第4話 夜半。目が覚めて

「……ん?」


 気が付くと、蓮は勉強机に突っ伏していた。どうやら宿題をしていたようで、机の上には広げられた数学ノートがそのままの状態になっていた。

 しかし、宿題であったはずの計算式は8割程度回答した状態で止まっていて、右手にはシャーペンが握られている。


 どうやら凛は、宿題の途中で寝落ちしてしまったようだ。


 眠ることで人格が切り替わる。他の二重人格者がどうなのかは知らないが、私たちはそういうふうに出来ていた。そういった意味では人格のコントロールが出来ていいことなのだが、眠い授業の時は頻繁に人格が入れ替わるから困りものだ。


「まったく、宿題押し付けやがって……」


 そんなふうに文句を言いながら、蓮は残った2割を解き始める。といっても、普段は授業になぞ参加していないから、問題の内容など全くと言っていいほどわからないのだが。

 そうして結局、スマホで調べたりしながら30分ほどかけて宿題を終わらせて、明日の準備――もう2時過ぎなので正確には今日のだが――を進めるために、カバンに手を伸ばす。


 カバンを開けた時、そういえば、先輩に貰ったあの箱どうしただろうと、蓮は部屋を見回す。6畳ほどの部屋はそこまで広くないので、すぐに透明なテーブルの上にある小箱を見つける。どうやら中身の確認は済ませてあるようで、小箱の下には次に作るであろうハーバリウムの案をスケッチした紙が敷いてあった。


 そして、その小箱の隣に置いてある、1冊のノートを手に取った。

 このノートは、凛と蓮がコミュニケーションを図るために作った、交換日記のようなものだ。私たちはアニメに出てくるキャラクターみたいに、直接脳内で話したりは出来ないので、こういうものが必要になってくる。


「テーブルに置いてあるってことは、なにか書いたってことだよね?」


 蓮はその交換日記に挟まった栞の紐をひっぱり、ページを開く。案の定、新しく1ページ分記入されていた。


『私の代わりに藤木先輩から受け取ってくれてありがとう。ごめんね、私が受け取れなくて。頼み事は出来るようになったけど、まだ面と向かってお礼を言える勇気がなくて……』


 最初の一行目は、そう書いてあった。凛らしい、小さい丸文字で。


「ああ、だから放課後に私が出てきたわけか」


 高校生活2年にもなって、蓮は生徒の顔と名前をほとんど覚えていない。それは単純に、凛に高校生活を送ってほしいから、蓮が出てこないようにしているからだ。登校のために乗る電車の中で蓮から凛へ、家事を済ませて眠ることで凛から蓮へ。そういったサイクルの中で過ごしてきた。だから、蓮は学校内ではほとんど出てこない。


「苦手な物理の授業があったわけでもないのに何故、と思っていたが……なるほどな」

 まあ、人に話しかけることも出来なかった中学以前と比べると、それでも格段に進歩している。一歩ずつ、進歩していけばいいさ。そう思ってしまうのは、甘いだろうか。


『変だよね。藤木先輩には会って話したいって思うんだけど、同時に会いたくないって思っちゃうのって。いろんなこと話してみたいのに、目の前にいくと言葉が詰まってなにも話せなくなっちゃう。心臓がバクバクして、なにも考えられなくなるっていうか…。これが”好き”ってことなのかな』


 2行目以降は、そう書かれていた。蓮はそれを黙って読んだ。様々な意味で、蓮にとって衝撃だった。


(好き…か……)


 二重人格――いや、性同一性障碍を持つ凛にとって、恋愛というものは私たちとは無関係の概念でしかなかった。同じ学校の生徒にとって、凛は物珍しい存在でしかなく、友人というよりも玩具と表現した方が正解な扱いしか受けてこなかったからだ。


 それがエスカレートしていじめに変わってからは、蓮が盾になることで凛を守ってきた。

 だから、凛が誰かを好きになれたというのは驚くべき進歩であり、環境が良い方に変わったことの証明にもなる。


「……」


 本当に喜ばしいことだ。喜ばしいはず、なのに。


「会いたいのに、会いたくない……か」





 その感覚を、蓮は知っていた。

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