Lost Note:05 タミの話
『やっと、見つけたぞ――タミ』
なんて寂しい部屋、と私は思った。
壁も天井も真っ白で、骨で作られたような伽藍洞。可愛げのない鳴き声を上げる筐体と、それから伸びるコードに繋がれて――知らない微笑みを浮かべる彼女が、確かにベッドの上にいた。
『――シズ、だよね』
『あぁ……そうだよ……』
最後に見た時よりかなり伸びた髪は、しかし艶には程遠い、木材の千切りみたいな。
丸顔は面影もないほど痩せ細り、腕は摘まんだだけでへし折れそうな。
光の宿らない焦げ茶の瞳が私を見据えて――いや、きっと視えてすらいないのだろう。焦点の定まらない瞳は、辛うじて真っ白な部屋に侵入した影だけを捉えている。
まるで死人だ――かつて一緒に笑い合った彼女に。
久々に再開した彼女に、そうとしか思えないのが、ひどく悲しかった。
『……旧知というから特別待遇だ。だがあまり無理をさせるなよ。やれることは全てやったが――何事にも限界はある、ということだ。まったく……マギの馬鹿が、俺に頭なんて下げるから、おかしいとは思ったんだ』
私をこの部屋に案内したサイクロポリスの科学者――そして全ての始まりであり、博士の因縁、
口は悪かったが、きっと彼女なりに気を遣ったのだろうということは伝わってきて、むしろ何故博士があぁも彼女を目の敵にしていたのか、私にはさっぱり分からなくなった。
無機質な電子音が鳴り響く中、私はタミと二人きりになって。
言いたかったことは山ほどあるのに――なぜか一言も、口から出てくれない。
『――ナルは』
元気にしてるかな、と最初に口を開いたのはタミだった。
自身が死の淵にあることを理解していないはずがないのに、最初に出てくるのが彼女の心配なのかと、拳を強く握り締めながら、私は精一杯の明るい声で答える。
『元気だよ。最近は表の生活にも慣れてきたってさ』
『あたしのこと、ちゃんと覚えてる?』
『当たり前だろ。ナルがお前のこと、忘れるわけない』
しかしタミはクスクスと笑って、どこまでも優しく微笑みながら、
『相変わらず、嘘が下手くそなんだね』
『……っ!』
嘘の上手さには自信があった――それでナルを出し抜いたことは何度もあるし、私のサイキックの都合的にも、『
『そっかぁ……やっぱりあたしのこと、全部忘れちゃってるか……』
『でも、覚えてることはあるんだ! 些細なこととか、それこそお前の音とか――全部忘れたわけじゃない! まだナルの中から、タミの存在は消えてない!』
だから私はずっと探していたのだ。
この一年間、施設にいた子供たちの、その後の消息を。
『ここから出よう、タミ――残りどんな短い時間でもいいんだ。また三人で楽しく、仲良く過ごそう。やりたかったこと、できなかったこと全部やって、そしたらナルだってお前のこと思い出すかもしれないんだ』
施設にいた子供達の末路は、それはもうほとんどが決まり切っていて。
処分、死亡、死亡、処分――うんざりする情報に毎度溜息を吐いて、それでも誰か生き残っている者はいないのか、必死で探し続けて。
やっとこの鎹榛名のラボに、しかもタミが生きているという事実を掴んだ。
どういう因果や繋がりがあれば、あの鎹榛名の元に転がりこめるのかは分からないけれど――そんなモノが気にならなくなるくらい、初めて私は報われた気がしたのに。
暗闇の中で、ようやく差した光は――けれど今にも消えそうな灯火だった。
『一緒にいようよ……私もこれで、結構キテるんだ。ナルは記憶喪失だし、皆死んじゃって、バラバラになって、やっとお前を見つけたと思ったら、このザマで……だから、せめて最期だけでも、一緒にいてくれよ』
何も無い部屋に、私の声はよく響く。
卑怯な自覚はあった――ナルをダシにして、確かな繋がりを求めているだけだ。
でも、こうでもしないと、潰れてしまいそうだった。
ナルの記憶は消えて、他のみんなはいなくなって。
唯一同じ時間を共有したタミは、もう間もなくこの世から去ってしまう。
何が悪かったのだろう。私が何をしたというのだろう。
こんな世界で――たった一つ救いを求めることが、間違いだとでも言うのか。
けれど沈黙の後、タミは大きく息を一つ吐いて、ふにゃりと私に笑いかけた。
『無理、かな』
『どうして!? お前だってそうだ! そんなボロボロになってでも、ナルにもう一度会いたいんじゃないのか!? その為に今日まで、生き永らえたんじゃないのか!?』
『うん……だけど、ナルはもう、あたしのこと忘れちゃってるから』
『それが何だって言うんだ! 無くなったのなら、また一から作り直せばいい! そうじゃないと……お前が何の為にこんなになったのか、分からないじゃないか!』
『……優しいけど、やっぱり嘘吐きだね、シズは』
『……っ!』
だってそれはシズの望みでしょ――無意識に取り繕った欲望ですら、見透かして彼女は笑うのだ。私の想いも、何もかも知った上で、絶対に動くつもりがないことを、こうもはっきりと私に告げる。
『……ねぇ、シズ。一つだけお願い、聞いてくれるかな』
『……私にできることだったら』
『あたしが死んだら、ナルをあの場所に連れて行ってあげて』
あの場所――それはきっと、私達が生まれた場所。
全てが始まって、今は何も残っていない、施設の跡地。
『条件は、それで揃うはずだから……あたしが持つ本来のサイキックが、きっとナルの記憶を全部、再生させると思うから……あたしが死ぬまでは、今のまま、ナルを見守ってあげて』
『――そこまでして、どうして自分で果たさないんだ』
最愛の人に忘れられたまま、彼女はこの世に別れを告げる。
全てを思い出せた頃には、同時に全てが手遅れなのだと理解させる為に。
これではまるで呪いだ――ナルもタミも、誰も報われない。
『そんなモノがお前の望みなのか?』
『……あたしの頭、触ってみて』
シズならそれで全部解ると思うから。
そう言って目を閉じた、タミの頭に恐る恐る触れた。
記憶を覗く、私のサイキック――『
『――ッ!?』
そして私は、思わず尻もちを着いた。
流れ込んできたのは、圧倒的で膨大な情報――およそ一回の人生で寄せ集められるとは思えない、輝く記憶の奔流に、私は唖然としてタミを見上げるしかなかった。
『お前、これは……!』
『……ごめんね、そういうことなの』
『これだけの記憶、いったい何回繰り返せば……!』
『三百八十三――ここまでして、ようやく掴んだ最後のチャンスだから』
だから失敗するわけにはいかない、と酷く悲痛な表情で。
それほどまでに彼女が、ナルのことを想っている事実に、私は思わず。
『なら、じゃあ尚更――お前が幸せにならなくてどうするんだよ!』
『……あたしはもう、十分幸せだよ』
こんな何も無い部屋で、人知れず生涯を終わらせようとしている彼女が。
『好きな人が生き延びて……親友にも恵まれて……』
焦点の定まらない瞳で、虚空に向かって吐き出す言葉が。
『うん……後悔とか、不幸とか……あるわけ』
『嘘を吐くなぁっ!』
本当の言葉でないことくらい――心を読めずとも、分かり切っている。
『こんな記憶見せておいて、私に嘘が吐けると思うんじゃない! これは、お前の欲しかったそのものじゃないか! どうして取り繕うとするんだ! ナルに会いたいのも、ナルと一緒に生きていたいのも――全部、全部お前の願いだろうが!』
それは三百八十三回分の出会いと、三百八十二回分の絶望の記憶だった。
ある時は兵器に、ある時は屍に、ある時は世界の敵に。
成り果てる運命にあった存在を、ただの不器用なサイキックでしかなかった彼女が、救おうと足掻いた秘録だった。
誰にも認識されず、誰にも忘れ去られていく――確かに在った世界の記憶だった。
だからこそ私は叫んだ。こんな結末が、彼女の本当の願いであるはずがない。
『このまま忘れ去られて……何が幸せだって言うんだ……!』
『……だって、言えないよ』
ふにゃりとした笑みを崩さぬまま、その声は震えを帯びて。
光の消えた瞳から、ボロボロと大粒の涙を零しながら、タミは呟いた。
『もうすぐ死んじゃうのに――愛してほしい、なんて言えないよ』
もう、何も言えなかった。
ただ呪うしかなかった――世界が与えた運命と、それを覆そうとした結末を。
何もできない、してあげられない、私自身の無力を。
『……だからね、シズ。最期のお願いを果たすかは、シズが決めてほしい』
弱々しく、タミの手が私の手を握る。
温度の低い手の平が、私を泣かせようと胸を突き刺す。
『もしナルが、このまま何もかも忘れて、幸せそうに生きていられるなら……その時はもう、あたしのことなんか忘れさせておいてあげて……ちょっぴり寂しいけど、過去に縛られるより、今を生きてほしいから……ね、約束して』
『……本当に、それでいいのか』
『良くはないけど――あたしはその為に、何度も繰り返してきたんだもん』
そして数日後、タミが息を引き取ったと、鎹博士から連絡があった。
眠るように旅立った彼女は、きっと幸せな夢を見ながら逝ったはずだ、と。
それから二年経つけれど、私はナルをあの場所に連れていかなかった。
予想以上にタミの影は濃くて、故に真実を知ればナルは生きる気を失くしてしまいそうで――いや、こんなものは言い訳だと、私自身気付いている。
羨ましくて、恨めしかっただけだ。
彼女にとって、ただ唯一だったナルのことが。
†
「ただいま――って、あれ?」
随分と聞き覚えのある声が、今日だけはまるで偽物のように聴こえた。
私の耳が変わって、視る目が変わってしまったからだ――博士のことを全て信用しているわけではないけれど、嘘を吐く人ではないということは、なんとなく解っている。
「珍しいな、この時間に家にいるなんて……あ、さては学校サボったな?」
太陽がもう少しで頂点に位置する時間より少し前――しかも平日に、ただの学生が家にいればサボりを疑われるのも当然だろう。
彼女の顔を見ないように、耳だけは声の全てに意識を集中させて。
「……お帰り、シズ」
「どうしたんだよ、サボりなんて。何か嫌なことでもあったのか?」
あぁ――気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い――どうしてヘラヘラと笑っていられるのか理解できない。私を騙して、ずっと嘘を吐き続けていた人間が。
私が探していた存在のことを、本当は随分前に知っていたらしい人間が。
何を想ってそれを隠していたのか――全く理解できなくて、気持ち悪い。
「嫌なことがあった。つい四日ほど前に」
「……いじめか? 私でよければ、相談の一つくらい――」
「――ッ!」
我慢はできなかった。
振り向きざまに、彼女目がけてサイコキネシスを放つ――油断していたからなのか、仕事で疲れていたからかは分からないけれど、シズは対応一つできず、空中に身体を固定される。
「ぐっ……がぁ……!?」
「ねぇ、どうしてこんなことされるか、心当たりはないの」
驚愕に見開かれた瞳が、理不尽を訴えているようで、更に気に食わない。
シズは知らないし、想定すらしていないのだ。私が真実に触れたこと――彼女が家にいない間に、博士に詳細な情報を貰っていたことを。
「何も、心当たりがないの」
「……!」
涙目になりながら、コクコクと頷く彼女の首に掛ける力を強める。
そんな可哀想な呻き声をあげて、必死に手足を動かそうともがいても無駄だ――私にサイキックで勝てるものか。シズのサイキックは戦闘向けじゃないし、どれだけ『
冷静じゃない自覚はある。
冷静になどなれるはずがない。
私がどれだけタミのことを探してきたのか――他ならぬ彼女が。
シズが一番、よく知っているはずなのに。
「……今から二年前、サイクロポリスのとある研究所で一人の死人が出た」
「……!?」
「とある施設にいた研究個体で、衰弱も激しかった彼女は、死ぬ数日前に旧友と会話を交わし、そして死んだ……! 個体の名称はタミ……最後に彼女にあった旧友は……!」
首を絞める力が強まっていく。全身の骨が軋む、嫌な音がいよいよ届き始める。
だけど、許さない。許すはずがない。許せるものか。
「音が乱れているぞ……! やっぱり知っていたんだな……! 何も知らないふりをして、ずっと私のことを騙していたんだな……! この嘘吐きが!」
お前はどうして、それを知っておきながら、私に笑顔を向けられたんだ。
何を想って、協力するなんて言葉を吐けたんだ。
どうしてそんな大切なことを――私のサイキックを欺いてまで、黙り続けたんだ。
「シズのことしか、信じられなかったのに……! その信用すら利用したんだな……! 必死でタミを探す私を、お前は! 全部知っていたくせに!」
「くぁ……ぁ」
音が弱まってきたのを察知して、私は叩きつけるように彼女を落とした。
激しく咳こみ、肩で息をしながら、シズは私を怯えた目で見上げる。
手の平を向け、いつでもサイキックを発動できることを無言で伝えつつ、
「……もう嘘は吐かないで、シズ。あなたがどれだけ術を心得ていようと、私には二度と通じない。殺すことはできないけど――それでも、再起不能にするくらいなら、私にもできる」
「……分かった」
それでも素早く落ち着いた彼女に、今度は私が言葉に詰まる。
これを訊けば、これを明らかにしてしまえば――全部終わってしまう。
でも訊かなければ。知らなければ。受け入れなければ。
私の愛した彼女が、何故死んだのかを、ちゃんと。
「タミはもう、死んでいるのね」
「……死んだよ、二年ほど前に」
「――そう」
意外なほどあっさりと、その真実は私を突き刺した。
まったく痛くないのは、きっとタミの幻影しか知らないからだ。
「そう、なのね」
痛くないし、辛くもない。これといって特別なことを、何も感じない。
けれど突き出した掌は垂れて、その場に立っていることもできなくなった。
「ナルっ!」
崩れ落ちる私の身体を、シズが慌てて支える。
さっきまで痛みつけられていたのに、どうして優しくするのだろう。
「落ち着け――こんなところで終わっちゃ――」
シズの声が遠くに聴こえる。霧がかかったみたいに視界が白くなる。
私を導いてくれるはずの音。ずっと鳴り響いていた音も、何も聴こえない。
解らない。もう、何も解らない。
タミが死んでいる事実に何も思わない私の心も、なのに力が入らない理由も、シズが嘘を吐いていたことも、それでも一緒に過ごした時間も。
全部解らなくて――けれど、どうでもいいような気がした。
だってタミは、もうこの世にいない。
私が探し続けた彼女は、とっくの昔に幻影に成り果てていて。
この世界に生きていく理由が、たった一つなくなっただけなのに。
あぁ、そうか――なんてことはない、単純な話だ。
私にとって一つの理由。表の世界を生きる、意味の一つ。
だけど私には、それしかなかったのだ。
†
「目、覚めたんだな」
重い瞼が開くのは生物的な本能。
彼女が死んで、理由すら失って、なのに私の身体は生きようと動いている。
暗闇が光を取り込み、徐々に世界の姿を捉える。どれだけ眠っていたのか、すっかり日の落ちた窓際で、シズがなんとも曖昧な表情を私に向けていた。
「シズ……」
「そのまま、死んじゃうかと思ったよ」
「……ごめんなさい」
額に貼られた冷却シートのおかげか、幾分私は冷静さを取り戻していて――それだけに、気を失う前の自分がシズに何をしようとしたのか、思い出して言わずにはいられなかった。
確かにあの時、私はシズを心底憎んでいた。
こいつは殺してもいい、死ぬべきだ――疑いもせず、そう思っていた。
「私は、あなたを」
「それ以上言わなくていい――というか謝るな。私はそれだけのことをしたんだ」
お前に謝罪されたら、いよいよ私も死ぬしかなくなる。
シズの表情は真剣そのもので、拾った彼女の音も嘘を吐いていなかった。
このサイキックを欺く術を、彼女は知っているのに――どうしてか、今聴こえる音こそが、シズが持つ本当の音のように聴こえた。
「……どうして」
「……」
「どうして、教えてくれなかったの」
二年前といえば、私はもうシズと同居を始めていた。
教える機会は、きっかけは何時でもあったはずだ。
タミが既に死んでいること、私のしていることが無意味でしかないこと――彼女は全てをあえて黙り続けて、私に笑顔と前向きな言葉を寄越し続けた。
「……黙っとくべきだと思ったんだ。現にこうして倒れちゃうくらい、ナルにとってタミは全てだったから……誰から教えてもらったんだ?」
「博士。この前私に会いに来た」
「そう、か……ほんとあの人は、ろくなことしないな」
でも一番のロクデナシは私か――一度窓の外を見て、次に私に向けたシズの表情は、どこか決意に満ちていた。ハンガーにかかっていたコートを引きずり下ろして、羽織りながら私に話しかける。
「もう動けるか?」
「大丈夫、だけど」
「連れていきたい場所があるんだ――移動中でよければ、全部話すよ。私の知ってること、私が見た記憶の全て……どこまで伝えられるかは、分からないけど」
私は黙って頷いて、冷却シートを剥がしながら立ち上がった。
準備する私を見守るシズの目が、今まで見たことのない色をしていて――なんとなく私は、今日全てが終わってしまうような気がした。
追い続けた過去も、彼女とすごす日々も、何もかもが。
とっくに動きを止めていた歯車を、解体するかのように。
†
「タミのサイキックが何だったか、ナルは覚えてるか?」
街の光を置き去りにして、シズの運転する車が走り抜ける。
車を運転できるなんて初耳だったけれど――曰く、『
「知らない」
「だろうな……系統で言えば私と似たようなもんだったよ。『
思い出すのは、タミがくれた『竜胆に似ている』という言葉。
何時、どんな時に貰った言葉かは分からないけれど、彼女が持っていたというサイキックからして、きっと彼女は花が好きだったのだろうというのは、容易に想像できた。
「そしてタミの死因は衰弱死――直接の原因は、サイキックの使用による未調整の身体への過負荷。要するにサイキックの使い過ぎだ」
「……それはおかしい」
凭れていた助手席から身を起して、シズに反論する。
確かにサイキックを使い過ぎれば、脳や身体に相応の負荷がかかる――けれどそれは強力で、使い勝手の良いサイキックの過剰使用に起こる症状だ。もしシズの言う、タミの持っていたサイキックの情報が本当なら、あまりにも彼女とはかけ離れた死因である。
「あぁ、私も当然そう思った」
疑いの眼差しを向けられてか、肩を竦めてシズは言葉を紡ぐ。
「万が一にでも有り得ないんだよ、タミのサイキック程度でそんな死因は。どっかの非道な施設に捕まって、サイキック研究の餌食されていたならまだしも――実際そういう奴等も中にはいたんだけど、タミに関しては騒動の後すぐ鎹榛名の研究所に身を置いてた」
「……鎹、榛名」
「博士の目の敵だよ。世界で初めて人工的なサイキックを造り出し、PSY-CODEを開発した、サイクロポリスの母みたいな人だ」
それは知っている――知っているが、タミが彼女の研究所にいた理由が分からない。優等生だったわけでもなく、何ら接点も持っていなさそうなタミが、どうして世界最高峰のサイキック研究者の元に転がりこめたのだろう。
車内を支配する、沈黙は疑問の色。
風邪を切り走る、エンジンの唸り声を聴きながら、やがてシズが口を開く。
「……答えは簡単だ。タミにはもう一つ、サイキックがあった。それも非常に強力で、非常に鎹博士の興味を惹き――使うだけでタミの身体を蝕む、そんなサイキックが」
そんなモノは嘘だ、と言い切ってしまうのは容易かった。
けれどシズから聴こえる音は嘘を帯びておらず、表情も真剣そのもので。
「……先生や博士が、気付かないはずがない」
「気付けなかったんだよ――そういうサイキックを、タミは手に入れてたんだ」
一人の人間が、複数のサイキックを持つ。それ自体は有り得ない話ではない。現に私がその典型で、博士が目指していたのはそういう存在の量産だったと聞いている。
だが、博士は勿論、先生ですら気付けなかったとはどういうことだ。
先生は言っていた――私が唯一の複合能力者だと。
嘘を吐くような人じゃないのは、もう既に知っている。彼女はきっと、本当に知らなかったのだ。同じく博士も、誰も――タミがサイキックを、二つ持っているなど。
「どんなサイキックだったの」
最期まで隠し通せ、鎹博士の研究所に転がり込め。
そしてタミの命を奪った――そんなサイキックとは、いったい。
「ん……」
「シズ?」
訊ねた私に、しかしシズは途端に言葉に詰まってしまった。言いあぐねている、というよりは――どう説明すればいいものか、思案しているようだった。
「ねぇ、タミのサイキックは」
「わかってる……今更嘘なんて、吐くつもりはないけどさ。はっきり言ってまだ信じられないんだ、私自身も。そんなサイキックを、人一人が生み出せるってことも、ちゃんと破綻なく発動するってことも……全部視た今でも、信じられないんだよ」
けれど本当にあったことだから。
タミが実際に持っていたサイキックだから――信じられなくても、彼女は私に説明しなければならない。彼女が持っていた、眉唾もののサイキックの能力を。
「名前は『
どこかで聞いた覚えのある話に、私は思わず身を乗り出した。
つい先日、博士が言っていた――鎹榛名の発表した、PSY-CODEの次世代型。
制約と条件を設けることで、自由と応用を約束する試作品。
まだ世に出回っていないはずのそれを、彼女が持っていたならば。
私を一瞥すると、シズはコクリと頷いて、そして言った。
「基盤はサイキック・コード――要するに、時間を超える能力だ」
†
「……ここは」
私とシズを乗せた車が、辿り着いたのは人気のない山奥。
灯もないデコボコの山道を走り、古びた鉄柵を乗り越えて、星と懐中電灯を頼りに歩いた先――姿を現したのは高い壁に囲まれた、朽ちた白い建物だった。
サイクロポリスに点在する研究所と、どこか似たような雰囲気を漂わせる廃墟に、私は一瞬で全てを察する――あぁ、つまり、この場所こそが。
「ここが、私のいた場所……」
私とタミとシズが生まれ育った。
何人もの子供達が過ごしていた。
先生が自身の無力さに項垂れた。
博士が我武者羅に夢を見続けた。
そんな全てを抱え――始まりと終わりが同居していた。
かつて施設と、呼ばれていた場所。
「私以外、最近は誰も入ってないよ」
今はもう、漠然とした終わりだけ纏う廃墟を、シズは隣で見上げていた。
その瞳は、隠し切れない懐古を湛えて、今にも溢れそうに見えた。
「もっと別の研究に転用しようって話もあったみたいだけど、結局ただ打ち捨てられちゃったらしい……だからまぁ、特に手続きとかなく侵入できるんだけどさ」
ついてきなよ、と歩き出したシズの後ろを、慌てて追いかける。
彼女は慣れた足つきで施設の中を私に紹介した――毎日の食事を済ませていた食堂、童話と難しい本が一緒くたにされた図書室、安っぽい机が散乱したカルテの上に倒れている医務室。唯一痕跡も何も無い空っぽの研究室は、博士の私室だったらしい。
全て見覚えの無い場所なのに――どうしてか脳の奥で、鳴り響く音がある。
騒がしく、けれど優しく頭の中で反響する、少し悲しい音。
「……やっぱり、あそこしかないか」
呆けた顔でいたのか、私を見てシズは苦笑いを零し、そのまま建物を出た。
どこに向かうのか、彼女は何も言わないまま、私もそれについていく。
満天の星空の下、回り込むように移動しながら、シズがふと、
「私さ、ずっとナルのこと嫌いだったんだ」
「え……?」
「強いサイキックがあって、特別扱いされてて……なのにずっと嫌そうな顔して。私達がいくら努力しても、追いつけるはずもないナルが、昔から大嫌いだった」
「そう、だったの」
「今でも嫌いだ……私は『
表情は分からない。けれど嘘は吐いていない。
鳴り響く音は、どんな時よりも純粋で、それ故綺麗に聴こえて。
「なにより――お前がタミの、お気に入りだったことが一番気に食わなかった」
そして彼女は脚を止めて、私に向き直った。
今にも泣きそうになりながら、けれど必死で笑顔を浮かべていた。
「先に仲良くなったのは私だったのに、いつの間にかタミはお前の話ばっかするようになって、プチトマトあげることもなくなっちゃって。挙げ句お前の所為で全部壊れちゃって――けどさ」
辿り着いたのは、大きな樹の近く。
見上げるほどの大樹の根元には、無数の木組みの十字架が突き刺さっていて――そこが私の思い出せない、顔を名前も知らない子供達の墓場なのだと、気付くのは難しくなかった。
「けど、お前の為に時間まで超えられちゃ、もう何も言えないよなぁ――私じゃタミが命を賭ける理由に、他ならぬお前になれなかったんだって、思い知らされちゃったらさ」
だからお前のこと、もっと嫌いになったよ。
そう言ってシズが指を向けた先に、それはあった。
沢山の十字架に囲まれた大樹の根元に、一際丁寧に作られた十字架。
少し大きな石まで添えてある墓――あぁ、きっとシズは。
誰にも何も伝えず、全て一人で背負ったまま、彼女を眠りに就かせたのだ。
彼女だけじゃない――ここにいた子供達の、墓守を続けてきたのだ。
ただ一人ぼっちの、生存者としての義務と言わんばかりに。
「……そこにタミがいる。あとはお前が、あの菩提樹の下に行くだけでいい」
「――シズ、私は」
「馬鹿みたいだよな――つまらない嫉妬で、もっと苦しめばいいなんて思って……そしたら、そのまま一番大切な、タミとの約束すら果たせなくなりそうになってた」
シズはきっと泣いていた。自分自身のしたことと、こうなってしまった全てに。
彼女に何と言えばいいのか分からず、私は無言で踵を返して、無数の十字架を縫うように歩いた。そこにある無言の存在証明を踏みつけないように、ゆっくりと、彼女の待つ菩提樹の下へ。
「……タミ」
やがて到達した彼女の墓に跪き、その名前を呼び掛けた。
顔も分からない貴女――もうきっと知る由もない、貴女の名前を。
「会いに来たよ、タミ」
呼びかけても返ってくるはずがない。
だから私は、ただ確かめに来ただけだ――私の過去が。
タミという少女が、とっくに手の届かない場所にいるという事実を。
「……うあぁっ!?」
その瞬間、突然頭の奥で大きな音が鳴り響いた。
ただ大きい音なのではない――いくつものの音が重なり合って、一つの巨大な音となって、私の脳をガツンと揺さぶる。
まるで無数の咲き乱れる花のように。
枯れて萎んだ花が、もう一度色を取り戻すように。
涙色のヴィジョンを纏って、私の中で大きく咲き誇る。
それは『
原初の花が時を超え、私の記憶を花開かせた。
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