Lost Note:04 博士の話

「いい感じの店じゃない」

 

 辺りを見渡した博士は、そんな曖昧な評価を下した。

 いつもの本屋兼喫茶店――ただ日の沈みきった今の時間は、喫茶店という装いを止めてバーになっている。本を読みながら酒の飲めるバーとして、こちらの方が真実の姿らしい。私が見つけたお気に入りの場所は、むしろ暗い幕の内側にあってこその場所。


 まさしく、目の前にいる『暗幕エクリプス』の住人に相応しい暗がり。

 二人揃って入店を拒否されかけたのは――まぁ、仕方がないことだと思う。


「こんな場所よく知ってたわね」

「普段は、喫茶店です」

「いえ――あなたが人並みに、お気に入りの店を見つけるなんて」

 可笑しそうに笑う、相変わらず彼女の音は聴こえない。

 言葉からして嘲りが含まれているのはなんとなくわかる――自身のサイキックに絶対の自信があったわけではないけれど、無意識に依存していたことを、湧き出す不安と共に嫌というほど思い知る。

 サイキックを打ち消す物――それはやはり、同じサイキックに違いないだろうけど。

 私にだけピンポイントで効くサイキックなんて、想像もできない。

「それにしても驚いたわ。まさかナルに会うなんて思ってもなかった」

 たまにはこの仕事にも感謝ね。

 グラスに入った琥珀色を揺らしながら、博士は嬉しそうに。

 仕事の都合で寄った街で、昔馴染みに偶然出会った人の反応としては、おそらく普通なのだろう。ただあまりにも普通すぎて――シズから聞いていたイメージとは、困惑せざるを得ないほど乖離していた。

「そうだ、何か頼んだら? 紅茶くらい夜にだって出るでしょ? 今夜はマギが払うから、好きなモノ頼んでいいのよ」

「……シズがあなたのことを、こう言っていました」

 、って。

 こうして改めて口にすれば罵詈雑言の嵐である。

 博士は怒りだすかと思ったのに、どこか納得したようにポンと手を打って、

「なるほど、マギのこと吹き込んだのはアレだったか――ま、思うだけ勝手にしたらいいんじゃないかしら」

 やはり違う。聞いていた通りの彼女なら、ここで癇癪を起していてもおかしくない。

「失敗作に何を言われようと、マギは全然気にしないわ」

「失敗作……?」

「勿論あなたは別よ、ナル。あなたはマギの最高傑作だもの――手放すのは惜しかったけれど、今にして思えば『暗幕』で野垂れ死なれるより、表で名を馳せてくれた方が高くなる鼻よね」

 本当に自慢げに私のことを話す博士に、思い出したのは、この前デパートで見かけた子供だった。買ってもらったばかりの玩具を自慢する子供――それを手に入れることができたのは、他でもない自分の両親のおかげだということも解っていない子供。

 不愉快ではなかった。ただ、哀れだと思った。

 だから同時に確信できた――この人は本当に好き勝手生きているだけなのだ、と。

「……博士は、どうして私達を造ったんですか」

「マギが優秀だと証明する為よ。このサイクロポリスで最良のサイキックを生み出せば、誰もがマギを認めるわ。製作者より、よっぽどPSY-CODEを理解しているって――」


「違う――わざわざデザイナーベビーを作ったのは、どうして?」

 

 沈黙の合間に、ジャズだけが二人の間に流れていた。

 やがて溶けた氷が触れ合う冷たい音が響いた。

「PSY-CODEを定着させる人間を、あなたは一から造った。クローン技術を借りてまで――そうでしょう? でも、どう考えても効率が悪いもの。素材にするならそれこそ、孤児でも拾った方が安上がりだったはずなのに」

 施設にいた子供たちは皆、デザイナーベビーと呼ばれる存在だった。

 有志から提供された遺伝子を元に培養し生み出される、人工の人間。

 私も、あの子も、シズも、世界のどこかにオリジナルがいる複製物。

 膨大な金を掛けて造られた――動く肉の塊に過ぎない。

「……自分で思い至った、ってわけじゃなさそうね」

「全部シズが言っていたことです」

 だって施設にいた当時の記憶が、私にはない――全部、失ってしまったから。

 シズのこと、先生のこと、博士のこと、他の子供たちのこと。

 そしてあの子――タミのことも全て、私は知らない。

 どうしてそうなってしまったのか、シズは「全部博士の所為だ」としか答えない。

 写真だって残っていないから、タミの顔を知っているのはシズと先生だけ。

 記憶の喪失。記録の欠如。全部のメモリーが抜け落ちた存在。

 だから私は、タミの顔すら思い出せない。

「そしてシズは、先生から聞いたって」

「――あぁ、そういうこと」

 相変わらず偽善者やってるのね。

 そう呟いた顔が酷く寂しそうに見えたのは――照明の所為だったかもしれない。 次の瞬間には、もう博士は悪びれることなく、

「その方が、

 琥珀色の液体をチビチビと口に運びながら言う。

「一人の人間が持てるサイキックは一つよ。それは覆せない事実……技術的には可能だけど、人の身体が追いつかないの。PSY-CODEは脳の演算機能を補助するけど、脆弱な肉体はそれにすら耐えられない。一つのPSY-CODEを限界まで稼働させた、それだけで死人が出る。だからマギはそもそもの前提から――複数のPSY-CODEによる平行演算の負荷すら、ものともしない器を用意した」

「それで私達、デザイナーズベビーですか」

「……でもその程度の発想に、鎹榛名かすがいはるなが辿り着けないはずがないのよ。あいつは開発者で、何より天才で――その為に最初から、デザイナーズベビーの技術を持っていたに、違いないんだから」


 けれど鎹榛名はそうしなかった。

 その為の技術を持ちながら、あくまで彼女は。

 PSY-CODEの開発者は――ギフト以上の意味を、持たせようとはしなかった。


「……結局マギは、いつだってあいつの後追いをしてた」

 いつの間にか空になったグラスを机の上に叩きつけて、博士は呻く。

「いくら器を広げても、脳の機能を拡張させても、一つ以上のサイキックが定着することなんてなかった。枝分かれするだけなのよ、PSY-CODEって。能力が複雑化する一方で、制約と応用性の無さだけが顕著になっていく――無理矢理複数を定着させれば、PSY-CODE同士が反発しあって、どんな器だろうとすぐに壊れちゃったわ」

 この間ね、と自嘲的な笑みを浮かべて空のグラスを見つめる。

「鎹榛名がPSY-CODEの次世代型を発表したのよ――名前はサイキック・コード。特定の場所、特定の条件下でしか機能しない制約を持たせた代わりに、利便性と応用性がある程度個人に約束されるようになった……あと引き継いで継ぎ接ぐことが可能とか、なんとか。まだ試作段階らしいけど、あいつなら完成させるんでしょうね」

 本当に、忌々しい限りよね。

 音が聴こえないから、本当のところはわからないけれど。

 博士が今、どんな気持ちなのか――想像するのは難しくなかった。

「悔しい、ですか」

「そうね――ううん、なんかもう、どうでもよくなっちゃったかも」

 酔い易い体質なのか、博士の顔は既に真っ赤に染まっていて。

 それでも空のグラスをカウンターに置き、まだ飲むつもりらしい。

「今は昔……マギはね、世界一の科学者になりたかった。なれるって信じてた」

「そう、ですか」

「どこかの馬鹿がね、無責任に言うのよ……、なんて。世辞のつもりだったのかもしれないけど……あいつがあんなにキラキラした目で見るから、無邪気に信じて疑わないから……マギもすっかりその気になってたけど、ね」


 だけど博士はなれなかった。

 マギ=ラルヴァンダード・ホルミスダス・グシュナサフは、思い描いた自分に。

 世界一の科学者に、誰にも負けない科学者になんてなれなくて。

 想いだけでは届かない存在がいるのだと、思い知ることになった。


「金も心も全部注ぎ込んで、借金塗れになって、挙げ句の果てが『暗幕』でマッドサイエンティストごっこ。いつ処理されるか分からない日々に怯えながら、暗い部屋で鎹のニュースを見るの。才能の差がこんなに残酷なんて――マギがそっち側の人間だったなんて、知ればやる気もなくなるわ」

「……諦めたんですか」

「嫌な言い方するようになっちゃって」

 でもそういうことなのよね、とグラスに注がれたお酒を、今度は一気に飲み干す。

 そこにいたのは、倫理観の狂った最低最悪のクズ野郎ではなかった。

 ただ単純に現実を思い知った、夢を失くした一人の女だった。


 想像力とは即ち、イメージ、妄想――人はいつだって、それを夢や願いと呼んできた。人間だけが持つ、不定形で曖昧で、なのにどうしようもない原動力として。

 いつか先生の言っていた言葉を思い出す。

 私やシズの場合はタミを探すこと。それを原動力に今を生きている。

 ならば夢や願いを――原動力を失くした人は、どう生きていけばいい?


「……博士、そろそろ」


 腕時計が示す時刻は夜――次第に店内の客の数が疎らになる。

 いよいよ机に突っ伏した博士から、くぐもった呟きが漏れる。

「ねぇ、ナル……マギのこと恨んでるでしょ?」

「――それは」

「勝手に生み出されて、勝手にサイキックを埋め込まれて……あぁ、そういえばあなたの記憶を消したのもマギだったっけ? ねぇ、こんなに好き勝手されて、人生狂わされて……なのに何も残せなかった馬鹿女のこと、殺したくて仕方ないんじゃない?」

 今ならやりたい放題できるわよ。

 そう言うと博士は、ポケットから小さな装置のような物を取り出した。

 携帯電話を一回り小さくしたようなそれの、スイッチと思われる部分を操作する。

 瞬間、今までまったく聴こえなかった博士の音が鮮明に鳴り響いた。

 刺激物のような音だった。泡の弾け続ける炭酸飲料のような、それでいて炭酸が、すっかり抜け切ってしまったらしい、萎びてぬるくなった音――これが、博士の音。

「これで私のサイキックを?」

「えぇ、サイコキャンセラーっていうのよ……偶然会ったなんて嘘。本当はずっと探して、待ち構えてた。マギもサイキックだから、なかなか死なないし……死ぬ勇気もなくてね。自分の最高傑作に殺されるなら、最期くらいは悪くない人生だったって思えるもの」

 嘘に気付かれないように、わざわざサイキックの妨害までして。

 そうまでして彼女は殺されに来たらしい。


 実際殺すのは簡単だろう――私はそもそも、その為に生み出された存在だ。

 兵器として、あらゆるサイキックを超越する者として。

 勝手気ままに、ちっぽけなプライドと我儘で、生み落とされたサイキック。

 少し力を込めるだけでいい。なんなら軽く指を鳴らすだけでもいい。

 それだけで目の前の彼女は、消し炭になるか弾け飛ぶ。

 私には――『夢見症候群コスモマニアックス』というマルチスキルなら、できるのだ。


「博士はそれでいいんですか」

 彼女は何も答えなかったけれど、腕の隙間から覗く瞳が。

 空虚な光を灯し、ただ上目遣いに、最期の時を待望していた。

「……分かりました」

 私は小さく頷いて、博士の頭に軽く触れると――


「殺せないです、私には」

 

 そのままふわふわと髪を撫で、やがてそっと離した。

 どうして――そんな小さな呻き声が聴こえたので、私は席を立ちながら、

「記憶が残っていれば、ここで博士は死ねたかもしれないけど」

「思い出せないから、恨みも無いって言いたいの?」

「確かに博士は勝手。あなたの所為で私も、タミも、シズも、先生も……皆例外なく人生を狂わされた。死ぬべきだと思う。きっと、恨んで然るべきとも」

「じゃあ」


「私がこうして生きているのも、博士の自分勝手のおかげだから」


 許すわけじゃない――きっと許されてはいけない存在だ、博士は。

 彼女の所為で私の記憶は消え、タミとは離れ離れになったまま。

 シズも『暗幕』で日々死と隣り合わせ。先生も例外ではない。

 だけど少なくとも――私が彼女に恨みを抱くことは、ないと思う。


 記憶がないこともそうだけれど、それ以上に。

 それ以上に彼女がいなければ。

 自分勝手をしていなければ――私がこの世に生まれることもなかったから。

 タミとも、シズとも、先生とも会えなかったから。

 理由なんて、それで十分だ。


「罰を欲するなら他を当たって。このお店、私のお気に入りだから」

 殺人して出禁になるなんて、まっぴら御免である。

 突っ伏したままの博士は、やがて「ははっ」と笑うと、

「そう、ね――ナルはもう、表の人間だしね」

「先生が、それもきっと、博士の入れ知恵だって」

「……本当にアイツは」

 いつもマギを掻き乱すんだから――言葉とは裏腹に、博士は少し嬉しそうで。

 先生と博士の、二人の関係性はよく知らないけれど、きっと。

 互いが互いの原動力だったのだろうと、私は思った。

 

 そしてもう――それを伝え合うことはないのだろう、とも。


「博士はこれからどうするの」

 

 謎の黒いカードで会計を終わらせ、店外で伸びをする博士に訊ねる。

 今の空と同じくらい黒い、夜の帳が済み彼の博士に。

 このサイクロポリスの裏側――『暗幕エクリプス』に潜む彼女は、きっとこれまでのように好き勝手することはできない。上層から与えられた研究と仕事をこなして、また罪を重ね続けるのだろう。

「んー……! さぁね……死ぬまで生きるだけよ、きっと」

「ならついでに頼まれてほしいことがある」

「……ほんと、随分図々しくなったわね、ナル――ま、いいわ。マギにできることだったら何でもしてあげるわよ。他ならぬ、ナルの頼みだしね」

「タミを探すのを手伝ってほしい」

 私が博士に頼むことなど、これ以外に何も無い。

 表は私が、裏はシズがずっと探してくれているのに見つからない彼女の行方を、知らなくとも博士なら見つけられるかもしれない、という期待があった。

 『暗幕』の中でもさらに深淵に近い、博士なら。

「タミがどこにいるのか、今何をしているのか、知っていたら――」

 彼女の産物である以上、今の所在も把握していておかしくはない。

 そう思っての言葉を、聞いた瞬間博士の音が大きく乱れた。

 驚愕特有の跳ね具合は、博士が素で驚いている何よりの証である。

 丸い目を更に丸く見開き、博士は私をジッと凝視した。

「……?」

「アレって――シズのこと、かしら。シズは何も知らない。ずっと一緒に探してくれているけど、まだ見つかって……ないって……」

 自分の声が尻すぼみになっていくのが分かった。

 なんだ、この――猛烈なまでの勢いで心を蝕む、嫌な予感は。


 私のサイキックは嘘を見破ることができる。

 だからシズが私に言っていることは全部本当で――だから私は彼女を信じるしかなかった。記憶も何も無い私には、彼女しかいなかったのだから。


 だから、何も聞いていないなんてことは。

 シズが私に黙っていることなんか――あるはずが。

 

 五月蠅いくらい激しくなる心臓の鼓動が私に告げる。

 、と囁くように。

 博士なら――より一層『暗幕』に近い彼女なら、知り得る情報も多い筈だ、と。


「ナル……あなた騙されてるんじゃない?」

 暫く考え込むように黙って、やがて博士は重々しく口を開いた。

 何を言っているのか分からない、と言いたげな目で、私を見ながら。


「タミだったかしら――その子なら、もうとっくに死んでるわ」


 嘘を吐いている音は、聴こえなかった。

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