Missing N:383 結末の話

「……そうきたか」

 

 思わず漏らしてしまった呟きに、目の前の少女はキョトンとした。

 慌てて状況の把握から始めることにする――場所は施設の遊戯室、白い机の上に広げられたチェス盤、ターンはこっちだが些か不利な状況――だいたい理解したあたしは、すっかり慣れた口調で誤魔化す。

「やっぱり強いね、シズは。うーん、どうしようかなぁ……」

「――あ、そういうこと? まぁ、私はここ一のチェス名人だからな!」

 得意げに胸を張る彼女に微笑みつつ、あたしはもう一つの状況――つまりは今回の彼女を取り巻く状況について、駒を動かしながら理解に努めた。


 断絶期間があったからか、今までにないほど好感度が高い。

 博士は相変わらずのようだが、先生がストッパーとして機能している。

 日付はアレの二週間前で、まだまだ時間がある。

 

 これはひょっとすると上手くいくかもしれない――最後の条件を確認したくて、あたしはシズに向かって頭を差し出すと、

「ね、今までの盤面、確認させて!」

「別にいいけど……どうせ勝つのは今日も私だぞ?」

 そう言って彼女があたしの頭に手を置いた瞬間、あたしの忘れていた数分前の盤面が鮮明に脳裏を過る――シズのサイキックに変化もない。

 厄介なことになる前に「ありがと」とその手から離れた。

「把握した! 勝つぞー!」

「あはは、だからお前には無理だって――あれ、私のサイキックが一方通行じゃないこと知ってたっけ?」

 訝しげに首を傾げたシズは、しかし「まぁいいか」とチェス盤に向き合う。

 彼女なりに終盤に興奮しているのだろう――それはあたしも同じだが。


 前提条件としては、これ以上ないほど最高の盤面。

 ここを逃しては、おそらく次がない。

 あたしはこのまま、あの子を救えないまま終わってしまう。


「でもシズ、ほんとにチェス強いよね。なんで?」

「うーん……才能、もあるかもしれないけど……やっぱり戦術だよ」

 例えばさ、と言うと軽くあたしの頭に触れて、過去の盤面を投影する。

 あたしがクイーンでルークを狩った次の手で、シズのポーンにクイーンが討ち取られてしまった場面――横ではあの子がそれを見守っている、つまりまだ、タイミングの。

「サクリファイス……っていうらしい。強い駒をわざと狩らせて、もっと強い相手の駒を狩るって戦法だよ。本に載ってた。つまりだな――」

「……代償を払ってでしか、得られない勝利もある」

 再びキョトンとした面持ちを向けるシズに、あたしはハッと我に返って、

「あ、あたしもその本読んだよ! だったよね、確か!」

「そんなこと書いてたっけ……?」

 やはり首を傾げるシズを誤魔化しながら、あたしは駒を進める。

 

 勝利を諦めるつもりはない、断じて。

 その為に色々な代償を払い続けてきた。

 けれどそれでもまだ、勝利に届かないのなら。

 あたしが切れる最後の、文字通りの切り札でないと、あの子を。


 ナルのことを――救えないのかもしれない。


「あぁ、あたしの負けか」


 それから数手、盤面が引っくり返ることもなく勝敗は決した。

 あたしが負けてシズが勝った――オッズ通りの、いやオッズすら成立しない、圧倒的でつまらない結末。これは幸先が悪いぞ、と内心苦笑する。

「次は勝つからね、シズ」

 駒を箱にしまって、チェス盤を畳むあたしに彼女は、

「……なぁ、私の気の所為だったら、それでいいんだが」

「ん、なに?」


「お前――?」


「変なこと言うなぁ、シズは」

 本当にシズは、いつだって鋭くてビックリする。

 施設にいた頃も、『暗幕エクリプス』に入ってからも――それから先もずっと。

「あたしはタミだよ、間違いなく」

 でも、それだけだ。鋭いだけで、全てを知っているわけじゃない。

 あたしが自分の知るタミと違うとは分かっても、けれどタミそのものであることは――むしろオリジナルのタミに近いということを解らない。

「水、花にあげなくちゃだから、もう行くね」

 向けた背中に掛かる声はなかったので、あたしはそのまま花壇に向かった。

 見慣れ過ぎた施設を出て、いつもの菩提樹を一瞥し、研究棟の裏手まで。


 二週間ある、とさっきは思ったが、逆に言えば二週間しかないのだ。

 おまけに行動次第で数日の前後がある以上、あたしの経験則に確実性はない。

 そして今回は、やたらとナルが近くにいようとしているようで――回数も限られてくるだろう。

 彼女のサイキックに、あたしの嘘の下手さは相性が悪過ぎる。


「……これで最後にするんだ」

 既に何回呟いたか思い出せなくなった最後宣言。

 いい結末を、最良の結果を求めようとすればするほど、幸せはあたしの掌から零れ落ちていく。だってこの頃のあたしは子供で、ナルも子供で――戦い続けるにはあまりに、力も何もかもが足りない。

 ふと何かが伝う感触に、鼻の下を拭った。

 手の平に、こびり付いた赤黒い鼻血が乾いている――サイキックも限界が近い。

「……っ」


 次の発動はできない。出来るかもしれないけれど、あたしが持たない。

 かすがい先生との約束もある以上、下手な手を打つわけにはいかない。

 泣いても笑っても、きっとこれが最後。


「あたしが、絶対に」

 

 あぁ、そうだ――

 二人いつまでも一緒なんて、夢でしかないと解っていたのに。


 この世界に神様はいない。

 けれど祈ることを止めた時、人は死ぬのだろう。

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