第5話 恋煩い

 消えたくない。


 そう思うようになったのはいつからだろう。

 明確にはわからない。だけど、一つだけはっきりしたことがある。


 それは、2年前。凛がまだ、中学3年生だったころのこと。

 凛へのいじめが常習化した頃、蓮はいつものようにいじめっ子たちに立ち向かっていた。といっても、人格が入れ替わったときに凛が苦しまないように、極力傷つかないように避け続けるだけではあったが。それでも、凛の心がダメージを負わないように、いじめが終わりを迎える為に、何度も立ち向かった。

 そんなある日。一人の男子生徒が、蓮といじめっ子の間に割って入ったのだ。


「もう、いいかげんにしろよ!」


 その声は足と共に震えていて、とても弱々しかった。でも、その両目はどこまでも真っ直ぐで、いじめっ子たちを必死に睨みつけていた。

 結局、彼はいじめっ子たちに文字通り一蹴されたが、その日以来いじめはなくなった。単純に、受験ムードに押されてそれどころではなくなっただけではあったが、その男子生徒はこの一件から自信をつけるようになり……。

 凛と同じ高校に入学が決まった頃には、見違えるようにたくましくなっていた。


 いま思い返せば、蓮が高校でほとんど現れないようにしたのは凛のためではなく、その男子生徒――細川 來斗に会わないようにするためだったんだろうと思う。


 私はあの時から、來斗が好きだったのかもしれない。




「……お、起きた」

 気が付くと知らない場所にいた。なにやら騒がしく、人も何人かいるようだ。

「……ここは?」

「カラオケ屋だよ。……えーっと、本当に蓮、だよな?」

 声がした方を見ると、そこにはクラスメイトが数人、ビニールのソファに座っているのが見えた。その中には、來斗の姿もある。

 そういえば、夏休みを利用してクラス全員で遊びに行こうとかなんとか言ってたっけ。今が何時で何日なのかは知らないが、二次会だか三次会だかで数人だけカラオケに参加することになり、そのなかに何故か凛も参加することになった。と、まあそんなとこか。

「……なに、歌えってこと?」

 寝起きのような不機嫌な口調で言う。蓮は学校では嫌われ者に徹するように努めてきた。そうすることで相対的に、凛を嫌うような奴が現れないことに繋がると思っているからだ。

 だが、蓮がそう言うと、数人がニヤついた表情でつぶやいた。


「おお、本当に不機嫌そうに言うんだね」

「凛ちゃんの言った通りだったね」


 ……どうやら、私の思惑は凛を通して筒抜けだったらしい。私はただ茫然と、この状況を受け入れることにした。

「蓮だってウチのクラスの一員だよ。それなのに、一人だけ除け者にするなんてあり得ないさ」

 來斗が諭すようにそう言ってみせた。なんとも青春ドラマみたいで青臭い台詞だったが、遊び過ぎで半ばおかしくなったテンションのクラスメイト達には大うけのようで、囃し立てるように歓声が沸いた。


「お前らな……頭おかしいだろ」

 もはや呆れるしかなかった。こいつら、酒でも飲んでるんじゃないのか、と思わずにはいられない。そしてクラスのやつらも、はいその通りですと言わんばかりにさらに盛り上がる。


「はい、本人も了承してくれたというわけで、次蓮ちゃんが歌うぞー」

 來斗がそう言いながら、蓮にマイクを手渡す。それと同時に、カラオケルームの大きなディスプレイが、映像を映し出し始める。

「いや、了承なんてしてないから! って、なんでもう曲入ってんだよ。なんでこの曲知ってんだよ!?」

 ディスプレイに表示されたのは、蓮がよく聞いている曲だった。明るくポップな曲調とは裏腹に、ダークな雰囲気を醸し出す歌詞の曲。


 まさか、私の好きな曲までバラしたのか凛は……。帰ったら交換日記に長文でお説教してやる。


「……あーもうっ! わかったよ、歌えばいいんだろ!?」

 やけっぱちに蓮が怒鳴ると、オーディエンスは最高潮になった。蓮が怒鳴り声をあげる程度では、もはや怯みもしない。むしろ、火に油を注ぐようなものだった。



 結局、蓮はそのまま3曲連続で歌わされ、最終的には蓮自身も吹っ切れたのか、ノリノリで楽しんでしまっていた。



 ……凛は、こんな連中のいるクラスに入った。基本的に盛り上がりさえすればいいだけの、馬鹿しかいないようなクラス。煽ったり囃し立てたりこそすれ、誰かを傷つけたりはしない優しさを持ったクラス。

 今でこそこのノリがうっとおしくて辟易するが、後に"いい思い出"として思い出せることがハッキリとわかる。いじめられっ子だったあの頃とは大違いだ。

(本当に、いい環境に恵まれたな……)

 蓮は最後の歌を歌いながら、しみじみとそう思った。

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