事後処理と種明かし01
マキノ牧師が、よよよ……、涙を流す。
彼に抱き締められているシオが、鬱陶しそうな顔をした。
薄茶と桃色の混じった頭へ、何度も牧師の頬が往復する。所謂頬擦りだ。
普段温厚なシオが、怒声を耐えるように身体を震わせている。
「神よ、この子たちに祝福を……」
「さっさと離して。公的機関に突き出すよ」
「呼んだー?」
「呼 ん で な い」
にっこにこー!! 満面の笑顔でルークがシオの前に立つ。
シオの忍耐力が窮地を迎えた。構わず、ルークがシオの頬をぷにぷに人差し指でつつき出す。
シオが耐えるように歯噛みした。彼は我慢強い!
「うえっ、うっ、ぐすっ」
「……いい加減鬱陶しいぞ」
教会の長椅子にべちょんと横たわり、ニアがべそべそと泣きじゃくる。
暗黒空間の前の席に座ったキリウスが、嫌そうな顔で嫌そうな声を出した。
ばん! ニアが座面を拳で殴る。
「だって!! ミリアさんがぁ!!!」
「うるさい。声量を落とせ」
「ミリアさんの髪があああああああああッ!!!!!」
うわああああああんッ!!!! 再び大泣きが始まったニアを、キリウスが頭痛に耐えるような顔で見下ろす。
キリウスの隣には、弱り切ったミリアがちょこんと座っていた。
しかし、彼女の長く艶やかだった髪は消え失せ、少年のような短さになっている。所謂ベリーショートだ。
「……ニア、また髪を伸ばします。ですから、その……泣き止んでください」
「俺は俺の罪深い両手が許せないんです!! ミリアさんの御髪を!! ざんばらに切り落とすなんてぇ……ッ!」
「おい。僕の作戦に文句があるのか?」
「ないですー!!!」
剣呑なキリウスの声に、ぴょんとニアが飛び起きる。ごしごし、両手で瞼がこすられた。
おずおず、ミリアが窺う。
「ニア、短い髪は、わたくしには似合いませんか?」
「いいえ。ミリアさんはどのような髪型でも、愛らしくて美しくて、大変よくお似合いです」
「お前の口説き文句を聞かされる、僕の気持ちを考慮しろ」
「うるっせーわ!! なにちゃっかりとミリアさんの隣に座ってんだよ!?」
「お前が長椅子に寝てたからだろ!!!!」
――ミリア救出大作戦の発案者は、キリウスだ。
頭の回転のはやいシオも、当然関わっている。
完全脳筋のニアは、直感的なアイデアを提供した。彼等三人が考え出した作戦は、こうだ。
「……ミリアさんには、ここで死んでもらいます。あっ! といっても、本当に死なれたら後追い自殺するので、死んだということにしたいんです!」
ミリアの肩を支え、ニアが彼女と目を合わせる。
驚愕に見開かれた青色の瞳が、窺うように細められた。涙の残る目尻を、ニアの指が撫でる。
「……どう、すれば……?」
「俺とミリアさんの服を、入れ替えます」
「!」
ミリアの顔が、はっとする。
ニアの現在の服装は、キリウスの家の使用人のものだ。まさかと彼女がニアを見詰める。
「今、ミリアさんを助けようと、俺とシオとキリウスで動いています。キリウスが客人として下にいるので、俺の代わりに合流してください」
「ですが、ニアは!?」
「俺はミリアさんとして、死ぬ役を演じます。大丈夫です! ちょっと飛び降りるだけです!」
安心させるように、ニアが笑う。
ニアとシオの見た目は、とてもよく似ている。
そしてキリウスの使用人として潜入すれば、口実を持って邸内を探索することができる。
片方がキリウスとともに口実を作る役……この場合シオが演じ、同じ見た目のニアが、こっそり屋敷に潜入する。
あとは『手紙を届ける役』の通り、堂々と邸内を歩き回ることができる。
ふたりは鏡合わせのような見た目である。
双子がすれ違わない限り、別所で見かけても誤魔化せる。
――初歩的な双子トリックだ。キリウスはそう称していた。
シオがミリアの元まで手紙を届けにくる間に、ニアがミリアと服を入れ替える。
ミリアの髪は長い。艶やかな銀の髪を持っている。まず印象に残るだろう。令嬢であるミリアは、お嬢様らしく髪が長い。
これを切り落とせば、印象は変わる。
そして髪が長い方を、ミリアだと認識するだろう。
――先入観って大きいよね。シオはそう言った。
裁ちバサミがシャキンと音を立て、ミリアの髪が切り落とされる。
ショールの上に並べられたそれを、今にも死にそうな顔でニアが見下ろした。
「ミリアさんの髪がぁッ」
「平気です。これまでの思いを断ち切ります」
「ぐすっ」
鏡台に映るミリアの髪は、少年のように短くなっていた。
時間もないため、毛先もざんばらである。何より、ハサミを持つニアは不器用だった。ニア自身の髪で実証済みだ。
「あとでシオに整えてもらいましょう……!」
「わたくしは、これでも構いません」
「整えさせてー!!」
べそべそ、ニアが泣く。
並べたミリアの髪を氷雪でショールに固定し、簡易的なかつらを作った。
この辺の発案は、裁縫のできないニアがごり押しで通した。
「あ、あのっ、それじゃ、ミリアさんっ! 服、脱いでくださいッ!!」
真っ赤な顔を俯け、ニアがお願いする。
……ミリアの元へ向かう役が、シオではなくニアだった一番の理由が、これだ。
もじもじと美少女顔を困らせるニアは、状況が状況だというのに、ミリアの心に衝撃を与えた。彼女の頬が染まる。
「……わかりました」
「お、俺! あっち向いてます! 服、ここに置きますね!」
「あなたも女の子でしょう? そう照れなくとも……」
「俺の下心が、紳士でいたいって叫んでるんですうううう!!!」
ミリアに背を向けたニアが、必死さのこもる声で訴える。
勿論周囲に聞かれては困る内容のため、会話は全て小声でなされていた。ニアは今すぐ全力で叫びたい。
自室に閉じ込められてからのミリアの元へ、身支度のためのメイドが送られることはなかった。
シュミーズドレスのままの自身の格好を見下ろし、今更ながらミリアが羞恥に震える。肌着のための薄いドレスだ。
――これをニアに着せる?
薄らと想像し、彼女が頬を火照らせた。
「み、ミリアさんっ、服を……」
「は、はい!!」
あわあわ、ふたりが着替えを終わらせる。
使用人の制服を着込んだミリアと、心許ない薄いリネンのドレスをまとったニア。
せめてものの処置として、裾が盛大にめくれないようにと腰にリボンが巻かれるが、ニアは立ち上がることさえできずにへたり込んでいた。
真っ赤な顔で、冷や汗をだくだく流すニアを見下ろし、ミリアがおろおろする。
「……ニア、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です! ミリアさんいいにおいとか、ミリアさん似合ってるかっこいいとか思ってません!!」
「…………ッ」
心配する必要はなかったらしい。ぐぬぬ、ミリアが胸を押さえて苦しむ。状況が状況でなければ、大声を出していた。
ニアは持ち前の美少女顔を火照らせ、涙目でミリアを見上げている。普段学校の制服で隠れている胸が、柔らかなふくらみを描いていた。
――やっぱり、女の子なんだ。実感をともなって、ミリアが確信する。
よろよろと立ち上がったニアが、ミリアの靴に戸惑いよろめいた。慌てた様子で、ミリアが彼女の手を握る。
「踵まで考えが及びませんでした。……ちょっと不安定ですけど、気合いで乗り切ります」
「靴を変えましょうか?」
「いえ、靴は目立ちます。ミリアさんを連れ去るためです! 徹底的にやります!」
にぱりと輝いた明るい笑顔に、ミリアが泣きそうな顔をする。
繋いだ手を両手で握り締め、彼女が肩を震わせた。
「わたくし、本当に泥棒なんて、していないの……」
「わかっています。ミリアさんは、そんなことする人じゃありません」
「信じて、……くれますか?」
「当然です!」
ミリアの頬を涙が滑る。毎日泣いて暮らしていたにも関わらず、後から後から涙が零れた。
華奢な両手が、荒れた手をきゅっと握る。ミリアが彼女の手に、額を乗せた。
「わたくし、おかしいの。あなたが女の子だとわかっているのに、好きで好きでたまらないの」
「は、」
「あなたが好きよ。ニア」
泣き笑いの顔で告げたミリアに、目を瞠ったニアが耳まで火照る。
じわじわ目に涙をためた彼女が、ミリアの手を握り返した。
「お、俺、かっこつかない……ッ。全部終わったら! 俺の話、聞いてください!!」
勢い良くニアが頭を下げ、ショールを引っ掴んで乱雑に頭から被る。
なびく銀の髪はまるでミリアのようで、えへんっ、彼女が咳払いした。
「ここでシオを待っていてください! いってきます!!」
発せられた声音は、これまで聞いたこともない、少女のように澄んだ声だった。
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