Lost Note:00 成美の話

「……なんですか、それ」

 

 それは昔――まだヤオが『暗幕エクリプス』に入る前、とある施設にいた時。

 当時のヤオは大人から毎日与えられる、色々な絵本が好きだった。

 だってそれは――まぁ、たまに例外もあったけれど――基本的にハッピーエンドだったから。不幸を振り撒く悪役は滅ぼされ、主人公たちは幸福の下に全てを終える。約束された幸せの物語は、ヤオの人生基盤を組み立て、同時に幸福論の礎になった。

 今でも信じている。自分の果てに待つものは、なのだと。

 それを届けてくれる存在は、大抵天上の使いだったりして。

 目を潰さんばかりの後光を背負いながら、輝く翼を空に羽ばたかせた。

「まるで天使様じゃないですか」

 

 ちょうど目の前にいる少女と同じような、姿をしているのだ。

 背中から噴水のように極光を噴き出しながら、こちらを睨む彼女と。


「――――」

 辛うじて言葉として成立していたのは、最初の警告だけ。

 玉虫色の双眸で見ながら、ナルが紡ぐのは最早言語ではなかった。

「……っ!」

 再び距離を取り様子を伺う。まともじゃないことくらい見れば解る。

 手加減をした自覚はヤオにもあった。元々できれば殺すな、という指示を受けていたし、身動きが取れなくなる程度の毒を処方した――だが。

 

 ましてや、こんなにあっさり状況を覆せる余力を与えた覚えなど。

「――――」

「――え?」

 気が付けばもう彼女はヤオの目の前にいた。

 どうして、とヤオが考えるより先に、ナルの指が彼女の胸に触れる。いや、それは触れるというより、軽く撫でる程度の力加減。普通の状況であれば気にもしない――だが今の状況を普通だと、いったい誰が言えるだろう。

 咄嗟にその手を払い除ける判断ができたのは。

 それだけの冷静さがまだヤオに、欠片でも残っていたのは奇跡に近かった。

「――アグァッ!?」


 瞬間、ヤオの心臓の鼓動が一瞬止んだ。

 比喩でもなんでもなく――ちょうどナルだった者の指が触れた直下、皮膚と肉と肋骨に守られているはずの心臓が、強制的に止められたのだ。


「ァ……ハッ、ハッ、ハッ……!?」

 やられたことは単純――体内で念動能力サイコキネシスを炸裂させられた、ただそれだけ。

 殺意すら感じさせない、それは純粋な行動でしかなかった。

 ただ純粋に、いとも容易く、ヤオの生命活動を停止させようとした。

「ハッ……ハッ……――うぇへへっ!」

 今更になって溢れ出す、殺されかけた実感が頬を伝う。

 脂汗となって、涙となって、生きている悦びと共に。

「ピンチですね! でもヤオは諦めませんよ――だってそうでしょう? 困難の数が、不幸の数が多ければ多いほど、手に入れられる幸せの量は多くなるんですから!」

 道具の入った鞄を吹っ飛ばされ、利き腕が機能不全に陥った――だからどうした。

 ピンチなんていつだって乗り切ってきた。その先に幸せがあるのだから。

 左腕はまだ動く。ポケットの中にはスーパーボールがいくつか残っている。

 いや、触ればいい以上、この世界の全てがヤオの得物だ。

 それに目の前に天使様がいるのに――どうして幸せを諦められよう。

「全部、全部ヤオのものです。ヤオが奪うんです。あなたを倒して手に入れます。奪われるのはあなたです!」

 ジッと見つめる玉虫色の瞳を、負けじと竜胆色の瞳で見つめ返す。

 あんな自由意志の無い――人形みたいな瞳に、奪われるわけにはいかない。


「幸せになるのは、ヤオなのです!」


 ポケットに突っ込もうとした左手が、それより先にペシャンコにされても。

 駆け出そうとした脚が、雑巾を絞るみたいに圧縮されても。

 それでも跳びかかる――何はできずとも、それが正しいと信じていた。

 

 触れる寸前、転移能力で上空に飛ばされて。

 そのまま念動で地面に叩き落され、意識を失うまで。


「な、る……」


 朦朧とする意識の中、タミは彼女の名前を呼ぶ。

 極光の翼に包み込まれて、微睡みそうになるのを必死で堪えながら。

 彼女を繋ぎ留めるように――あちら側に行ってしまわないように。

「――――」

 彼女も返事こそ寄越さなかったが、その表情は微かに微笑んでいるように見えた。

 けれどタミは知っている――その微笑みも反射のようなものに過ぎない。そこにナルとしての意識はなく、ただ身体が覚えているだけなのだ。

「――――」

 耳を澄ますと聴こえる、思わず塞ぎたくなる暴力の音。

 人に降りかかっていい音じゃない――これは肉塊を打つ音だ。

 極光の翼が念動や発火の複合能力となって、ヤオを痛めつけている音だった。

 もはや彼女は人を攻撃している感覚にないのだろう。

 ただ目の前の障害の排除――それだけを理念に動く、機械になりつつある。

「ダメ、だよ……ナル……!」

 暴走、という言葉で片づけるには軽すぎる、それはむしろ覚醒。

 サイキックが世界に発現する過程で、一瞬だけ繋がるに、常に接続している状態――詳しいことはわからないけれど、鎹博士曰く、兵器としてのサイキックが目指すべき頂点。

 一種の進化であり、博士が目指したある種の到達点。

 そこに今のナルはいて――だけど。


「そこはナルの……いていい場所じゃない……!」


 だけど、そんな進化は望んじゃいない。

 願い続けたのは、ただありふれた等身大の幸せ。

 不器用だけど優しくて。不愛想だけど心があって。

 決して今の――本当に空っぽな姿なんかじゃない。

 

 ナルだった者は、まだ能力でヤオを殴り続けている。

 そんなことは本来あり得ない――文字通り一捻りすれば、彼女の命など簡単にこの世界から摘み出せることを、解っていないはずがないのだから。

 痛めつけ続けているのは、まだ微かにナルの残滓があるから。さっきまで自分がされていた様々な痛みや屈辱、その恨みを無意識に晴らそうとしているのだ。


 完全に消え去ってはいない――まだ、取り戻せる。


「戻ってきて……ナル……!」

 兵器にも、化け物にも、人殺しにもさせてたまるか。

 隠していた無痛注射器を取り出し、最後の力を振り絞る。


 そうだ、最初から――あたしはその為に、ここに来たんだ。

 

「――――」

 

 あぁ――私が消えていく。


 写真を燃やすように、ハンマーで粉々に砕くように。

 私を私として形作っていた記憶が。大切な思い出が。

 名前も、顔も、声も薄れていく――だけど構うものか。

 私が守る。私が守る。私が守る。私が守る。私が守る。

 あの子の笑顔を、あの子の願いを、あの子の最期を。

 誰にも邪魔はさせない。阻む者は全て潰す。遮る物は全て壊す。

 その為にどれだけ消耗したって――後悔なんてあるわけがない。

 

「――――」

 綺麗な光の奔流が、あの子を泣かせた邪魔者をグチャグチャにする。

 腕、足、指先、胴体――次はどこを壊そう。どこを潰そう。

 どれだけ痛めつけても足りない。こいつだけは許せない。

 音はまだ聴こえる。随分と小さく、弱弱しくなっているけれど。

 聴こえなくなるまでもう少し。あと少し、力を加えればいい。

 今なら何でもできる気がするのだ。何にでもなれる気がするのだ。

 だから、コレを完全に黙らせたら、次は――あれ?


 次は何をすればいいんだっけ?

 何をしようとしたんだっけ?

 何のために私はここにいるんだっけ?

 そもそも――


 思い出せない。けど、それでもいい気がした。

 きっと私はそう望んだから。

 きっと私がそう望んだから。

 願いの赴くまま、この光をぶつければ、それで――


「駄目だよ、ナル」

 

 その時ふと、首筋のあたりに何かが触れた気がした。

 それと同時に、後ろから抱擁される感覚――あぁ、この温もりは。

「――た、み?」

「確かにそっちには、悲しみも苦しみも無いかもしれない……けど喜びだって、きっと無いから」

 だからそっちに行っちゃ、ダメなんだよ。

 首筋はひやりと冷たく、なのに抱きしめる彼女の体は熱く。

 頭の中を支配していた万能感が消え去り、代わりに猛烈な眠気が襲い掛かって。


 ここで眠るわけにはいかない――寝たら誰がタミを守る。

 私にしかできないこと、私だからできることを、ちゃんと――


「もう、おやすみ」

 そのとき見つけた、タミの手に握られた無痛注射器の中身は空っぽで。

 だから私は全てを察して――なのに静かに崩れ、彼女ともつれるように倒れこむ。

 毒に侵され、自身の能力に侵され、それでもタミは笑っていて。

「どう、して……タミ……」

「……どうしてだろうね」

 握り合う手だけが、確かな標だというのなら。

 今ここで眠ってしまったら、もう二度と会えない気がした。

「わかんないけど……あたしはずっと、こうしたかったんだ……」

「嫌……だって、私たちは、二人で……」

 一緒に世界を見ようって――隣に寝そべるタミが、小さく、けれどしっかりと頭を横に振った。

 そのとき私は、今更になって初めて気付いたのだ。

 タミが本当に目指した幸せな結末に――彼女自身は含まれていないのだと。

「ズルい……ズルい、タミ……! そんなの、あなたが一番……!」

「ううん……これでいいんだよ、だって――」


 そんな結末、果たして誰が報われるというのか。

 辛くて悲しい――それすらもわからなくなる結末で。

 少なくとも一番報われないはずの少女は、けれど笑顔で言うのだ。


「だってあたしは――世界で一番幸せな女の子だから」


 彼女の言葉が、優しく圧し掛かるように響くから。

 翼が光の粒子となって散って、私たちに降り注ぐから。

 まるで幻想の中にいるみたいで――錯覚してしまいそうになる。

 ここがゴールだと。ここが終点だと。ここがエンディングだと。


 私達が目指した世界の果ては。

 彼女を連れていきたかったのは、決してこんな場所じゃなかったのに。


「違う――私は、こんなことをしてほしかったわけ、じゃ――」

 

 闇に沈む意識と、暗闇に染まる視界が最後に認識したのは。

 相も変わらず、ふにゃりと笑う彼女の――あぁ、もう。

 

「さよなら、ナル――ずっとずっと、大好きだよ」


 もう、あなたの名前も、思い出せない――――


「……そういうこと、だったの」

 

 気が付くと世界は、真っ暗な夜に空を進めていた。

 否、進んだのは空だけでなく、時すらも三年間。

 結局この菩提樹の下にある墓が全てだ――私が失った音の墓がここにある、それが結末であることを改めて、自分の記憶として追体験しただけだ。


 もう後戻りできない。もうどうしようもない。もう取り返しがつかない。

 ただそれを思い知っただけだ。のうのうと生きてきた、この世界で。


 シズは何も言わない。私の後ろに立って、どこを見ているのかもわからない。

「……」

「そう……結局私は……」

 さよなら、さえ言えないまま。

 彼女の最期を看取ることもできないまま。

 自由な世界に連れ出すことすら叶わないまま。


「私は――


 記憶も、願いも、約束も、タミ自身も。

 全部を守ろうとして、全部を失った。私の命だけを残して。

 

 木組みの十字架と置かれた石に温度はなかった。

 当たり前だ――そこにタミがいるはずもない。


 だからもう、この話はおしまいなのだ。

 なんともつまらない滑稽な物語は、もうとっくに。

 私の知らないところで――たった一人の少女の、命と引き換えに。


「おはよう」


 目を覚ました私の挨拶は、誰もいないリビングに吸い込まれて消える。

 静寂の支配する空間に、昨晩の食器が突っ込まれたままの流し台と、何も置かれていないテーブル。朝御飯を用意してくれる人がいなくなって、彼らも朝の仕事を失っているのだ。

 少し前までテーブルに置いていた、小さな鉢植えの花は枯れてしまった。水をやっていたシズがいなくなって、気が付けば花弁一つない茶色が虚しく、土に横たわっていた。

 せっかく花をつけた庭の竜胆も――いや、そっちは私が枯らした。

 やっぱり私には花を育てることすら、まともにできないらしい。

 

 あの夜――記憶を取り戻して一か月経った今、私は一人ぼっちになった。

 次の日の朝、目を覚ました私を待っていたのは静寂と、久しい孤独。

 シズはいなくなっていた――置手紙一つ残さず。

 だから嫌でも悟ってしまう。


 きっともう、シズは二度と帰ってこない。

 たった一人の墓守として。タミの遺志を継ぐメッセンジャーとして。

 その務めを果たした彼女が、わざわざ大嫌いな私の傍に控える理由は――もう、なくなったのだから。

 

 三年前、私が意識を失ってから起こったことは非常に簡潔だった。

 どこかの誰かの通報で出動した、鎹榛名率いるサイクロポリス治安維持局サイキック特別対策部隊が捜索の末発見したのは、瀕死の少女三人――同時に山の中に秘匿されていた実験施設を強襲し、これを制圧。

 施設の責任者は逮捕された後に『暗幕エクリプス』へ。

 子供たちはそれぞれ保護を申し出た施設に引き取られ、そして様々な、けれどを迎えることとなった。私とタミ、そしてシズ以外は全て。


 これらの記録と、そしてタミが持っていた記憶を私に引き継いで、シズは私のもとを去ってしまい――そして私だけが今日も一人、サイクロポリスの表を生きている。


「……行ってきます」

 私以外の人間がいなくなった以上、返事が来ないことはわかっている。

 だけど、いつか誰かが返事をくれることを期待して、口に出してしまうのはきっと祈りだ――戻れない時間に、戻らない人に捧げる、あるいは鎮魂の祈り。

 虚しさだけが降り積もる日々。それでも私は生きなければならない。

 それがタミと交わした、私が唯一果たせる約束だから。

 一人の少女として――槇成美まきなるみとして、この世界を生きることが。

 

 シズはいなくなった。

 先生とは連絡が取れない。

 博士と会うこともなくなった。

 そしてタミはもう、思い出の中にしかいない。


 それでもサイクロポリスは、今日も呼吸を繰り返す。

 いや、サイクロポリスだけではなく、世界そのものだって。

 時間の止まった私を置き去りに――ただひたすらに時を刻み続ける。


「タミ――私は頑張って、生きるから」


 見上げた空に零した呟きは、そのまま私の顔に落下した。

 今日も、明日も、明後日も、一週間後も、一か月後も、一年後も。

 彼女の願いを背負って、彼女の祈った人生を、きっと私は歩み続ける。

 取り戻す術も知らないまま――取り戻すこともできないまま。


 表と裏に唯一分け隔てない空の下。

 優しく温かい音は、もう聴こえない。

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