ミリアから見た景色05
掴まれた腕が痛い。無理やり引っ張られて、千切れてしまいそう。
唐突に突き飛ばされて、そのまま転んでしまった。
――広間のソファの前。馴染んだ間取りが、現在地を教えてくれる。
ふらふら顔を上げると、ソファには久方振りに見るお父様が座っていた。
……ああ、長らくのお仕事が終わったのですね。お父様がご無事で、わたくしはほっといたしました。
「ミリア、どういうことだ?」
厳格な顔をさらにしかめて、恐ろしい形相が低い声を発した。
お父様がわたくしに微笑みかけなくなってから、どれほどの月日が流れたのだろう。
お父様の隣には、ハンカチで目許を拭う継母の姿があった。
か弱く肩を震わせる彼女へ、お父様が腕を回す。
「何故クラリッサのアクセサリーを盗んだ?」
「……は?」
思ってもみない詰問だった。
アクセサリー? 盗む? 一体何のこと?
呆然としているわたくしをどう思ったのか、お父様が立ち上がった。
「答えなさい、ミリア!! 何故盗人風情になり下がった!?」
お腹の底に響くような怒声だった。
お父様は、本気でわたくしを怒っている。わたくしが盗んだと、本気でお思いになられている。
……わたくしは、そのような低俗な行いをするように見えるのですか?
とっくの昔に足許が崩れる感覚を知ったのに、またしてもがらがらと崩れる感覚がする。
――どうしてお父様は、わたくしを信じてくださらないのかしら?
どうしていつも、その女のことばかり信じるのかしら?
わたくしに愛想がないから? わたくしがもっと可愛ければ、お父様もわたくしを信じたの?
「……わたくしはやっておりません」
「見苦しい!! 嘘をつくなッ!!」
か細い否定を、大音声で掻き消された。
――どうして? どうしてわたくしの話も聞かず、そのように決めつけなさるのですか?
わたくしが、これまで一体何をしたというのですか?
どうしてわたくしを見てくださらないの?
いつから、お父様はわたくしを見てくださらなくなりましたの?
以前はお手紙もくださったのに。お父様の煙草のにおいの染み込んだ、お手紙が届くことを心待ちにしていたのに。
どうして……。
継母が、肩を震わすハンカチの下から、にやにやとこちらを見下ろしている様子が見えた。
激昂しているお父様は気がつかない。彼女はすぐさま、くすんくすんとすすり泣く。
お父様が継母の背を撫でた。愛しげな手付きで頬を撫で、華奢な肩に大きな手を乗せる。
お父様が、最後にわたくしに触れたのは、いつですか……?
「お前の処分は追って伝える。……二度と顔を見せるな。貴様に私の血が流れているかと思うと、吐き気がする」
「……ッ!!」
張り裂けそうなほど、胸が軋んだ。
お父様は言葉の通り、嫌悪に顔を歪めてこちらを見ることはなかった。
――小刻みに震える身体で、どうやって自室まで戻ったのか、覚えていない。
気がついたら、自室の床に座り込んでいた。
お父様は、お父様だけがわたくしに残された家族だった。
その繋がりを拒絶された。
お母様を失って、あの女が来て、全部おかしくなった。……いつから?
わたくしの声は、お父様へ届かない。……いつから?
「ッ!!」
頭の中も心の中もぐちゃぐちゃだった。視界が歪んで、今にも泣いてしまいそう。
机の引き出しを開け、中におさめたキャスケット帽を探す。
――ない!? どうして!? あれは、ニアの帽子は……!?
不意に部屋の外から、甲高い笑い声が聞こえた。
瞬時に悪い予感が全身を巡り、言いつけを破って部屋を飛び出す。
「いやあねぇ、こんな汚らしい帽子!」
わたくしが駆けつけたときには、キャスケットは無残にも華奢な靴底によって踏み躙られていた。
継母が連れる使用人たちが、くすくすと笑っている。
その光景を目にした瞬間、わたくしの喉は悲鳴にも似た声を発していた。
「やめてください!!」
「きゃっ! 何をするの、ミリア! ひどいわ、私はあなたが溜め込んだゴミを処分していただけなのにぃ」
継母の足を払い除けて、帽子を胸に抱き締める。
知らぬ間に涙がぼろぼろ零れていた。
――どうして。大切に仕舞いこんでいた宝物なのに……!
「やあねえ。ゴミだからゴミに執着するのかしら? ねえ?」
「ゴミじゃない!!」
「まあ! 私に口答えする気!?」
愉悦に緩んでいた継母の唇が、不機嫌そうに歪む。
他にも使用人たちはこの光景を見ているはずなのに、誰ひとりとして止めてくれない。むしろくすくす笑って、ひそひそ耳障りな音を出している。
継母が、お気に入りの年若い執事の方を向いた。
「ハサミをちょうだい」
「こちらに」
恭しい仕草で、執事が継母の手に裁ちバサミを渡す。その光景にぞっとした。
「折角だから、私がもっと可愛くしてあげるわ。ほら、貸しなさい」
「いやッ! やめてくださいッ!!」
ハサミを片手に、継母がキャスケットを掴む。必死に抵抗するも、使用人が加勢した。
取りさらわれたキャスケットが、ネイルを施した滑らかな手へ渡る。
わたくしは使用人に手首を掴まれ、駆け寄ることすら出来なくされていた。
「そうねえ、まずはここかしら!」
シャキン。
つばを軸に、重たく鋭い刃がキャスケットを横断する。
はじめて悲鳴らしい悲鳴を上げたと思う。きっとお母様のお葬式よりも泣いただろう。
何度も何度もハサミが音を鳴らし、ボロボロと破片が落ちる。
最後に残ったつばを床へ投げ捨て、すっきりした顔で継母が笑った。
「どうかしら? 私、アレンジの才能があると思わない?」
「流石でございます、奥様」
ハサミを受け取った執事が、恭しく礼をした。
解放された身体がへたり込む。震える手で、帽子だったものを掻き集めた。
――ミリアさんキレイすぎるから、ここだと浮いてるんです!
ニアの言葉が脳裏を巡る。継母がご機嫌に笑いながら立ち去った。
――わたくしは……ッ!!
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