ミリアから見た景色04

 ミリアは貴族の令嬢である。

 学園までの通学には、当然送迎がつく。最先端の蒸気自動車が門の前で待機し、彼女を乗せて出発する。

 サンブラノ家にとって、馬車はすでに時代遅れの代物だった。

 その鼻にかけた姿勢が、ますます他の貴族への威圧となる。ミリアは辟易していた。


 物言わぬ運転手の後ろに座り、窓も壁もない景色が流れていく。

 最新型の車ともあり、大通りを走る車体は人々の目に好奇に映った。エンジン音のおかげで話し声が聞こえないことが、ミリアにとっての幸いだろう。


 風に煽られる髪を払い、何気なくミリアが街並みへ視線を巡らせる。

 流れていく街路の中に、ふと特徴的な髪色の少年を見つけた。彼女が目を瞠る。


「止めてくださらない!?」

「――はっ」


 身を乗り出したミリアに、咄嗟に運転手がブレーキを踏む。止まった車から、ミリアが飛び出した。

 少年が消えた箇所まで走り、彼女が左右に顔を向ける。


 薄暗く雑然とした、不気味な路地裏だった。

 大通りから外れた途端に、見知らぬ景色が彼女を包む。振り返れば明るい道が広がり、前を向けば徐々に暗くなる道が続く。

 鼻を突く異臭も、転がる酒瓶も、ミリアの知らないものばかりだった。

 不安そうに、彼女が視界をさ迷わせる。


 車から見えた、薄茶色から桃色へ変わる髪色はどこにも見当たらず、見間違いなのかと彼女が落胆する。

 引き返そうとしたミリアの耳が、微かな声を拾った。


「――シオッ! そっち行った!!」

「待ってニア! 派手に追いかけたら、逃げちゃうって!!」


「!」


 頭上から聞こえたそれに、彼女が上を向く。

 だんっ! 踏み切る音が人影を映した。民家と民家の間を自在に飛び越え、誰かが屋根を走っている。


「待ってってば、ニア!!」


 地上へ着地したもうひとりが、素早い仕草で跳躍する。軽やかに壁を蹴り、屋根まで飛び上がった。


 ――キャスケットを被っていたけれど、間違いない。今の少年はシオだわ!


 確信した瞬間に、ミリアの足は動いていた。ニアが走って行ったと思われる方へ、夢中で駆ける。

 時折聞こえる声を頼りに走る彼女は、先ほどまで感じていた路地への不気味さも、しつこいほど刷り込まれた危険への注意喚起も、頭になかった。


 簡単に上がる息を懸命に飲み込み、ミリアが路地を縫う。

 現在地も目的地も帰り道も、無事にニアと会えるかどうかもわからないまま、彼女は走った。


 名家の集う制服をまとった少女が、治安の悪い路地をさ迷っている。


 このとんでもない事象に、金に飢えた者たちの判断は迅速だった。

 数多ある物影に潜み、夢中で駆けるミリアを追う。隣の暗闇が息遣いを発し、我先にと金持ちの少女をつけ狙った。


 息が切れて立ち止まったミリアが、荒い呼吸を繰り返す。

 彼女の背後に迫った人影。

 ぬっと伸び上がったそれに、ミリアが気づいた。振り返った彼女が、強張った喉に悲鳴を突っ返させる。


「屈んで!!」

「っらっしゃおらあああッ!!!」


 そっくりな声がふたつ響いた。咄嗟に屈んだミリアの頭上が風を起こし、ぐぎゃ!? 悲鳴と痛々しい音が響く。

 ミリアのすぐ隣に降り立ったもうひとりが、辺りに冷気を放った。


「くそっ、レオノラの客かよ!」

「ちゃんと躾けろ! ちくしょう!」


 スラム訛りの酒枯れした声が投げ捨てられ、周囲から人の気配がなくなる。

 唖然としているミリアへ、冷気を引っ込めた少年が微笑みかけた。


「きみ、大丈夫……って、ミリアさん!? なんで!?」

「シオ、どうし……み、ミリアさんッ!?」


 ぎょっとしているシオと、ならず者の顔面に膝を入れて意識を奪ったニアが、悲鳴を上げる。

 ふたりとも薄汚れた白シャツを身につけ、これまた煤汚れた長ズボンをサスペンダーで留めていた。

 シオはキャスケットを被っており、ニアは同じものをズボンのポケットへ突っ込んでいる。


 ようやく出会うことのできたふたりに、ミリアの肩からほっと力が抜けた。慌てたニアがキャスケットを引っ張り出し、ミリアの頭に被せる。


「ご、ごめんね、ミリアさん! ミリアさんキレイすぎるから、ここだと浮いてるんです……!」

「どうやってここまで来たの!? お迎えの人とはぐれちゃった!?」


 おろおろと慌てる双子に、被せられた帽子を押さえて、ミリアが俯く。ぽそり、彼女の高い声が響いた。


「……ふたりの姿が見えました。そうしたら、いても立ってもいられなくて……」

「追ってきちゃったかあ……」


 シオとニアが、同時に狭い空を見上げる。暮れなずむ頭上は、昼なお暗い路地の明度をますます下げていた。

 ニアがミリアへ向き直る。金色の目が、真剣な色を灯した。


「ミリアさん。路地は危ないから、絶対入っちゃダメです。約束してください」

「……はい」

「ミリアさんが俺たちを追ってきてくれたこと、すごくうれしいです。でも、それでミリアさんが危険な目にあったら、俺、すごく悔やみます。とっても悲しいです」

「……わかりました。すみません」


 俯いたミリアが、きゅっと唇を噛む。

 彼女の手を、ニアが取った。はっと顔を上げたミリアへ、明るい笑顔が薄暗い空気の中に浮かび上がる。


「大通りまで案内します! シオ、モルダくん任せたぞ」

「任せて。ニアが戻ってくる前に捕まえるよ」

「……ふたりは、なにを探しているのですか?」


 耳馴染みのない名前に、ミリアが小首を倒す。顔を見合わせたニアとシオが、ふたり同時に口を開いた。


「ネコ」

「……はあ」

「依頼でね。飼ってるネコが逃げちゃったから、その子を探してほしいって」

「それがほんっとすばしっこくて! 魚みたいににゅるにゅるすり抜けていくんだ!」

「ぜっっっったい、ニアが大声で追いかけ回してるせい」

「んだとっ!?」


 むすりと文句を放たれ、過敏にニアが反応する。彼女を睨み据えるシオに、普段の温厚さはなかった。


「だってそうじゃんか! かわいそうでしょ!? もっと慎重に行動してよ!!」

「そういうシオこそ、動物さわれないって、手、離しただろ!?」

「だって思ってたより小さかったんだもん!!」

「どこが!? でかかっただろ!?」

「……あの」


 白熱する双子の喧嘩を、戸惑いを全面に出したミリアが止める。

 はっと顔色を悪くさせたニアが口を噤み、ぷいっとそっぽを向いたシオが腕を組んだ。


「だからニア、早く送ってきなよ。日が完全に暮れると、危ないし」

「あのっ、……わたくし、多分そのネコさんを、捕まえられます」

「え?」


 おずおずと主張したミリアに、ニアとシオが驚く。胸の前で固く手を握ったミリアが、意を決したように声を振り絞った。


「わたくし、……特殊型の魔術を用います」






 ミリアの魔術は召喚術だった。

 異形のものを呼び寄せる手法から、特定のものを呼び寄せる手法まで、様々な種類がある。

 けれども召喚士の全体数は少ないため、細かな性質などについては、未知の部分が大きかった。


 ミリアが呼び寄せた『ネコ』が、わらわらと彼女の周りに集まる。

 その中に双子が探しているネコもおり、さわれないシオに代わり、ニアが目的のネコを抱き上げた。


 術の解除により、ネコたちがゴロゴロ喉を鳴らしながら解散していく。

 ニアの腕にいる、鼻にぶち模様をつけた『モルダくん』もまた、ゴロゴロと喉を鳴らしていた。

 喜び勇んだニアがこのまま依頼主の元まで届けることになり、何度もミリアへ礼を告げて、屋根の上へと消えて行った。


「本当にありがとう、ミリアさん」


 にこにこと微笑むシオが、暗くなった路地を進む。ミリアはシオの袖を掴んでおり、祭りのあとの寂しさのような心地を感じていた。


「……動物は、苦手ですか?」


 ぽつりとミリアが尋ねる。入り組んだ路地は迷路のようで、ミリアにはさっぱり現在地がわからなかった。

 うーん、唸ったシオが顎に手を添える。


「ぼく、攻撃特化型でね、力加減が甘いんだ」


 唐突に始まった脈絡のない話に、ミリアが瞬く。構わず、シオが言葉を繋げた。


「昔、ニアのこと小突いたら、肩を脱臼させちゃったんだ。力なんて全く入れてなかったのに、ふたりでびっくりしちゃって」

「……はあ」

「ジャムの瓶を開けるのが、特に苦手でね。何度握り潰してダメにしちゃったか。ぼくが宮廷魔術師になりたいのも、制御装置をタダでもらえるからなんだ。給料もいいしね」


 けろっとした声で、シオが続ける。


「本当はぼくだって、動物さわりたいよ。もふもふしたい」

「……制御装置、でしたら」

「あー、いいよ。ぼく、別にきみのこと財布にしたいわけじゃないし。ただ、宮廷魔術師っていうくらいだから、さぞかし立派な装置なんだろうなーって」


 ミリアの言葉を遮り、ついた。シオが小さく呟く。

 顔を上げたミリアの前に、夜に沈む大通りが広がっていた。今潜んでいる路地から一歩踏み出せば、彼女の非日常は終わる。


「きみのこと捜して、警察が動いてる。ぼくはここまでしか送れないけど、このまま向こうに行けば大丈夫だよ。今日はありがとう」

「っ、シオ……!」


 シオがミリアの背を押した。たたらを踏んだ彼女が路地から踏み出し、咄嗟に振り返る。

 大通りよりもなお暗い路地の向こうは真っ暗で、彼女は『サンブラノ家の令嬢』の行方を捜索していた警官によって、保護された。


 ミリアが、ニアに被せられたキャスケットを胸に抱く。くたびれた帽子はみすぼらしい。

 彼女は家のものに奪われないよう、鞄の底に隠して持ち帰った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る