本人の知らぬところ
めんどくさいなあ、といった顔で、シオがげんなりする。
彼を取り囲む4人の男子生徒は、一様ににやにやと意地の悪い笑みを浮かべていた。
「よお、シオ。最近ミリア・サンブラノと仲良いんだってぇ?」
「ばか、ニアちゃんの方だろ?」
「あいつ女だろうが」
げらげら、なにがおかしいのか、生徒たちが笑う。
やはり『めんどくさいなあ』といった顔で、シオがため息をついた。彼の態度に、リーダー格の生徒が反応する。
「なんだぁ? その生意気な態度は」
「邪魔。どいてよ」
「庶民の分際で、粋がってんじゃねぇよッ!!」
リーダー格の生徒がシオの胸倉を掴み上げる。背の低い彼は踵を浮かせ、剣呑な目で彼を睨んでいた。
ひくり、男子生徒の口許が引きつる。取り巻きの彼等が、げっと顔をしかめた。
リーダー格の生徒は体格が良い。彼が歪に唇をつり上げる。
「なあ、ニアちゃん、お前の制服着てんだって? お前もニアちゃんの制服着ろよ」
「自分で着たら?」
「ふざけんじゃねぇよ!! 俺のニアちゃん返せよ!! さっさと着やがれえええぇぇッ!!」
めんどくさい!!!!
がくがく男子生徒に胸倉を揺すられながら、シオが苦渋に満ちた顔をした。
忘れてはいけないが、ニアは見た目だけは類稀なる美少女だ。そしてその双子であるシオも、同様に外見が整っている。
ニアがばっさり髪を切り、シオの制服を身につけたその日、それこそ学園は震撼した。
例え庶民といえど、ニアは男子生徒たちのアイドルだった。本人の知らぬところで祭り上げられているそれに、シオは辟易している。
――あのニアだよ? もっと現実をよく見て。あの野生に住まうガサツさと、動じない鋼メンタル。
見た目だけで騙されないで。みんな世を背負う貴族でしょう? 詐欺とか大丈夫? ころっと騙されたりしない? 地主として戦えるの? もっとしっかりして!!
シオの思い空しく、ニアの変貌の皺寄せは、双子の片割れへと向かった。いわゆる八つ当たりである。
あるときはニアに間違えられ、あるときは因縁をつけられる。
こうして喧嘩を売られることも日常的で、それはニアの双子として社会と関わるようになった頃から、シオにつきまとう悩みだった。
世の中には、あんまりにも変わった連中が多過ぎる。
ぼくがニアを守らないと。こんな人たちにニアを任せるなんて、できない……!!
ニアがどことなくお花畑の住人なのは、シオの影ながらの努力と、過激な環境が成し得たものだった。
胸倉を掴んだ手に突き飛ばされ、シオがたたらを踏む。
彼の前に、体格の良い影が立った。
歪に傾げられた首と、逆光が不気味な演出をしている。ぽきぽき、指の関節を鳴らす姿は、どう見てもチンピラだった。
シオを取り囲む他生徒たちの下っ端感も、とてもではないが貴族には見えない。
めんどくさい……。重たくため息をついたシオの耳に、人の声が届いた。
「……そこで何をしている?」
「げっ、キリウス……」
ぴしゃりと冷や水を浴びせたかのような温度の低い声音に、加害者の生徒たちが舌打ちする。
眼鏡を押し上げるキリウスは冷淡な顔をしており、男子生徒たちはぞろぞろと奥まった廊下から出て行った。
「……いい子ちゃんぶりやがって」
去り際にリーダー格の生徒がキリウスへ向かって吐き捨て、廊下に唖然とするシオと、キリウスだけが残される。ぽかん、シオが口を開いた。
「ありがとう、キリウス。助かったよ」
「……っ、つらい、もういやだ、二度と喋りたくない……。僕はただ尋ねただけなのに……ッ」
「きみの心の中の幼女は、とても繊細だね!? だ、大丈夫だよ! 結果としてぼくは助かったんだし、本当にありがとう!」
「すんっ」
両手で顔を覆ったキリウスが、こくりと頷く。
おろおろと両手を上げたシオが、そのまま中庭の方へ指を差した。にっこり、愛くるしい笑みが浮かべられる。
「ほら! 中庭へ行こう? ニアとミリアさんが待ってるよ!」
先に歩き出したシオに従い、キリウスも足を動かす。
シオがキリウスを気にかける理由も、彼が『あんまりにも変わった連中』のひとりだからだった。
*
「ミリアさん! ドーナツのリベンジをさせてください!!」
シオが不良貴族に絡まれている頃、ニアはいつもの中庭で、ミリアを前にしていた。
ニアの頬は真っ赤に染まり、大きな目を潤ませ、言葉尻を震わせている。
男子制服をまとった、少女らしい顔立ちをした線の細い少年。淡い恋物語でも紡ぎそうな見た目だ。
対するベンチに座る少女は、冷たい印象の銀の髪に、冴え冴えとした青の瞳をしていた。
涼しげな面持ちは微動だにせず、冷淡な様子で少年を見上げている。
「……どうぞ」
「やった! えへへ、今朝、トゥルドロが売られてたんです!」
途端、表情を綻ばせたニアが、背に隠していた紙袋を胸の前へ出す。
ニアの眩しい微笑みに、体感温度が二度上がった。あたたかな日差しが差し込む幻覚と、小鳥のさえずりの幻聴が聞こえる。
紙袋を開け、ニアがひとつの包みを取り出す。受け取ったミリアが、不思議そうに包みを見下ろした。
「これは……?」
「太めの棒に生地を巻きつけて、ぐるぐる焼いたパンみたいなお菓子です。焼き上がったら、粉砂糖とかシナモンの上で、ごろごろ転がすんですよー!」
ミリアの隣に座ったニアが、水筒からお茶を注ぎながら説明する。
包みから顔を出したそれは、丸く穴の空いた大き目のパンだった。あまいにおいと小麦の香りがあふれる。
「えっと、今回もまた焼き菓子なんですけど……。また中身がないんですけどっ、味は! とてもおいしいので!!」
ニアが力強く味を保証する。
ひとくち分を千切ろうとしたミリアが、輪のまま解けるトゥルドロに慌てる。ぽろぽろと零れるパン屑に、ニアがおろおろ立ち上がった。
「ミリアさんっ、ハンカチ! ハンカチ使ってください!」
「け、結構です! 持っていますので!」
「俺、二枚持ってるので!!」
「わたくしも、二枚持っています!!」
ミリアのスカートに落ちたパン屑を払おうと、ニアが彼女の前に屈む。びくりと肩を跳ねさせたミリアが、瞬時に立ち上がった。
それに驚いたニアが飛び上がり、さらに驚いたミリアが体勢を崩す。
強かに尻餅をつきそうになった彼女を、ニアが抱き留めた。ぽふん! ミリアの顔に、柔らかな感触が伝わる。
「……え?」
やわらかい? どこが?
疑問に思ったミリアが、顔を上げた。真上に、これ以上赤くなるまい、染まりきった美少女の顔があった。
ミリアが視線を落とす。……胸。トゥルドロを持っていない方の手を、そういえばふくらんでいるようにも見えるそこへ沿わせた。
……やわらかい。
「ふびゃッ」
奇声が上がった。
徐々に状況を汲み取れたらしい。目を見開いたミリアが耳まで真っ赤に染め上げ、音が出そうな勢いで身を離した。
熱を訴える頬を押さえ、彼女がぷるぷる震えるニアから目を逸らす。
「ごっ、ごごご、ごめんなさい!!」
「ひゃ! ひゃい!! ごめ、ごめんなさい!! ミリアさんいいにおいしたとか、思ってません!!」
「そこですか!?」
「あうっ、ふぁーすと、はぐうぅ……ッ」
「ニアッ!?」
ばたーん!! 倒れたニアが目を回す。慌てたミリアが傍らに屈むも、先ほど自身が起こした行動から、手をこまねいた。
――ニアは女の子だったの!?
そんなっ、わたくし女の子の胸に、不躾に触れてしまったの!? な、なんてはしたないことを!!
おろおろとする彼女の元へ、シオとキリウスが到着する。
なんとなく起こった出来事を悟ったシオが、遠い目で半笑いの顔をした。
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