄関口で茜がこちらへ手を振ってくる。

「茜、おはよう」

 僕は茜に、笑顔で応える。

「あ、その、一楠、それでね……」

 茜は視線を逸らすと、もじもじと言葉を詰まらせる。

 その頬は、朱に染まっていた。

「ああ、昨日三階から見てたよ?ガッチリ手ぇ繋いで、ラブラブじゃないか」

 面白いくらい、茜は耳まで真っ赤に茹で上がる。

「ちょっと、見てたの!?恥ずかしいじゃない!」

「いや、見てるこっちこそ恥ずかしかったよ」

「なッ!やめてやめて!もう、性格わる!!」

 ふん、と茜はそっぽを向く。

 こういう会話、何だか懐かしくって、無意識に笑いがこぼれる。

「応援してるよ、これからも」

 茜の瞳が、僕の姿を捉える。

「……ありがと」

 僕の裾を掴んで、そう小声で言い残すと、茜はじゃあね、と教室へ去っていく。

「……じゃあね」

 僕は胸に溜まったいろいろな感情を、その言葉と共に外へ吐き出す。

 すると何だか、身体が軽くなったように感じた。


「おはよ、蘭」

「おはよう、一楠くん。何かご用ですか?」

 朝のホームルーム前の時間でも、やはり彼女はこの図書館に居た。

「いや、その、蘭との時間を、これからも大事に積み重ねていこうかな、と思って」

 我ながら恥ずかしい台詞に、目を逸らして頭を掻く。

「あとさ、蘭。……『かずな』で良いよ、昔みたいにさ」

 蘭の目がまんまるに開かれる。その目は、輝いていて。

「……はい!」

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時を掛ける愛情 ずまずみ @eastern_ink

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