ミリアから見た景色03

 今年の舞踏会用のドレスを前に、ミリアがぼんやりとする。

 深い青色の布を折り重ねた、重厚感のあるドレスだった。

 トルソーの肩はむき出しとなっており、これを着てあの子の前へ出れば、あの子はどんな反応をするのだろう? うすらとミリアは空想した。


 ――ミリアさんでしたら、薄い青も、濃い青も、なんでも似合いそうですね!


 ……今年は、濃い青よ。


 胸中だけで、ミリアが呟く。ニアが浮かべた笑顔が脳裏から消えず、彼女は緩く頭を振った。


 ……あの子にわたくしのドレス姿を見せたら、喜んでくれるのかしら?

 ミリアがじっとドレスを見詰める。苦痛でたまらない舞踏会も、あの子がいれば、きっと心が安らぐでしょう。彼女が短く嘆息した。

 踵を返したミリアが、ドレスを飾る部屋をあとにする。廊下に響いていた喧しい声が、ふつりと途切れた。


「まあっ、ミリア! 陰険な顔で私の前を通らないでと、何度も言っているでしょう!?」


 廊下で遭遇した後妻は、年若い従者を引き連れていた。

 扇子で口許を隠し、嫌悪に顔をしかめる。ミリアを罵った彼女が、甘ったるい声で後ろに控えていた従者へ擦り寄った。

 表情ひとつ変えず、ミリアが顔を伏せる。


「……ごめんなさい」

「やだぁ、こわいわ! さっさと行きなさい! しっ!!」


 扇子で追い立てる仕草をし、ミリアへ向けた形相を、後妻が媚びるものへと変える。

 背後で聞こえる甘えた声や衣擦れの音から逃れるように、ミリアは早足で廊下を突っ切った。自室へ戻り、具合悪そうに両手で顔を覆う。


 呼吸を落ち着けた彼女が、鼻につく香水のにおいを消すよう、窓を開けた。夜風が銀糸を遊ぶ。


「……ミリアさんは、ミリアさん、か……」


 小さく呟いた言葉は、彼女が偶然耳にしたものだった。

 その日のニアは、いつもの時間になっても中庭へ現れなかった。


 ――どうしたのだろう。ついにわたくしに飽きてしまったのかしら。


 何度も浮いては沈む不安に、本の頁も進まない。脳裏が勝手にニアとの記憶を再生する。

 うれしそうに彼女を呼ぶ声まで思い返してしまい、たまらないとばかりにミリアは立ち上がった。


 ――散歩でもすれば、気も紛れるはず!


 一歩踏み出すごとに視界をさ迷わせ、『誰か』の姿を探している。その事実に気づかないよう注意しながら、ミリアは散歩を続けた。

 不意に人の声を聞いたのは、そのときだった。


 ニアの声にも聞こえたそれに、ふらふらとミリアの足が向かう。

 そっと覗き込むと、キリウスを交えて、ニアとニアによく似た男子生徒がたむろしていた。


 ……声などかけられなかった。

 臆病な彼女の心が、膝を抱える彼等へ話しかける言葉を奪った。

 一歩下がったミリアの耳に、「お前、あのサンブラノ家だぞ!?」キリウスの声が届く。

 音が外へ聞こえてしまうそうなほど、ミリアの心臓はどくりと跳ねた。


「どのサンブラノさん!? ミリアさん家って、そんなにすごいの!?」

「当然だろう! すごいの次元が違うんだぞ!?」


 足許が崩れるような感覚とは、このことを指すのだろう。よろめいたミリアが、校舎の壁に手をつく。

 ――ついにあの子に知られてしまった。わたくしの家と、わたくしに纏わる噂も、じきに知られてしまう……ッ。

 血の気を引かせたミリアが、固く目を閉じる。


 ……もうこれで、今後二度とあの子は、わたくしの元を訪れることはない。

 胸にぽかりと穴が空いたような感覚に、彼女は隙間を塞ぐよう胸を押さえた。


 ニアの声が続いたのは、そのあとだった。『ミリアさんはミリアさんだろう?』さも当然といった声だった。

 はっと目を開いたミリアが、口論へと発展していく彼等の声を聞く。

 ふらふら、彼女の足が中庭へ戻った。


 ぺたんといつものベンチに座り、動揺を訴える心情に困惑する。

 彼女は、自身が把握していた以上にニアへ傾向していることに気づいた。

 ニアの言葉をうれしいと思い、ニアの存在に安らいでいることに気づいた。


 もしもこれがニアの策略なのだとすれば、天晴れだ。

 むしろここまで夢を見させてくれたことに、感謝しなければならない。


 ミリアが両手で顔を覆う。

 ――このまま、あの子にわたくしのことを知られないままでいたい。

 けれども、いつか知られる恐怖に耐えられるほど、わたくしは強くない。

 いっそ自分から告白できれば。……そんな度胸など、微塵もないくせに。



 自室の窓から庭を見下ろし、何度も繰り返した思いを反芻する。


 ――あの子の手を取って、踊ることができたなら。


 肌寒さを感じたミリアが、そっと窓を閉めた。

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