時を掛ける愛情
ずまずみ
前編
僕は見てしまった。
幼馴染みが振られる、その瞬間を。
息を殺し、耳を立てる。
陽が傾きはじめ、オレンジの光が辺りを柔らかく包む頃。
人気の無い部室棟に、僕は幼馴染みの
一緒に帰らないか、そう声を掛けようと思った瞬間、横に伸びるもう一人の影に気づき、慌てて喉元まで出かかった言葉を飲み込んで物陰に隠れる。
「北山君、好きです」
罪悪感と好奇心と、様々な気持ちが胸の中で圧し合って、僕はその場を動けないでいた。
張り詰めた空気に、息が詰まりそうになる。
「……すまない。マネージャーとしての葛西にはいつも感謝してる。……けど、俺は他に好きな人がいるんだ。すまん」
感覚としては長いこと、遠くを走る車の音しか聞こえてこなかった。
「ううん、北山君は悪くないよ。変なこと言って、ごめんなさい。……北山君も、頑張ってね」
そう言い残すと、茜はその場から走り去っていった。
見つかりはしないか、一瞬身構えたが、茜には周りを見る余裕もなかったらしい。
「……本当に、すまん。葛西」
北山がそうこぼした後、足音は遠ざかってゆく。
隠れる必要がなくなったからだろうか。僕はほっと胸をなで下ろし、帰路についた。
翌朝、金曜日。
しつこい音に起こされて、僕は目覚まし時計を叩く。
しかしそれでも鳴り止まない音に、僕の頭は回転を始めた。
……違う、これは携帯電話だ。
寝ぼけながらも携帯に手を伸ばし、スピーカー部を耳に当てる。
「もしもし」
『
「え、茜のお母さん?どうしたんですか、こんな時間に」
僕は予想外の声に飛び起きて、布団の上で姿勢を正す。
『朝早くごめんなさい。でも、茜を知りませんか?』
「というと…?」
『茜、昨日から帰ってないんです』
いつもよりも早めに家を飛び出して学校へ向かう。
……茜が居ない?そんなことがあるだろうか。いや、あってたまるか。
すぐさま茜の教室へ走るが、茜の姿はどこにもない。
結局、チャイムが鳴っても、登校している気配は無かった。
「一楠君、ちょっといいかい」
放課後、茜の教室を覗いてみると、茜の担任に呼び止められた。
「茜のこと、何か分かりましたか?」
「いや、全く分からないんだ。心当たりとか、どんな小さなことでも良いから、何か知っていたら教えてくれないか?」
「……ごめんなさい、特にないです。部活の人々に聞いてみてはいかがですか?」
心当たりが無い訳ではないが、やはり担任に言うのは気が引ける。
「そうか……、ありがとう。他の人にも聞いてみるよ」
軽く頭を下げると、図書館へと向かう。
こんな状況だ。少しでもいいから、手がかりや相談相手が、欲しかった。
図書館の化身。
図書委員であり学年一の才女を、人々は畏怖を込めてそう呼んでいた。
図書館の全ての本を読んで覚えているだとか、誰も居ない図書館で本に載っている毒薬の製法や呪術を試しているだとか、そういった噂まで流れる始末である。そうして図書館にはあまり人が寄りつかなくなったが、その結果訪れた静寂を楽しんでさえいるようにも見える。
「蘭、やっぱり居たか」
そういった噂をちっとも意に介さないかのように、今日もその才女は独り、カウンターで本を開いていた。
そんな彼女を、成績も良くない僕が馴れ馴れしく下の名前で呼び捨てているのは、冷静に考えれば不思議なことだ。だけどなぜか一年生の頃初めて話したときから、昔からの友達のような親近感を持っていて。そんな僕は度々蘭との会話を楽しみに図書館を訪れている。
「一楠くん、こんにちは」
読みかけの本に栞を挟むと、蘭は視線をこちらへ移す。
「なあ蘭、僕の幼馴染みの茜、知ってるよな」
蘭は小さく頷く。
「そいつが今日、居なくなったんだ」
蘭は視線を落とし、少し考え込んでいるようだったが、やがて小さく口を開いた。
「事情は何となく把握しています。……たしか茜さんは、先週何冊か本を借りていたはずです。このあたりに……」
そう言うと蘭はカウンターの下を覗き込む。
やがて、ドサリと数冊の本をカウンターの上に載せた。
「これが、昨日茜さんが返却した本や閲覧していた本です。どうですか?何か手がかりが得られそうですか?」
蘭が置いた本を手に取る。
告白の仕方。恋愛攻略本。どれも人前で読むには恥ずかしいような本ばかりだ。
「ありがとう蘭。じゃあこれ、貸し出し手続きできる?借りて帰りたいんだ」
正直、これらの本を読んで茜の居場所が分かるとは思えない。
けれど僕は、「何もしないで待つ」ということには耐えられそうにもなかった。
家に帰り、自室に借りてきた本の束を広げる。
明るい色合いの表紙の中で一冊だけ、落ち着いた色のシンプルな表紙が目についた。
「茜、SF小説なんて読んでたっけ」
気になって、手に取り、まだクセのついていない紙をめくる。
ほのかに感じる甘い香りに、僕はそっと、目を、閉じた。
鳴り止まない電子音に、意識を取り戻す。
…。
……あれ、目覚まし時計?
布団から跳ね起きると、時計は七時半を指そうとしていた。
まずい。土曜日は電車の本数が少ないから、早くしないと遅刻だ。
歯を磨き、顔を洗い、制服に着替え、朝食もろくに摂らずに家を飛び出した。
走った甲斐あってか、何とか遅刻せずに学校に着く。
それにしてもどうして昨日は寝落ちなんかしてしまったのだろうか。
そんなことをぼんやり考えながら玄関口に入り、靴箱から自分の上履きを掴む。
「あれ……?」
掴む手から、力が抜けていく。
上履きは重力に引かれていって、堅い音を立てた。
僕が見間違えるはずが、なかった。
「茜…!」
思わず呼びかけた声に、彼女は髪を揺らして振り返る。
「一楠、どうしたの?」
「どうしたの、じゃないよ。ちゃんと家の人には連絡した?」
あまりにもとぼけた返答に、こっちの気が抜けてしまう。
「家の人…?一体何の話……?」
「え……」
ふざけているようには見えない、本当に困惑しているような瞳を、茜は僕に向ける。
「なんか変な夢でも見たの?もうすぐホームルーム始まっちゃうから、じゃあね。一楠も急ぐんだよ」
小さく手を振ると、茜は小走りでその場を立ち去る。
……どういうことだ?
ホームルームが近いのは本当なのか、多くの生徒が各々の教室へ走り去っていった。
朝のショートホームルーム。
教室の前方で、担任が連絡事項を伝達している。
……どれも聞き覚えがある。
僕はそう感じた。
そしてその疑念は、一限の授業で確信へと至る。
土曜一限は数学。しかし現れたのは、英語の教師だった。
そしてやはり、授業内容に聞き覚えがある。二限も三限も、四限も五限も六限も、どれも聞き覚えのある授業ばかりであった。
考えれば考えるほど、脳に疲労が溜まっていくのを感じる。
理解を超える事態の連続に、僕は一刻も早く家に帰りたいと考えるようになっていった。
翌朝。
疲れからか昨日は早く眠ってしまったが、眠りが浅くなったところに電子音が鼓膜を揺らす。
僕はこの音を知っている。
まさか、と思いつつも携帯電話に手を伸ばし通話ボタンをタップすると、スピーカー部を耳に押し当てた。
『朝早くごめんなさい。でも、茜を知りませんか?』
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