第3話

 気付けばあっという間に一ヶ月が過ぎ、黄色に染まった銀杏並木が描かれた11月のカレンダーが、まだ壁に掛かったままだった。出勤前だったが、急いで最後の一枚を剥がす。


 暖色系の電飾に照らされた街と、雪のちらつく景色が描かれたこの月のカレンダーが表れる。

 煉瓦が敷き詰められた広場の中心に大きなモミの木のツリーが描かれている。そのツリーの周りにはクリスマスプレゼントの箱を抱え慌ただしく家路に急ぐ人や、家族でツリーを見上げている幸せそうな表情の人々が描かれていて、12月らしい定番の要素が詰まった絵だ。

 近ごろ人気が出始めた現代アート作家の話題商品として、よく行く書店の店頭レジ手前にこの12月の絵といくつかの月の絵が並んでいた。レジに並ぼうとしていた僕は何故かこの絵の前で立ち止まってしまい、即買いしてしまった。例年なら、予定が書ける日付だけのシンプルなものを選ぶはずなのに……。


 今も憧れを抱き続けているのだろうか──。

 この絵のような穏やかで『普通』の幸せな家族というものに──。もう、決して戻ることもない、変えることも出来ない過去だというのに……。


「もう、この絵を観る時期になったのか……。」




 ────アパートを出ると、紺のウールのトレンチコートでも寒さを感じるくらい、今日は空気や風が冷たい。直ぐに手袋とマフラーを着けながら、風を切るように早足で駅へと急ぐ。


 定刻通り電車はホームに止まり、寒暖差で車内の窓も曇っている。


 車内は朝のラッシュで、いつものようにギュウギュウと奥へと押し込まれる。電車に揺られながら、視線の先の中吊り広告、出入口上部の液晶パネルなどに自然と目がいく。ここでも12月らしくクリスマスや旅行に関する内容が、目につくレイアウトで並んでいる。

「今年の年末年始はどうするかな……」

ふと、心の中で呟いていた。



 いつもの駅に着き、押し込められた乗客がドッとホームへ流れ出る。

「ふぅー……、」

自然と漏れ出た言葉とともに、駅の改札口へ向かう。


 改札を出ると、ふと後ろから聞き慣れた声で自分の名前が呼ばれた。同僚の本田だ。


 本田は大学から一緒で、僕とは全く正反対のキャラと言っていいくらいタイプが違う。でも、そこが良かったのか、本田とはつるむことが多く、ゼミも同じで、就職先も別に一緒にしたつもりはなかったけれど、結果同じ法人にエントリーしていた。ただ、本田は内科系での相談員を希望していたから所属部署は違ったけれど…。

 父親は行政職で役職のある仕事をしていて、母親も行政の保健師という、僕からするとエリートな家系に生まれ、なるべくしてこの仕事に着いたって印象だ。話術も長け、同い年だけど今年からは副主任という役職がつき、法人内でも出世コースの道を歩んでいる。去年は一つ年下の看護師の女子と結婚し、プライベートも充実と羨ましい限りの人物である。


「よぉ、お早う!」手を挙げながら本田が歩いてくる。

「お早う。 珍しいね、この時間の電車で会うの。」

「あぁ、今日は会議の資料の準備もあって、少し早く家を出たんだよ。飯田は相変わらず忙しそうだな。」

「そうかな、本田のほうが忙しいだろ。身体科と比べたら退院支援の多忙さが違うよ。ただこの時期は、精神科も入院支援や外来が増えるけどね。」

「昨日も外来混んでたの見たよ。年末年始は病院も休みとかあるからな、こっちの部署も忙しいよ。」

「本田の部署はいつも忙しいようにしか見えないけど……。僕はやっぱりこっちの部署の方がいいかな。」

「そうか……。まぁ、でも定期的に異動があるから、お互い部署が交代することも今後無いこともないさ。

 そういえば、飯田は今年の年末年始の予定はもう、入ってる? それとも実家に帰るのか?」

「うーん、ちょうど今朝それ考えていたところ。でも多分今年も帰らないかな。」

「ふーん、そうか……。」少し間を置いて本田が話しを続ける。

「実はさ、年末に櫻井先生も呼んで、ゼミで久しぶりに集まらないかって話しがあるんだけど、飯田も来ないか?」

「櫻井先生かぁ……、久々だね。」


──櫻井先生は大学のときに所属していたゼミの先生のことで、自分がこの分野の仕事に就いたきっかけを与えてくれた人でもある。


「だろ?」

「本田は予定大丈夫なの? まだ、新婚だろ。」

「あぁ、年始に二人でかみさんの実家に行く予定だから年末は空いてるんだ。」

「へぇ……。三重だっけ?」

「そう、初詣に伊勢神宮。志摩も時間があれば周ってきたいかな。いいだろ? 飯田も行ってみたいって言ってたからさ!」本田が羨ましいだろう、と言わんばかりの表情で言ってくる。

「あ~、先超されたな。」

「へへっ。」と人差し指で鼻をさすりながら本田は言った。

先を越された僕も悔しいので負けずに言葉を返すことにした。

「お土産よろしくね。えーと、伊勢うどんと伊勢エビと、あと何だっけなぁ~。」

「えっ!伊勢エビ?! お土産として高くない?それ。第一、生ものだから、直ぐ渡せないし! 俺の食レポでもいい? 写真付きで送るからさぁ~、飛びきりの良い写真でっ!」

「飛びきりの写真? 何それ、ははっ!」


 相変わらず本田はいつも明るい。でもって、そういう本田にいつも僕は刺激を受け、物の考えかたや感じかたを変えてもらってきた気がしている。大学からの短い付き合いではあるが、本田が落ち込んだり考え過ぎる、ということもあまり見たことがない。唯一見たのは、大学の時に三年くらい付き合っていた彼女と別れた時くらいだ。あの時はこれまで見たことがないっていうくらい、元気のない本田で、さすがの僕も心配した。でも、しばらくして気持ちの整理がついた頃には、いつもの本田に戻っていった。

 元々、そういう朗らかな性格なんだろうし、そういうふうに育つ環境もベースにあるんだろうな。僕もそういう環境なら、違った性格だったのかな……、いや、それはないな。


「ところでさ、新しく入った人はどういう感じの人?」

「えっ。あぁ、原さんのこと?」

「そうそう。まぁ、この仕事は時々社会人で資格取得して仕事始める人もいるから珍しいことでもないけどね。でも、精神科経験無しでの希望は珍しいって、秋川主任が言ってたからさ。ちょっと気になってね。秋川主任も、精神は未経験だから身体科は忙しいけれども始めはこっちの部署での経験を重ねてからでもって勧めたみたいだけど、彼女も精神科で経験積みたくて思い切って前のところを辞めて転職したらしくて。本人の強い希望じゃなければ、相談員の経験もあったからこっちの部署で採用したかったみたいで。」

「へぇ、そうなんだ。秋川主任がそういうふうに言うのも珍しいね。」

「そうなんだよな。結構主任って採用選考厳しいからさ。主任からそこまで勧めたのって記憶に無いからさ。」


「ふぅん、そっか。そうだなぁ……、まだ一ヶ月だし僕もまだそんなに原さんのことをどうこう言える感じでもないけど…。そうだな、秋川主任も自分の部署を勧めたっていうだけに、確かに相談員としての対応能力は高いかな、センスが良いっていうか、この仕事がほんとに向いてるな、と。あとは、年齢もあるかも知れないけれど相談しやすい雰囲気とか。あとは……、精神科は患者さんが精神症状が悪い状態で初めて受診する時は、家族もピリピリして緊張感ある場面に立ち会うことが多いけれど、そういう時でもこの分野ほんとに初めてなのかなって思うくらい冷静に応じているところが、ちょっと驚いたかな。」

「へぇ……。結構初めはそういう場面って冷静さ保つの大変だよな。いつも冷静な飯田でも動揺するんだって、異動したばかりの頃の飯田見て初めて俺そう感じたくらいだし。」

「そうなんだよねぇ……。えっ!?というか、本田は僕のことそういうふうに思っていたの?」

「えー、今更~? だって、飯田って大学のときからほんっと、取り乱すなんてこと見せたことないからさぁ。」

「そう? あったと思うけど……。忘れているだけだよ。ひどいなぁ。」

「そうか??」


 

 そんな感じで、久しぶりに二人で雑談をしながら歩いていたら、職場の正門まで来ていた。


「じゃぁ、ここで。今日は飯田にちょうどタイミング良く会えて良かったよ。とりあえず年末の予定考えておいてよ!」

「分かった。多分行けると思うから。また、連絡入れるよ。」


 




 

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