中編

あかね、昨日から帰ってないんです』

 聞き覚えのある展開に、僕は唇を噛みしめる。


 やはり、学校には茜の姿は無かった。

 僕は、僅かな可能性にかけて、記憶を頼りに図書館へと駆け込む。

「蘭!いるか!?」

一楠かずなくん、おはよう。そんなに慌てて…」

 カウンターに座る蘭の姿を認めて、僕は蘭のもとへ駆け寄った。

「蘭、茜が読んでた本を知らないか?頼む、必要なんだ」

 彼女はきょとんと僕を見つめていたが、やがて「少々お待ち下さい」と言ってカウンターの下を覗き込んだ。

「これでいいでしょうか。茜さんが昨日返却したり、閲覧していた本です」

 そう言って、蘭はカウンターの上に数冊の本を積む。

「うん、これだよ。蘭、ありがとうな」

 感謝の意を伝えると、出して貰った本を閲覧席の机に並べる。

 一冊だけ、紛れ込んだかのような質素な表紙。

 その本を手に取ると、僕は目を瞑った。

「頼む…もう一度……!」

 心の中でそう祈りながら、僕は表紙をめくる。


 甘い香りが、僕を包んだ。




 連続的な電子音が、僕の意識を引きずり出す。

 木曜日。

 携帯の画面にはそう、表示されていた。

 予想通りに上手くいって嬉しく思う一方で、僕は気味悪い恐ろしさも感じていた。

 ……僕はこの数日を、


「おはよう」

「おはよ。どうしたの?一楠」

 予想通り、学校には茜が居た。その表情は晴れやかで、とても今日消える人のものとは思えない。

「いや、何でもない。まあ、そうだな、何か悩みでもあったら、すぐに相談してくれよ」

 頭を掻きながらそう告げると、茜はぶっと吹き出した。

「アハハ、なにそれ。本当にどうしたの?…でもありがと。そっちこそ、何かあったら言うんだよ。じゃ」

 茜は笑顔を向けると、軽く手を振って教室へ歩いていく。

 茜が居なくなることなんてあってはならない、改めて感じた。


 三度目の授業を終え、放課後を迎える。

 この後、茜は北山に告白して、振られる。

 そして茜は、家に帰らない。

 突拍子もない話だが、今までの結果をまとめると、そうなる。

 今日はちゃんと茜を家まで送り届ける。僕は独り、そう決心した。

 流石に二度も茜の告白を、振られる場面を、盗み見るのは申し訳ない気がして、校門の外で茜が帰るのを待つことにする。

 幾人もの怪訝そうな視線に耐えながら、陽はゆっくりと傾いていった。


 最終下校時刻を迎えても、茜の姿は、見えない。

 僕は焦りを感じ始めていた。

 帰宅生徒の波から外れて、一人険しい顔で歩く男子生徒が視界に入る。

 ……北山、だったか。

 話しかけるな、と言わんばかりの表情で歩いているが、手がかりがあるとしたら彼しかない。

「北山……だったよな?」

「うん?」

 彼は気怠そうに視線を向ける。

「茜のこと、知らないか?」

「あか……っ、はあ?お前まさか」

「いや、茜がどこに居るか、それさえ教えてくれればいいんだ」

「……。いや、知らん。すまないけど、じゃあな」

 北山は面倒くさそうに、話を切り上げると、大股で歩いて行く。

 ……とすると、まだ学校内に居るのか?

 僕は他の生徒とは逆方向に、校門へと駆け出す。

「ちょっと君!もう下校の時間だぞ!!」

 校門に立つ守衛さんを振り切り、校門をくぐる。

「茜!茜ぇ!!どこに居るんだ!!」

 出せる限りの大声も、虚しく響くだけだった。

「ちょっと、聞いてるの!?もう帰りなさい!!」

 守衛さんが僕の肩を引っ張る。

「待って下さい、まだ中に生徒が」

「分かったから、君は帰りなさい。生徒を探すのは、君の仕事じゃない」

 言い返すこともできず、校門の外へと押し出される。

 校門からは、もう生徒は出てこなかった。



 何度も聞いた着信音で目が覚める。

『茜、昨日から帰ってないんです』

 その内容は、以前も聞いた通りで。

 また、何もできなかった。


 昨日茜は学校から出ていない。

 だとしたら、学校のどこかに隠れているのではないか?

 始業前、昼休み。僕は学校中を走り回り、隠れていそうな場所を探した。

 しかし茜の姿は、見当たらなかった。


 茜の担任に茜のことで呼び止められる。

「学校の中は探しましたか?僕は昨日、用があって校門で茜を待っていたのですが、最後まで茜は出てこなかったんです」

「しかし昨日、最終下校時刻後に校舎内を確認した際には誰も居なかったと聞いているが……」

「でも、もう一度ちゃんと調べて貰えませんか」

「……うん、それもそうだな。一楠君も、手伝ってくれるかい?」

 茜の担任をはじめ、複数の教員と手分けして校内を探して歩く。

 教員と一緒に探すことで、普段は入れないような場所も探すことが出来たが、やはり茜の姿は見当たらなかった。


「とりあえず一通りの場所は探し終わったそうだが……葛西さんは見つからなかったようだ」

 僕も担任も、肩を落とす。

 無力感でいっぱいだった。

 ふらりふらりと、廊下を歩く。

 こんなとき行ける場所は、一つしか無かった。


 図書館のカウンターにはやはり、蘭が座っていた。

「一楠くん、こんにちは。さっき先生達が茜さんを探しに来たけど……」

 僕は力なく、カウンターに手をつく。

 その様子を蘭は心配そうに見ていたが、やがて何か思いついたかのようにカウンターの下を覗きはじめた。

「茜さんが、昨日返却したり読んだりしていた本。何かの助けにならないかな?」

 蘭はカウンターの上に、何冊かの本を並べた。

「ああ、助かる。ありがとう」

 並べられた本の中に、質素な表紙があるのを見つけ、僕は手を伸ばす。

「今度こそ、君を消させない」

 甘い香りが、僕を包んだ。



 四度目の木曜日は、ある決心を持って望んだ。

 茜の告白を阻止する、と。

「茜さ…北山のこと好きって、本当?」

「なッ、なんで!」

 動揺を隠せない茜に、僕は追撃をかける。

「でもさ、彼、他に好きな人がいるって話だよ」

 茜の動きが消える。

「それ、本当?」

「えっ、いや、噂っつーか、北山がそう話してたのが聞こえてきちゃったというか……」

「そっか。やっぱりそうだったんだ」

「え……」

「一楠、もうすぐホームルーム始まっちゃうから、じゃあね」

 平静を装っていたが、その語尾は少し震えていた。


 放課後の部室棟裏。僕は一人、本を広げていた。

 万全を期すため、北山でも茜でも、どちらかが姿を現したら話しかけ、告白しづらい状況にする。

 茜には悪いが、茜を消させない確実な方法は、これくらいしか思いつかなかった。

 最終下校時刻を告げる放送が流れる。

 北山が、他の部員と集団で校門をくぐるのを、僕は目の端で追う。

 ……茜は告白していない。

 僕はほっと胸をなで下ろした。



 翌朝、金曜日。

 聞き覚えのある音に、僕は目を覚ます。

『朝早くごめんなさい。でも、茜を知りませんか?』

 ハッと息を呑む。

『茜、昨日から帰ってないんです』

 僕は顔が、青くなった。


 またしても茜が居なくなった。

 茜の告白を阻止しても、結局居なくなってしまうのか。だとすると……。

 通学の電車に揺られながら、僕は考えつく限りの可能性を考えていく。

 学校に着くと、真っ先に図書館へと向かった。


「おはよう、一楠くん。今日は朝早いんだね」

 朝早い図書館のカウンターに、もう蘭は座っていた。

「なあ蘭、頼みがあるんだけど。僕の幼馴染みの茜、行方不明になってしまったらしいんだ」

 突拍子もない話だが、蘭は真面目に聞いてくれている。

「だから、何かの手がかりにならないかって、あいつが借りてた本を教えて欲しい」

「ちょっと待ってて」

 蘭はカウンターの下を探し始めると、何冊かの本をカウンターの上に並べた。

「とりあえず、こんな感じです。手助けになると良いんだけれど」

「ありがとな、蘭」

 派手な表紙の中で、一冊の質素な表紙の本を見つけ、僕はそれを手に取る。

 表紙をめくると、僕はなんとなく蘭に話しかけた。

「嘘みたいな話だけどさ、僕はこの本を読むと昨日に戻るみたいなんだ」

「そうなんですか」

「あっさり信じるのか?」

「茜さんが消えたこのタイミングで、一楠くんがそんなつまらない嘘をつくとも思えませんし。それに、人が一人消えている時点で不自然ですから、それ以上何があっても驚きませんよ」

「そういうものなのか……」

 相変わらず、蘭は頭が良いのか理解が早い。

 僕はぺらりとページをめくる。

「それで、どうするんですか?」

 甘い香りが、僕を包む。

「どうするって、茜を助けるんだよ」


「茜さんを助けて、どうするんですか?」


 薄れゆく意識の中、蘭のした質問の理解を、僕の脳は拒んでいた。



 携帯の画面を見ると、木曜日と表示されていた。

 茜を消させない。

 僕の至上命題は、それ一つであった。


 五度目にもなると、授業内容を全て暗唱できるようになっていて。

 ほとんどの時間、茜について考えるも、結局これといった方針が見つからないまま放課後を迎えてしまった。

 とりあえず僕は、部室棟裏へと向かう。

 茜を追いかければ何か分かるはず。そう信じることにした。


 陽が傾きはじめ、オレンジの光が辺りを柔らかく包む。

 足音が一つ、二つ。立ち止まることに気づく。

 何とも張り詰めた空気が、そこら中で感じられた。


「北山君、好きです」


 ああ、始まった。

 あまりの緊張感に、僕は呼吸できずにいる。


「いいのか?俺なんかで」


 あれ?こんな返答を、していただろうか。


「ううん、あなたがいいの。私ずっとあなたが、好きでした」


 朱く染まる地面に伸びた二つの影が、重なった。



 いつの間にか、僕の他に部室棟付近に人影は見当たらなかった。

 二人は近くを通って帰ったはずだが、僕には周りを見る余裕もなかったらしい。

 陽はさらに傾き、辺りに溶け込んだ闇が、僕の影の輪郭を蝕んでいった。



 翌朝、僕を起こしたのは、目覚まし時計の音だった。

 電車の窓から溢れる陽差しが、僕の網膜を突き刺す。

 車輪がレールの繋ぎ目を乗り越える音が、僕の鼓膜を虚しく揺らした。

 惰性で靴箱から上履きを取り出す。

 その視界の端に、探し続けてきた輪郭が、映り込んだ。

「茜……!」

「一楠、おはよ」

 紛れもない、茜の笑顔。

 茜はちゃんと、ここにいる。

「おお、良かった!おはよう……っ」

 感情の濁流の中で、なんとか言葉を絞り出す。

「どうしたのそんな仰々しく……。それでね、一楠、ちょっと伝えたいことがあるんだけど」


 茜の頬が、朱く染まる。

 僕は背中が、冷たくなっていくのを感じた。


「……悪い茜、ちょっと今は用事あるんだ。また後でな」

 茜の話を打ち切ると、足早に立ち去る。

 その足は、無意識に図書館を向いていた。


 たまたま席を外しているのか、朝の図書館に珍しく蘭の姿が見えない。

 ……そういえば。

 僕はカウンターの裏側に入り込み、下を覗き込む。

 丁寧に積まれた本の中に、僕は一冊の本を見つけた。

 その一冊を手に取ると、僕は表紙を凝視する。

 ――茜さんを助けて、どうするんですか?

 そう尋ねる蘭の声が、頭の中で思い出される。

 茜の告白が失敗しても、阻止されても、茜は居なくなる。だとすると、茜が存在するには告白が成功しなければならないのではないか。

 僕は怖くて、その可能性を考えることから逃げていた。

 そして、今のこの現状を見つめ直す。

 その手には、一冊のSF小説が握られていた。

 自分の中のもう一人の自分がしようとしていることには、気づいている。

 もはや、「茜を助けるため」という大義名分が無いことにも。

 きっとこの本を開くと、今を無かったことにして過去に飛べるのだろう。

 しかし、自分のこんな感情のためだけに、そんなことをして良いのだろうか。


 僕は最初のページをめくる。

『私は見てしまった。

 あの子が振られる、その瞬間を。』

 そう始まるその小説は、忘れるはずのない、何度も読んできた冒頭だった。

 その瞬間、強烈な匂いが僕を包んだ。

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